自由詩のかたちを使って
ずいぶんと書いてきたけれど
はじめから「詩」というものを書く気はなかったので
なにを書くのもすごく楽だった
まあ
おしゃべりのようなものだと思う
ちょっと前までは
白紙に向かってのおしゃべり
いまは
パソコンのWordを開いてのおしゃべり
そんなことに
おれを利用するな
などと
ひょっとしたら自由詩形は言うかもしれないけれど
悪かったね
ずいぶんとおしゃべり
してきちゃったよ
ほんと
「詩」ということに関して言えば
ぼくは「詩」を書けるなんて思ったことはなかったし
書いたってなんにもならないじゃない?
と思っていたものだった
1980年代の終わり頃
ちょちょっと書いてみたら
けっこう書けるんだなとわかって
雑誌を作って書いていくようにしたら
いくらでも書けるのがわかった
そんなはずはないだろう
ぼくは詩人になろうとか思っていないし
会ったことのある詩人たちはダサい人が多かったし
つまらない人ばかりだったし
なんだか「場末」「安酒」「根暗」「湿っぽい」「盛り下がる」…
などの言葉が合う人たちばかりだった
でも底意地が悪いというか
人を小馬鹿にするのが大好きないたずら者なので
詩人たちが書くようなものなんて
いくらでも真似して書けるし
もっと多量に生産してやれるよ
もっともっと才気煥発にカマしてやれるよ
と見せてやりたくて
後から後から単語ならべをしていったら
できちゃうんだな
これが
いくらでも
いくつでも
すでに20世紀の現代詩が
無意味や無内容やナンセンスやおふざけや言葉遊びやおちゃらけで
「詩」っていうものはかまわないんだ
と保証してくれていたので
無意味や無内容やナンセンスやおふざけや言葉遊びやおちゃらけを
大量生産し続けたわけだ
そんなのわけない
誰にでもできる
ただふつうの賢い人たちは
無意味や無内容やナンセンスやおふざけや言葉遊びやおちゃらけを
さんざん時間をかけて書き散らす愚行なんてしないから
誰でもそれをやるというわけではない
だけのこと
ぼくにとって
「詩」にまつわる唯一の関心事は
自分がいつどの時点で
無意味や無内容やナンセンスやおふざけや言葉遊びやおちゃらけの
単語ならべを続けるのがストップするだろう?
ということだった
ストップした時
ぼくは詩人でなかったのがわかる
いつストップするかな?
いつストップするかな?
ストップしたら
ほら見ろ!
やっぱりおまえは詩人じゃなかったし
おまえは「詩」を書いてるわけじゃなかったんだよ
おまえには「詩」を書く才能なんてなかったんだよ
と
ぼくはぼくに言えるのだ
そうしたら
ぼくは
ほら見てください!
やっぱりぼくは詩人じゃなかったし
ぼくは「詩」を書いてるわけじゃなかったし
ぼくには「詩」を書く才能なんてなかったんですよ
と
まわりに
ちょっと大きな声で
言ってみることができる
というもの
半径70センチぐらいの
ちっちゃな
ちっちゃな
周囲にね
ただそのためだけに
多量に言葉ならべしてきた
ぼくの
ちっちゃな
ちっちゃな
この生
生きている
とも言えないほどだった
この生
っ
ぽ
さ
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