ひさしぶりに
ポール・エリュアールPaul Eluardの
La Vie immédiate(ラ・ヴィ・イメディアット)を開くと
どれも
はじめて見るように印象ぶかいが
Belle et ressemblante
が
やはり目について
一行目の
Un visage à la fin du jour
が飛び込んでくる
「一日の終わりのひとつの顔」
と訳したものか
「その日の終わりのひとつの顔」
とすべきか
などと
楽しんでしまう
翻訳しないでいい
というのは
楽しい
外国語の詩を読む時には
ほんとに
エリュアールだから
最後の行の
Un visage semblable à tous les visages oubliés.
で
やっぱり
決めてくる
「忘れられたすべての顔に似たひとつの顔」
と
これは訳すしかないだろうが
「ひとつの顔。忘れ去られたすべての顔に似た」
と
フランス語の
元の言葉の置き方に近く
訳したい思いに
駆られる
ところで
この1932年出版の詩集
La Vie immédiate(ラ・ヴィ・イメディアット)だが
このタイトルをどう訳すかは
ほんとうに難しい
immédiateは
「媒介物なしの」
「仲介なしの」
「直接の」
という意味だが
ここから
「即座の」
「即時の」
「じかな」
などなどと
いくらでも訳語が出てくる
「差し迫った」
という訳語まで考えられる
Vieだって
「生」
「人生」
「命」
などなど
いくらでも
いくらでも
じゃあ
どうするの?
そうなると?
う~ん
「無媒介の生」
とか
「直接の生」
とかが
安全牌ということになるだろうけれど
あえて
「差し迫った生」
とか
「人生そのもの」
とか
「即生」
とか
「即人生」
とか
訳してもみたくなるだろうな
とも思いながら
翻訳しないでいい
というのは
楽しいな
外国語の詩を読む時には
ほんとにな
と
再三再度
感じ直しながら
最後の行を
くりかえし見ている
Un visage semblable à tous les visages oubliés.
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