木下夕爾の
炎天や昆虫としてただあゆむ
を読むと
これは虫が猛暑の中を歩いているのを見ての句だとわかるが
それでも
作者自身がその虫になり切りつつある
という感じもあるので
ドゥルーズがいうところの生成変化の過程を扱った句とも見えてく る
これ以上に
もっとはっきりと生成変化を詠もうとする句はあるかな
と思いながら
あれこれ
十日ほど俳句や和歌ばかり見ていたら
やっぱり高浜虚子が
蜘蛛に生まれ網をかけねばならぬかな
と詠んでいて
さすがに
明治時代から俳句のポストモダンを実行した傑物だけのことはある
花鳥風月だの
月並だの言いながら
ほぼ全季語を使って作句して
近代俳句の全容を変容させてしまった怪物を
もしドゥルーズが読めていたら
20世紀のヨーロッパ思想は根底からぶっ飛んだだろうなと
今年は年初から妄想していて
楽し
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