2025年9月12日金曜日

がらんどうの十二畳間


 

 

居間のとなりに

十二畳の大広間がある

 

十二畳など広くもない

と受けとる人もいるだろうが

わたしには広く感じられる

 

他に二部屋あるので

そこには家具を置く必要もないし

寝室としてもほかの部屋を使うので

まったく何も置かない

がらんどうの十二畳間である

やはり

広く感じられる

 

もちろん

はじめのうちは

なにかに使おうと思った

家具を置いたり

書架をまわりに巡らしたりしようと

構想した

 

しかし

書架は居間の壁沿いに置くことで

足りたし

ほかの家具も

べつの部屋に置くことで済んだ

 

何に使おうか

と考えているうちに

隅々まで

畳の見えている

がらんどうの十二畳間にしておくのが

ふさわしいように

だんだんと思えてきた

 

現在も

居間の脇のその十二畳間は

何も置いていない

ただのがらんどうの広間である

 

居間のソファに座って

ときどき

その十二畳間を眺めていたりする

 

畳ばかりが広がっているのは

見ていて

なかなか

気持ちがいい

 

いろいろ置けそうな空間だ

と思いながら

何も置かないままでいるのが

気持ちがいい

 

広くても

何も置いていないものだから

掃除は楽である

箒で掃いて

昔ふうに雑巾がけするのも

気持ちがいい

 

真ん中に座って

目を瞑ってみたりもする

 

瞑想とか

禅ではない

そんな

クサいことはしない

 

何もない

がらんどうの十二畳間の中央に

ただ座って

目を瞑ってみる

心地よさを

感じてみるだけだ

 

何もない

畳だけの十二畳間に座ってみると

がらんどう

ということの力が

よく

感じられる

 

ここには

思想もない

 

信仰もない

 

主義も主張もなければ

方向もない

方向性もない

 

十二畳間は

まだまだ小さな空間といえるが

せめて

このくらいの広さの

まったく何もない広がりのなかに

つねづね

身を置くようにしてみないと

この世に在ることの

在り方が

蘇ってはこない気がする

 





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