2025年9月30日火曜日

『オバケのQ太郎』放送開始こそが大事件だった


 

 

いま

日本のテレビ界で見るべきものは

なんといっても

NHK Eテレの『はなかっぱ』だろう

 

朝の午前7:207:30にやっているのを見ると

うざうざしたニュースを見るより

一日をさっぱりしたノーテンキさで過ごせるようになる

 

なにかと

偏向報道ばかりの

中国利益供与局のNHKなので

誰にも勧めたくはないのだが

『はなかっぱ』は別格である

ここには

むかし懐かしいマンガの

シンプルで

子どもふうにふざけた味わいが

こってり入っている

 

https://www.youtube.com/watch?v=wzRW50iKBBI&t=54s

 

https://www.youtube.com/watch?v=qpfTRKVnvJo

 

https://www.youtube.com/watch?v=DoFRmfCwgs4

 

 

「はなかっぱ」のあれこれを

YouTubeで見ていたら

これまた懐かしい『宇宙少年ソラン』の主題歌が

タイムラインに入ってきた

https://www.youtube.com/watch?v=cBq-9YbCx2A

 

小学校入学の時

上履き入れの袋には

この『宇宙少年ソラン』の絵が印刷されていて

彼のマスコットのチャッピーも

わきに描かれていた

 

『宇宙少年ソラン』を思い出すとなれば

もちろん『スーパージェッター』も

https://www.youtube.com/watch?v=qEdmg4wV-2k

『遊星少年パピイ』も

https://www.youtube.com/watch?v=LbXt9eZsj34

ひと繋がりに蘇ってくる

 

実写版の『光速エスパー』は

ちょっと微妙なところもあったが

もちろん

貴重なレパートリーのひとつだった

https://www.youtube.com/watch?v=ev_V7VrxVyY

 

ここまで

思い出されてくると

もちろん

王道として

1963年の『鉄腕アトム』が

輝かしく

浮かび上がってくる

https://www.youtube.com/watch?v=KGq6z1mEU9Q

https://www.youtube.com/watch?v=vpk_GfngimI

 

1963年といったら

『エイトマン』だって動画として

お目見えしていた

克美しげるの堂々たる歌いっぷりには

憧れたものだし

歌の作詞は

マエタケとして有名だった

放送作家でタレントの

前田武彦によるものだった

https://www.youtube.com/watch?v=luRA_EuMZDo

 

もっと後になってからだが

手塚治虫と谷川俊太郎(作詞)と富田勲(作曲)の

強烈なコラボ作品

『ビッグX』の歌も忘れられない

https://www.youtube.com/watch?v=CFrBGknrkeU

 

こうしたヒーロー系のマンガのかたわらで

ユーモア系の王者

『オバケのQ太郎』は

子どものあいだでは最大の定番だった

https://www.youtube.com/watch?v=CGY5sKIWIhs

まだ『ドラえもん』などいなかった頃

ユーモアひょうきん系は

オバケのQちゃんひとり勝ちであった

 

物語構成に

もっと

日常的な

世俗的な

学園的な感覚を入れてくるものとしては

『ハリスの旋風』が

ユーモアもあって

バンカラで

成功したものとしては

先駆的だったのではないか?

https://www.youtube.com/watch?v=a-GYB6wlXp8

たしか

チューインガムのハリス食品がスポンサーで

ロッテとガム市場で競っていた

ハリスのコーヒーガムなど

子どもながらに年中食べていた記憶がある

 

変身ものも

いろいろな作品に組み込まれていたが

小林亜星の作曲した

『狼少年ケン』の歌は乗りがよく

かっこよくて

すぐに暗記してしまった

https://www.youtube.com/watch?v=oLUJ0OgrpQI

 

しかし

変身ものでは

実写版にマンガを加えた1968年の『バンパイヤ』が

すさまじく印象深かった

https://www.youtube.com/watch?v=He48iBPpuRY

この歌は

なんと現代音楽の作曲家の林光が作っていて

作詞は劇作家・演出家の福田善之である

さらには

主役を演じているのが

15歳の少年だった水谷豊という点でも

記念碑的作品

というべきものだった

 

『バンパイヤ』に直結するような

おどろおどろしい実写版の作品となると

1966年からの『悪魔くん』が

すぐに思い出される

これは

少年たちにとって

悪魔学の入門に最適な

さまざまなテーマや熟語の散らされた作品で

エロイムエッサイムなどの呪文は

まずはここから日本じゅうに周知されていったものだった

https://www.youtube.com/watch?v=I1P7tEPLU38

 

https://www.youtube.com/watch?v=1_gNte6iuTU

 

https://www.youtube.com/watch?v=0OfU0g5Rf0Q

 

 

実写版のおどろおどろしさは

もちろん

『ウルトラQ』でも見事に発揮されていたが

この作品も1966年のものだった

 

そう気づき直してみると

ビートルズが来日し

三里塚闘争が始まり

東急田園都市線の溝の口―長津田間が開通し

京葉道路が全線開通し

フランスがNATO軍から脱退し

明星「チャルメラ」やグリコの「ポッキー」が発売され

「週間プレイボーイ」が発刊され

「日曜洋画劇場」が放送開始され

「笑点」が放送開始され

ウォルト・ディズニーが死に

国立劇場が開場した

この1966年の

潜在力とでもいうものを考えさせられる

 

いや

それよりも

もっと遡って

アメリカによる北爆が行われ

ベトナムへの直接軍事介入が本格化した

前年の1965年をこそ

思い出すべきか

 

日本航空は「ジャルパック」を作り

「オロナミンC」が作られ

キリンビールがはじめて缶ビールを作り

「エメロンシャンプー」が作られ

マルコムXが暗殺され

荒川放水路が荒川の奔流とされるようになり

「フジ三太郎」や「小川宏ショー」がはじまり

名神高速が全線開通し

国鉄が「みどりの窓口」を開設し

有楽町に東京交通会館が完成し

子どもにはヒヤヒヤものだった吉展ちゃん事件が起こり

小田実らが「ベトナムに平和を!市民・文化団体連合」を結成し

朝永振一郎がノーベル物理学賞を受賞し

中国で文化大革命がはじまり

東海道新幹線が東京―新大阪間で3時間10分の走行を実現し

なんといっても

『オバケのQ太郎』や

『ジャングル大帝』のテレビ放映がはじまった

1965年を

 

そう

子どもには

『オバケのQ太郎』開始こそが

大事件だった

 

すべては

Qちゃんから

はじまったのではなかったか?

 

『オバケのQ太郎』の放送開始は

829日だったので

日本の子ども界の盆踊りを席巻することになる「オバQ音頭」を

はじめて踊ることになったのは

翌年の夏だったはずだ

 

https://www.youtube.com/watch?v=9GPooX3fIc8

 

https://www.youtube.com/watch?v=aC9_Ku4DdQc

 

 

 




ああ おもしろかった!満足!満足!


 

 

ムダなことだ

他人から見えることは

多い

 

ムダな時間だ

 

ムダな一日だ

 

ムダな人生だ

 

そう評されるようなことが

いっぱい

 

ムダだったな

時間を浪費したな

だらだらと

時間を費やしてしまったな

じぶんでも

思ってしまうことは

多い

 

ところが

ある時から

こう思うことにしてみた

 

おお

ずいぶん時間が経っちゃったな

でもおもしろかった

ああ

おもしろかった

時間が経つのも忘れるほど

おもしろかった

満足!

満足!

 

これが効く

ということが

だんだん

わかってきた

 

長い時間

おもしろいことをした

おもしろいことに時間や労力を使った

判断し

自己認定して

満足!

満足!

と結論するのが

すごく

気持ちいいのだ

 

こう判断し

満足!

満足!

と結論づけるだけで

また

エネルギーがわいてくるのだ

 

だから

予定外に

ちょっと長くSNSを見ちゃったり

YouTubeを見続けちゃったりした後も

ああ!

おもしろかった!

満足!

満足!

いつも言う

 

これだけで

SNS疲れも

YouTube

たちまち吹っ飛ぶのだから

満足!

満足!






2025年9月28日日曜日

過去のなさを ただ「無い」ことを 「価値」のなさを


 

 

スプーティーが問う、

「あなたがたは、自分の(求道の)目的を達しましたか」

比丘たちが答える、

「(目的を達するというようなことはありません。)

目的というものはありえないのですから」

『宝積経』(Ratnakūa Sūtra

長尾雅人・荒巻典俊訳

 

 

 


 

 

「価値」というものは

物そのものを別尺度に変換して扱おうとすることで

つくづく罪深いものと思う

 

ある物に「価値」がある

とか

「価値」がない

とか

平気で思うようなならわしの中に

人は生まれ落ちて

あたり前に

「価値」という考え方や言葉に馴染んでしまうが

「価値」があろうが

なかろうが

その物はその物であり

そういうありかたをしているわけで

その物のありようの側から言えば

他から判定される「価値」の有る無しはどうでもよい

「価値」はつねに

他から見ての

その物の本質や実情以外のもののための使い道の有る無しであり

もともと

そして

どこまでも

疎外でしかない

 

もちろん

あらゆる「価値」論を排除するべきだ

と思うのではない

 

乗りたい電車に間に合おうとするために

残りの3分の時間を駅まで走る「価値」はある

 

しかし

その3分間の走りは

乗りたい電車に間に合おうとするためだけに特化され

存在を許される3分間の走りではない

どのように使用されてもかまわず

どのように使用されようが

その3分間の走りはその3分間の走りであり

電車に乗れようが

乗れまいが

変質することはない

電車に間に合うことを主体として

それに従属することを強いられた3分間の走りでもない

 

あれには「価値」がある

あれには「価値」がない

そういう考えや

発言を

すべて落してしまったら

この世のごくふつうの風景は

どう見えるようになるだろうか?

 

こういう好奇心だけをエネルギーにして

わたしは生き続けてきた

 

このように生きてきた者には

過去というものはない

 

こういう者には

過ぎ去った物や事は

なし遂げた物や事ではなく

業績ではなく

培った物や事でもないので

ただ「無い」

ということに等しいからだ

 

過ぎ去った者や事

そして時間

それらが「あった」と思い込みたい者たち

さらには

それらが「価値」であると信じ込みたい者たち

 

そういう者たちから

わたしは大きく逸れて

過去のなさを

ただ「無い」ことを

「価値」のなさを

わたしのありようとする







夢からべつの夢にサッと乗り換えられる術を

 

  

 

この地球上の

2025年の

日本などとはまったく縁のない夢ばかり

見る

 

そういう夢ばかり

あまりに見過ぎるので

ある時点から

この地球上の

2025年の

日本などとはまったく縁のない世界が

ほんとうに

いっぱい併行して存在しているのだ

と思うようになった

 

この地球上の

2025年の

日本などとはまったく縁のない

生き方や

ふるまい方や

慣習や

しきたりや

流行や

倫理や

マナーなどが

それらの世界にはあって

しばらくそっちのほうに合わせて生きていると

こっちの世界に戻ってきても

感覚がどうにも

うまく合わなくて困る

 

時間的に余裕のあった昨日など

13時間も眠ったが

どこかの山野の奥の大学キャンパスで

あれこれの授業を担当していた

 

中には

野球場のグリーンの端っこを教室として使う

授業もあったり

途方もない大きさの大教室に

途方もない距離を歩いて向かう

授業もあった

 

なにかの会合のために

やけに長い廊下を歩き続けて

端っこのほうにある部屋に行ったこともあった

そこから帰っていく時には

やけに長い廊下を

また

延々と歩いて帰る

 

どれだけ長いかというと

遠くに見える廊下の終わりが

小さな半導体チップほどに見えるほど遠く

歩いても歩いても着かず

20分ほど歩いてもまだ着かないような

細い細い黒い廊下を

行き続けるような

そんな長さ

そんな遠さ

 

夢のなかだというのに

思ったものだ

 

いつか

他の夢で見たように

空中を好きなようにビュンビュン飛べる

浮遊能力があったら

こんな時は

楽なんだけれどなあ

 

今後は

ある世界の夢から

べつの世界の夢へ

必要な時にサッと乗り換えられる術を

創り出すことにしよう