暑くなってくると
思想が元気を取り戻してくる
冬が嫌いなのでね、ぼく
「思う」も
「想う」も
元気を取り戻してくる
思う
想う
思う
想う
こんなふうに繁茂してくる
で
よく見直すと
田に心で「思」だ
木に目に心で「想」だ
なんだか
思想っていうのは田や木に関係がありそうで
なるほど
春から夏になってくれば元気になっていくはずじゃないか
土や木に関わっていたなんて
思ったり
想ったり
思想したりするのは
そもそも自然とべったり接していることだったんじゃないか
もちろん
漢字の大元のなりたちを調べると
ちょっと違った話になる
思のほうは
田が赤ん坊のまだかたまっていない頭を意味し
そこに心が加わって
頭や心で「おもう」ことを意味しているらしい
想のほうは
上の「相」がなにかの対象にむかうということを意味していて
そこに心が加わって
なにかの対象について心の中で考えるという意味になるらしい
田だとか木は消えちゃうんだけれど
これはこれで
なんだか発見だ
赤ん坊のまだかたまっていない頭が田だ
っていうの
おもしろいなぁ
まだかたまっていない頭と心で
思えているかな?
ぼくら?
まだかたまっていない頭と心で
なにかについて
思想できているかな?
ぼくら?
0 件のコメント:
コメントを投稿