全体というものに対して
盲目になるには
なにかをよく見つめてみればいい
これは
魔術の修行において
つねに皮肉まじりに語られる真理だが
もし世界なるものの真相を見失いたければ
世界をよく見つめようとすればいい
あるいは
世界で起きているとされる
さまざまな出来事の映像や報告に
いそがしく
目や耳をむけて
情報を掻き集めて
世界像を構築しようとしてみれば
世界というものへの
見事な盲者のできあがり
となろう
世界は存在しない
というのは
あながち
間違った考え方ではない
世界というものがある
との前提を
飲み込ませ
押しつけることで
企まれる
巧妙な世界支配
というもの
があり
これほど危険なものはないが
人はいつも
世界
という地図を欲しがり
この地図の実在を信じたがるので
感受や認識の
最初の最初から
この支配の罠に両脚を取られてしまっている
世界はない
わたしはない
生きるべき生はない
たどるべき方向はない
対象はない
目的はない
付されるべき形容はない
いる
は
いない
ある
は
ない
などと
証明なしに
言葉にしてみるところからはじめるのが
本当はよい
少なくとも
透明な観察者
認識者
の
じぶん
が
わずかにでも
感じられるだろう
ここから
すべては始まり得るのであり
ここで
すべては完結し得る
透明者に
生死
はない
位置もなく
不在もなく
未到もなく
到達もない
透明者よ!
さいわいなるかな!
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