居間のとなりに
十二畳の大広間がある
十二畳など広くもない
と受けとる人もいるだろうが
わたしには広く感じられる
他に二部屋あるので
そこには家具を置く必要もないし
寝室としてもほかの部屋を使うので
まったく何も置かない
がらんどうの十二畳間である
やはり
広く感じられる
もちろん
はじめのうちは
なにかに使おうと思った
家具を置いたり
書架をまわりに巡らしたりしようと
構想した
しかし
書架は居間の壁沿いに置くことで
足りたし
ほかの家具も
べつの部屋に置くことで済んだ
何に使おうか
と考えているうちに
隅々まで
畳の見えている
がらんどうの十二畳間にしておくのが
ふさわしいように
だんだんと思えてきた
現在も
居間の脇のその十二畳間は
何も置いていない
ただのがらんどうの広間である
居間のソファに座って
ときどき
その十二畳間を眺めていたりする
畳ばかりが広がっているのは
見ていて
なかなか
気持ちがいい
いろいろ置けそうな空間だ
と思いながら
何も置かないままでいるのが
気持ちがいい
広くても
何も置いていないものだから
掃除は楽である
箒で掃いて
昔ふうに雑巾がけするのも
気持ちがいい
真ん中に座って
目を瞑ってみたりもする
瞑想とか
禅ではない
そんな
クサいことはしない
何もない
がらんどうの十二畳間の中央に
ただ座って
目を瞑ってみる
心地よさを
感じてみるだけだ
何もない
畳だけの十二畳間に座ってみると
がらんどう
ということの力が
よく
感じられる
ここには
思想もない
信仰もない
主義も主張もなければ
方向もない
方向性もない
十二畳間は
まだまだ小さな空間といえるが
せめて
このくらいの広さの
まったく何もない広がりのなかに
つねづね
身を置くようにしてみないと
この世に在ることの
在り方が
蘇ってはこない気がする
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