27歳の小柄な男が
イタリア方面軍司令官に任じられたというので
蛮勇を以て鳴るシャルル・ピエール・フランソワ・オージュロー*
じぶんより12歳下の若造めが
どんな顔を
していることやら
と
もちろん小馬鹿にしながら
司令部に出頭した
しかし
この時の
ナポレオン**との初会見を
彼はのちに
こう述懐することになる
「司令官のまなざしに接した瞬間
全身に電光が走り抜けた」
オーストリアとサルジニアの連合軍と戦うべく
ロンバルディア平野に入る前に
疲れ切り
装備も食糧も欠き
意気沈滞して敗残兵のようだったフランス軍に
若きナポレオンが行なった演説は
一気に軍隊を蘇生させた奇跡の魔法として
軍史に残っている
「兵士たちよ!
きみらには食うパンもない
着る服もない
寝るのも洞窟のなかだ
枕にするのは銃だ
なんと驚くべき勇気!
なんという貢献!
こんなにまでして
きみらは祖国のために戦ってきた
それなのに
なにをもって
政府は
報いてくれたというのか?
諸君!
しかし
これからは違う!
私がきみらを導く!
世界でもっとも豊かなロンバルディアへだ!
財宝が満ちあふれているぞ!
自由に奪い取っていい!
兵士たちよ!
しばらくは耐え忍んでくれ!
私とともにだ!
進むのだ!
私とともに!
われらは進む!
富が待っている!
栄光が待っている!
さあ
奮起せよ!」
そして
モンテノットの戦いで
オーストリア・イタリア連合軍を撃破し
敗走するオーストリア軍を
さらにロディの戦いで破る
ナポレオンは
安全なところで指揮だけしているわけではなく
みずから銃弾の中をかいくぐり
軍旗をはためかせながら
決死隊の先頭に立って
ロディ橋を強行渡河しおおせて
兵士たちから「小伍長」と尊称され
不動の信頼を勝ち取った
この後のイタリア侵攻は
フィレンツェ
ジェノバ
ミラノ
と進んで
各地でオーストリア軍を破り
やがてローマに入って
教皇ピウス7世を屈服させ
4千万フランの償金を奪い取り
300点の美術品を押収することになる
もちろん
それらは現在
ルーブル美術館の収蔵品となっている
イタリアのあとは
ウィーンに迫り
カンポフォルミ条約を結んで
オーストリアを屈服させ
フランク王国時代からの係争地である
ライン川左岸地域や
オーストリア領ベルギーを奪い
イタリア全土の支配権を得た
パリに凱旋した際には
捕虜11万5千人
奪った軍旗170
大砲1070門を伴っていた
たしかに
戦略や戦術の天才であったのは違いない
しかし
ナポレオン自身が明かしているが
不遇の時代
彼は
歴史上の名将たちのことを
くり返し学び続けていた
アレクサンダー
ハンニバル
シーザーたちの伝記は
つねに
彼の枕頭の書だった
* Charles Pierre François Augereau (1757-1816)
** Napoléon Bonaparte (1769-1821)
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