神保町をぶらぶら歩いていたら
エロ本エロ動画屋の店頭にやけに古びた文庫本棚があって
その古び加減や背表紙の汚れぐあいになんとなく心を惹かれて
立ちどまって眺めてみる
すると
古いも古い
昭和二十六年印刷の井上究一郎訳の『ロンサール詩集』があって
すっかり黄ばみ焼けしたページをめくりながら
どれも有名な詩編をつぎつぎ見ていくうち
「オード 二」に突きあたった
私の青春は過ぎた。
若い力は衰えた。
歯は黒み、髪は白く、
神経はにぶり、血管には、
からだがこんなに冷えて、血のかはりに
褐色の液がはいってゐるばかり。
さやうなら、私の竪琴、さやうなら、乙女たち、
かつてのなつかしい戀びとたち、
さやうなら、どうやら終りがくるらしい。
若いときの樂しい遊びは
老いのなかまでついては來ない、
爐火と 寝床と 酒よりほかは。
重なる年と 病とに、
頭はすつかり鈍くなり、
苦労は八方から私を嚙む。
急がうと 遅れようと、
いつもうしろに、ふりむけば 死が
やつてくるのを私は見る。
私をあの世につれ去らうと
しよつちゆうねらつてゐるやうだ。
プルトンとやらの住まふ國、
來る人びとに岩屋を開けて、
みんなは たやすくはいつてゆくが
二度とはそこから帰れない。
岩波文庫の『ロンサール詩集』は
文学好きなら青年時代に誰もが読み終えているはずの一冊で
わたくしももちろん読んだけれど
カッサンドルへのソネットや
マリーへのソネット
エレーヌへのソネットなど
恋と病と死とを歌った名品の数々の
それも名所名所を楽しんで足早に過ぎ去っただけで
井上訳などとうの昔に手放してしまって
あとは原文でと
ほぼ全詩集をフランス語で買い集めて
ときどき眺めては
人類の詩の最高峰の模範作としてひそやかに賛美し続けてきた
けれども
こんなふうに
東洋は東京の神保町の
格調高い古書店内ではなくて
エロ本エロ動画屋の店頭のやけに古びた文庫本棚に
古び加減や背表紙の汚れぐあいに老残の心を惹かれて見つけ
ぱらぱらめくって見る井上訳のロンサールは
既にしてたましいの老いさらばえたわたくしには
渋茶のような味わいに富み
ロンサールの十六世紀のフランス語の訳出も
重くならぬよう
しかしうるわしい渋さは保たせつつ
泉から流れ出る水のように
きよらきよらにもしようとすれば
なかなかどうして楽になどいかないのも
ひとりだけでの何度かの試訳から既にわかってもいるので
昭和とはいえいにしえの碩学の訳業に
かつての若き日の卒読では感じとれもしなかった滋味を見出す
かつて小林秀雄がランボーに出会った
やはり
神保町での話は
こんなふうだったか…
「……僕が、はじめてランボオに、出くわしたのは、 二三歳の春であった。その時、僕は、神田をぶらぶら歩いていた、 と書いてもよい。向こうからやって来た見知らぬ男が、 いきなり僕を叩きのめしたのである。僕には、 何んの準備もなかった。ある本屋の店頭で、偶然見付けた『 地獄の季節』の見すぼらしい豆本に、 どんなに烈しい爆薬が仕掛けられているか、 僕は夢にも考えてはいなかった。…その豆本は見事に炸裂し、 僕は、数年の間、ランボオという事件の渦中にあった。 それは確かに事件であった様に思われる。 文学とは他人にとって何んであれ、少なくとも、自分にとっては、 或る思想、或る観念、いや一つの言葉さえ現実の事件である。と、 はじめて教えてくれたのは、ランボオだった様にも思われる」( 小林秀雄『ランボオ』)
悪いが
既にしてたましいの老いさらばえたわたくしから見直せば
あゝ、くだらない…
と思ってしまう
小林秀雄だけではないが
こんな子供向きの文芸がにっぽんの近代をずいぶん穢して
にっぽんぶんがくはすっかり間違ったほうへと流れ
そういう思潮の流れと
中国大陸やアジアや太平洋にアホ戦線を拡大していった軍事思潮と は
完全にぴったり同質の欠陥思考だったのだと
今になれば体感的にわかり過ぎる
この列島に近代なんてなかったんだよ
この百五十年ほど
じつはなぁんにもなかったんだよ
みんな
みんな
嘘っぱちで
うわっつらのメッキだったのに
あたかも御大層なものであるかのように
学校や家庭で洗脳され続けてきたに過ぎなかったんだよ
そう思うんだな、今は
そうとしか思えないんだな、今は
むしろ
20世紀の人類の悲惨に言語表現を引き摺りこんだ
ルイ=フェルディナン・セリーヌ
彼へのインタヴューから
たとえば…
「私の本がどうだって言うんだ。あれは文学の本じゃない。
「じゃあ何かって?
「あれは人生の本さ、ありのままの姿の人生の本さ。
「人間の貧困が私を圧倒するんだ。
「物質の貧困だろうと、精神の貧困だろうと。
「そりゃ、貧困はいつの時代にだってあった。
「だが昔は人間はそいつを神に捧げた。どんな神であろうと。
「いま世界には数え切れないほどの貧乏人がいるけど、
「彼らの悲しみはどこへも行き場がないんだ。
「現代は、そもそもどうしようもない悲惨の時代なんだ。
「哀れなことだ。
「人間は何もかも、自分に対する信念さえも剥ぎ取られて、
「真っ裸なんだ。
「(……)文学なんぞ、人びとをへしつけている貧困の前では
「どうでも良いことさ。
「連中はみんな憎み合ってるいるんだ……
「連中が愛し合うことさえできたら!
既にしてたましいの老いさらばえたわたくしから見直せば
既にしてたましいの老いさらばえたわたくしから見直せば
あゝ、と…
ね、どう思う、われらが大爺サマの、金子光晴さんなんかは…?
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