小さめに切りわけられた鶏肉の残りがあったので、それは根菜類の煮物にいっしょに入れるとして、これだけでは夕食には足りないかもしれないと思い、鮮魚売り場で見つけた刺身の盛り合わせか加熱用の生牡蠣か、どちらを買い足すか少し迷った末、蜜雄は、バター炒めにするつもりで生牡蠣のほうを買った。
いつものように、夕食は、ゴマと海塩を少しかけるだけのシンプルなサラダから始め、根菜類に白菜やキノコを加えた煮物、魚介類、白米か玄米、そこに、梅干を添えたり、漬物やキムチを添えたりして、食べる。小皿に味噌を少し出し、それも、箸でつまみながらじかに食べる。味噌は、味噌汁にせず、じかに食べることにしている。
生牡蠣の炒めも、バターの他は、塩とコショウをかけるだけのシンプルなやりかたにした。簡易なようだが、中まで火が通った程度で出来上がりとしたいので、フライパンに向かいながら注意を集中させる。だいたいのやりかたはわかっているものの、年中作るわけでもないので、たまにやるとなると、火加減にはおのずと気を配ることになる。
牡蠣のまわりが薄く色づいてくるのに、時間はかからない。しかし、ちょうどいいぐらいに熱が入ったかは、わかりづらい。
牡蠣そのものよりも、周囲に溶けたバターが焦げ始めるのがはやいことに、蜜雄は気づいた。フライパンにものが焦げつくのは嫌いなので、そろそろ火を止めたいが、牡蠣にはもう少し、ほんの少し、熱を加えたい。
これでよし、と判断して皿に盛った牡蠣をひとつ齧ると、ちょうどいいぐあいに火が通っていた。テーブルに運んで、牡蠣を盛った皿だけを前にして、ひとつひとつ、冷めないうちに、しかし、ゆっくりと食べていく。蜜雄はテーブルに複数の料理が並んでいるのが好きではないので、ひとりで作って食べる時には、こういうかたちになる。メインの皿に、小皿がせいぜいふたつ、みっつまで。アルコールのグラスが出ている時は、小皿はふたつまで。それ以上は耐えられない。夕食といえば、必ずたくさんの料理を一度に並べてくる母のやりかたが、蜜雄は大嫌いだった。そのため、実家で夕食をとらねばならない時には、非常なストレスを覚えた。
フライパンに焦げついたバターは、水を張っておいたら、思いのほか容易に落ちた。バターよりも、牡蠣から流れ出た汁の焦げつきのほうが落ちにくいことに気づき、牡蠣の汁というのも面白いものだと思った。
ワインなどを買った時に店がかぶせてくる紙の緩衝材を、蜜雄はよく、油で汚れたフライパンを洗うのに使う。牡蠣を炒めた後の汚れも、緩衝材の紙で擦り落した。フライパンを傷めずに洗うのにちょうどよいので、蜜雄は、瓶に付けられてくる紙の緩衝材を捨てない。ポリエチレンの緩衝材も取ってあり、これもフライパンを洗うのに使うが、水に浸けながら擦ると、こちらのほうは意外にすぐに分解して、ポリエチレンの白い紐に分かれていく。それでも、白いポリエチレンが油で黄色くなっていくので、いきなり食器洗い用のキッチンスポンジで洗い始めるより、よほどよい。
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