2018年1月8日月曜日

ヴェロニカ・プロヴィダンス

  
一瞬の髪のみだれ
宙に流れる
長い髪の先端のほう
すぐ脇を
走り去っていく赤いボディーの車
頬のわずかのへこみは
全身が車に反応したから?
道のむこうの建物の二階ヴァルコニーには
薔薇と
あれはなんだろう、ジェラニウムと
黄色い他の花、あれは
と惑う上に
こんなにも青い空が恩寵のようにあって
ヴェロニカ・プロヴィダンス*
この今
此処にきみといて
  

*1987年から2001年まで最も近い関係にあったヴェロニカ・プロヴィダンスVeronica Providenceは、パリと東京とサン=フランススコを行き来していたが、シャルトル、オルレアン、クレルモン=フェラン、サン=マロに移り住んだ時期があった。その頃によく住まいを訪ねた。彼女のふたりの子のうち、ルイーズは私の娘だというが、経緯を考えるとあまり信じられない。
確かに私の子と思われるのは、極東アジアの半島の北の国にいるはずのリー・クアンファと、シリアのどこかにいるはずのマリア・ランペドゥーサしかいない。リーは、その国の首都にある小さなことの取材で行った際に運命的な出会いをした現地の女性との一夜の果実であり、マリアはロンドンで知りあった美しいカッサンドラとの娘で、中東とイタリアの血の混じった彼女の肌の匂いは今でも私のまわりに漂っている。褐色の乳房にアレキサンドリア種葡萄の汁をしとどに垂らした夜の暖炉の火の爆ぜる音は、今では昔話のように遠いのに、どこかの扉を開ければすぐそこにあるように思える。
ヴェロニカについての言葉のクロッキーはたくさん残してあるが、そのうちの不完全なメモを年明けの気まぐれから見直すうち、ひとつを簡潔なかたちに纏めたくなった。当時の古い自分の心境をそのままに、今の言葉づかいで編集したので、読む側に立ってみると少し居心地が悪い。もちろん、こうした居心地の悪さも、そこから来る消化しづらさも味わいのひとつであり、言葉によって発生させうる効果としては得難い玩具であるのは言うまでもない。
なお、ヴェロニカのことは、フランス行の際に私に同行することの多かったエレーヌ・グルナックも全く知らなかった。
そういえば、今エレーヌの名を記してみて思い出したが、何度か会って楽しい宴を過ごしたウェルナックやヴォルナック、ゲルナックらは今でも元気だろうか?彼らのことを記してみたい気持ちにもなってきた。



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