この地球上の
2025年の
日本などとはまったく縁のない夢ばかり
見る
そういう夢ばかり
あまりに見過ぎるので
ある時点から
この地球上の
2025年の
日本などとはまったく縁のない世界が
ほんとうに
いっぱい併行して存在しているのだ
と思うようになった
この地球上の
2025年の
日本などとはまったく縁のない
生き方や
ふるまい方や
慣習や
しきたりや
流行や
倫理や
マナーなどが
それらの世界にはあって
しばらくそっちのほうに合わせて生きていると
こっちの世界に戻ってきても
感覚がどうにも
うまく合わなくて困る
時間的に余裕のあった昨日など
13時間も眠ったが
どこかの山野の奥の大学キャンパスで
あれこれの授業を担当していた
中には
野球場のグリーンの端っこを教室として使う
授業もあったり
途方もない大きさの大教室に
途方もない距離を歩いて向かう
授業もあった
なにかの会合のために
やけに長い廊下を歩き続けて
端っこのほうにある部屋に行ったこともあった
そこから帰っていく時には
やけに長い廊下を
また
延々と歩いて帰る
どれだけ長いかというと
遠くに見える廊下の終わりが
小さな半導体チップほどに見えるほど遠く
歩いても歩いても着かず
20分ほど歩いてもまだ着かないような
細い細い黒い廊下を
行き続けるような
そんな長さ
そんな遠さ
夢のなかだというのに
思ったものだ
いつか
他の夢で見たように
空中を好きなようにビュンビュン飛べる
浮遊能力があったら
こんな時は
楽なんだけれどなあ
と
今後は
ある世界の夢から
べつの世界の夢へ
必要な時にサッと乗り換えられる術を
創り出すことにしよう
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