2022年3月5日土曜日

買っておけばよかったかなと

 

  

欧明社の棚に

いつまでも売れずに

ずっと置かれていたアルバン・ミシェル版の

大判の『ジャン・クリストフ』を

店じまいにあたって

やっぱり

買って帰ることにしようか

 

そんなふうに思って

最後の月に行ってみたら

驚くなかれ

売れてしまっていた

 

買っても

おそらくしっかりは読まず

ところどころ

拾い読みをする程度だったはずなので

買えなくてもかまわない

 

しかし

幼少年期には名作と褒めそやされ

大学生の頃にはひどくバカにされるようになったこの本の

それでも

忘れがたいいくつかのページは

また

いつか原文で確認し直しておきたい気持ちもある

 

『ジャン・クリストフ』!

 

子どもの頃には児童むけの縮約本を読まされ

高校生や大学生になっても

筑摩世界文学大系の「ロマン・ロラン集」を持っていたので

この長編小説を卒業するために

たびたび読もうとしてみた

 

読んでみたというのは

その年齢ではもう面白く感じなかったためで

しかし名作だと言われているし

全訳も持っているしで

もう一度確認しようと励んで

なんとか

読もうとしてみたのだった

 

大学生になると

フランスの文学世界で

ロマン・ロランの評判がすこぶる悪くなっているのが

いろいろと耳に入ってきた

マルセル・プルーストの『ジャン・クリストフ』批判が決定的だったのだろうが

小説の主人公が

最初から天才だという前提で書かれていく

出来レース小説というのは

文学や思想の革新で煮えたぎっていた20世紀後半にあって

ダメダメ小説の模範のようになっていた

ロマン・ロランのヒューマニズムも

ナチズムに対して寛容や慈愛や理性を求めるような

国連ふうの偽善的お説教のひとつにしか見えず

純朴な少年相手ならともかく

ニーチェもサドも三島も夢野久作も『家畜人ヤプー』も視野に入ってくる

高校生や大学生にとっては

なんだか遠い花火

 

しかも

フランス語原文を覗いて見た人ならわかるが

文章が美味しくない

喜怒哀楽だの

人生や芸術についてのいろいろな(おざなりな)思いが

抽象観念だけで綴られていて

読みやすいといえば読みやすいが

なんだか中学生の作文コンテストに入賞するような

「たいへんよくできました」系この上ない

小説の文には

固有名詞を適切にまき散らし

文の長短を工夫し

改行を効果的に行ないつつ

ようするに長い詩としての文体を構築していかないと

(ジョイス!ジョイス!ジョイス!・・・)

20世紀の小説としては体を為さない

ロマン・ロランはそこのところがまるでダメで

たしかにエコール・ノルマル出の秀才で

会ってみれば気持ちのいい

好ましい人だったのだろうが

そういう人が書く作品は

20世紀や21世紀の汚辱の世界史の中を

泥をべちゃべちゃ被りながらも下品におぞましく生きのびる

したたかな文体を獲得しづらいので

やはり1970年代にはメッキが剥がれまくって

ダメダメ小説

と見られるようになっていったのである

 

『ジャン・クリストフ』のフォリオ版は

フランスの書店でもあまり棚に置かなくなっていたが

夏や冬のパリでよく通った

サン=シュルピス教会近くのプロキュール書店には

なぜか

いつもちゃんとあって

(キリスト教系の書店だから

(古風なヒューマニズム保存に努めていたのかもしれないが・・・

手に取ってパラパラめくっては

フランス語文体のつまらなさをそのたびに確認し

やっぱり買うのはやめとこう系書籍の定番となっていた

それでも

店じまいする欧明社の棚から

だれかに買っていかれて消滅したのを目のあたりにしてみると

買っておけばよかったかな

買っておけばよかったかな

こころ惹かれたりする

こころ惹かれたりし直す

 

ジャン・クリストフが列車に乗っている時

すれ違うむこうの他の列車に乗っている見知らぬ女性と目があい

非常なつながりを感じるが

もちろんそのまま別れ別れになり

話すこともなければ

ほんとうに「会う」こともない

ほんとうに「会う」こともないが

それでもつよい異様なつながりを抱き

知りあいや友人や家族のだれよりも重要なひとだったような気がす

そんな場面などが思い出される

 

確認したいのは

そんな

場面だけ

 

買っておけばよかったかな

買っておけばよかったかな

こころ惹かれたりする

こころ惹かれたりし直す

 

 




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