2022年3月19日土曜日

徹底したパセイスト(過去執着者)なので

  

 

杉山響子は

『物の怪と龍神さんが教えてくれた大事なこと』*

心霊スポットとして有名な

「東京北部に位置するK公園」のことを書いている

 

北区の神谷公園のことだと

すぐにわかった

 

7年ほどその近くに住んでいたので

北区神谷のあたりのことは

いろいろ聞いたし

たびたび歩きまわったし

雰囲気もよくわかっている

 

大平洋戦争中にアメリカ軍は

赤羽から王子にかけての軍需工場を爆撃した

神谷のあたりも焦土と化し

神谷公園のあたりに400人ほどの焼死体が埋葬された

昭和26年に遺骨が掘り返されて埋葬され直したが

すべてをきれいに掘り出すのは不可能で

そのまま埋め直されたままの遺骨もあった

後にプールが作られた際には

やはりたくさんの人骨が出てきたという

昭和50年に「大東亜戦争犠牲者慰霊記念碑」が建てられ

公園のすみに残っているという

 

町名でいえば神谷2丁目にあたり

大ざっぱにいえば

神谷小学校と神谷中学校の間にあるが**

実際に歩いてみれば

特にどうということもない場所で

夜中に歩いても不気味ではなかったし

どうして心霊スポットと呼ばれているのかわからない

この町に住んでいるのでもないかぎり

わざわざこのあたりに行く用事もないはずだが

王子神谷から神谷3丁目にある柏木神社に詣でる時

ちょっと足を伸ばすとこのあたりに到る

いずれにしても

おどろおどろしく騒ぐほどのことはない

杉山響子に同行した霊能者も

このあたりはきれいでなにもない

とはっきり告げている

 

怪談話も得意だった

亡くなった俳優の小松方正も

『小松方正の霊界通信』***でここに触れていて

昭和40年から50年にかけての10年ほどの間に

公園東側の半径わずか百メートルの範囲内で

30人ほどの人が亡くなったことを書いている

老人が次々亡くなるのは老衰だとしても

交通事故死や山での転落死

自殺や感電死
医師家族4人の引き続きの自殺

プールでの子どもの水死などが連続し

「死霊にとりつかれた町」と言われたらしい

 

こう見直してみると

ちょっと不気味な地区に思えてきてしまうが

10年ほどで30人が死ぬというのは

べつに驚くほどのこともないのではないかと思う

ある町の小さな区域内で連続すれば

ちょっとは気になるだろうが

それほど奇異と捉えるほどのことでもない

その程度のことは

人間の世ではたびたび起こる

 

とはいえ

実際に近隣に住んでみて

赤羽まで歩いて行ってみたり

徒歩や自転車でたびたび散策してみたりした結果

神谷という地区や

ぼくの住んだ豊島という地区や

隅田川を渡ってすぐむこうの新田という地区には

独特のさびしさが土地からのぼせてきていて

あの空気の感触はなんども歩いてみないとわからない

そう悪い気がするのではないが

この世の無常を感じさせるさびしさが漂っていて

ここはこういう霊気なのだと感じさせられる

 

ぼくの住んだのは立派な洒落た公園のようなURで

そこだけちょっとした未来都市のように

人工的に清潔に作られていて快適だった

最寄りの王子神谷駅までは6分ほどで着き

そこから南北線に乗ると飯田橋まで15分

永田町も20分ほどという近さで

便利この上ない穴場のようなところだった

溜池山王も六本木一丁目も麻布十番も

乗り換えなしで一本で行けるので

そのあたりに勤めている人たちには

住むのに絶好の場所だった

物価も安いし気負った格好もしないでいいし

隅田川沿いにはたくさんの桜が咲くし

東京情緒や江戸のなごりが満喫できた

 

ところが整備されたURの地区や

東京メトロの駅周辺からちょっと外れると

神谷や豊島や新田という地区はさびしい

住宅街で家が建ち並んでいるのにさびしい

自分の住まいや駅はそうではないし

便利だし清潔だし快適だったというのに

周囲の街区はさびしい

そういう落差が王子神谷の特色だった

 

さびしいといえば

長く住んだ世田谷もさびしい土地だった

北沢も代沢も代田も本当にさびしい

最後に住んだ三軒茶屋2丁目は賑やかだったが

用事で若林や太子堂に行ったりすると

そこらもまたとほうもなくさびしい

妻とともに世田谷を捨てる決意をしたのには

住んでいたマンションが劣化していったことや

住民の質もどんどん落ちていったことが理由だったが

根本には世田谷という土地のさびしさに

どこかもう耐えられなくなったところがあった

どうせ賃貸で住むのならば

広い東京のいろいろなところに住んでみようと思い

30年住んできた世田谷をはっきりと意識して

ぼくは2009年に捨てたものだった

ちょっと大げさな言い方をしてみれば

住む地域から染み上がるさびしさや

じぶんの生き方や感じ方や考え方のさびしさを

世田谷とともに捨ててしまおうと思ったのだった

 

そうはいっても

じぶんの肌のように馴染んだ下北沢や池の上や

陸の孤島のような代田一丁目あたりや

三軒茶屋の中心部あたりをGoogleマップで見たりすると

心の引き裂かれるような懐旧の情の噴出に見舞われる

とにかく延々と歩きまわるたちのぼくには

そのあたりなら歩かなかった道はほとんどないし

目を留めなかった植物はないし

好奇心旺盛なのでちょっと奇異なものなら

なんでもマーキングして30年間を過ごしたのだ

過去から一歩も踏み出したくないほどの

徹底したパセイスト(過去主義者)なので

どこであれじぶんの過去に関わる場所についてなら

何時間でも何日でも地図や映像を見続けてしまう

アタマの中には永遠に過去の風景が広がり続けるので

地図やGoogleマップだけ見ていればいい

それらが手元になくても過去の道なら

どこをどう行ってどう曲がってどう戻ってと

ぜんぶ繋げて思い出し続けられるので困らない

無限の本や地図帳がもう意識の中にはあって

新たなものを拒むわけではまったくないものの

それら過去のものの見直しをするだけでも

何度もの転生が必要になるほど飽きない

 

 





*杉山響子『物の怪と龍神さんが教えてくれた大事なこと』(廣済堂出版、2020)

**神谷公園周辺は現在再開発中で、稲田小学校、神谷小学校、神谷中学校を統合した小中一貫校が建設されるという。「(仮称)都の北学園」が2024年完成予定とされている。

***小松方正『小松方正の霊界通信』(主婦と生活社)






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