2022年9月21日水曜日

わたくしという秋の心に


 

 

ある程度年齢を重ねると

この世というのは

日々

ただ生きのびて

いつか死んでいけばいいところに過ぎない

わかってくる

 

功名心とか

なにか

成し遂げる気概だとか

そんなものは

どうでもいいものだったと

臓腑の奥から

体じゅうの細胞の奥から

わかってくる

 

金儲けの欲だの

出世欲だの

性欲だの

いろいろな動力があるようでも

本当に人間を社会で動かし続けるのは

承認されたいという欲求

自分の理想的な姿を見られたいという欲求

自分がここにいると知ってもらいたいという欲求で

ようするに

子どもが持つそのものの欲求でしかない

 

バカでないかぎり

こうした欲求を叶えるためにムリし過ぎて動くのは

さすがに

あまりに愚かなことと

いい歳になれば

わかってくる

 

なるべく早くから

爺むさく

ご隠居さながらに落ち着いて暮らせ

と言いたいのではない

落ち着かずに

世の中のあっちこっちを

フラフラ見てまわるような生き方でいいと思う

思うが

あっちこっちに純粋に興味を惹かれて

ほんとに面白くって

フラフラ見てまわっている

というのが望ましい

 

SNSなどで気ぜわしい現代となったが

あちこち見まわしていると

中高年になっても

見て!見て!わたし!系がワンサといて

どうして

こうも

子どもじみてしまっている大人が多いのか

と思うが

それが時代というものかもしれない

そういう時代なのかもしれない

 

見て!見て!わたし!

とプレゼンしてくる人たちのありようを

日々

ボーッと見たり

短時間でササッと見飛ばしていったりするわけだが

なんと大人げない…

などと思ってあきれることは

それでも

あまりなく

幼いなあ…とか

そんなに存在確認してほしいか?とか

思ったりはするものの

そう悪く思うわけでもなければ

そう不快に受けとるわけでもないところが

わたくしのひとのよさかもしれない

物好きなところかもしれない

キャベツ畑なんかに行くと

モンシロチョウがちらちら舞っていて

二羽が近づいて睦みあって

交尾しようとしたりする

あれあれ

あんなことをしようとしていて

なんと元気なこと

なんと楽しそうなことと

しばし見続けてしまったりするが

SNSなんかで人びとが舞い続けるのも

そんな光景と似ている

見方によってはどれもこれも歌で

古今集の序にある言葉を思い出させられる

花に鳴く鶯

水にすむ蛙の声を聞けば

生きとし生けるもの

いづれか歌を詠まざりける

 

とはいえ

歳を重ねてくると

承認されたいという欲求

自分の理想的な姿を見られたいという欲求

自分がここにいると知ってもらいたいという欲求

など

など

など

どれもむなしく

はかなく

そんな欲求に突き動かされて

時間や金や労力を蕩尽して

なにごとか

“自分”なるものの表象を世間に対して打ち立てようとしても

ほぼすべて

数ヶ月か数年のうちに

砂浜の足跡さながら

まことにきれいに消し去られていくのが

身に染みて

わかってしまっている

運よく数年ほど世間に痕跡が残ったとしても

十年や二十年も経つと

もうすっかりべつの時代となっていってしまい

それでもなおも残っていくものは

どういうぐあいでか

そのもの独自の価値とは異なったものの作用によって

すでに古典らしきものに

なりおおせる過程に入ったものしかない

さらに三十年や四十年経つと

もちろん

またまた様変わりしていってしまうのだが

 

わたくしのまわりには

たくさんの創作家たちがいて

美術家がいて

批評家たちがいて

研究者たちがいて

写真家たちも

ダンサーや舞踏家たちもいた

かれらの個展や発表会がない月はなく

呼ばれては

時間を割いて出かけていって

さほどたいしたこともない作品ひとつひとつの前で講釈を聞かされ

きまって新しい出会いもあって

夜は飲み会となった

よく下北沢で会った若き女性写真家などは

持ち出す機材があまりに多くて重いので

自転車の後ろに手製の小リヤカーをくくりつけて

これに全部載せて

東京中を走ってまわっていると言っていた

 

こういう人たちとは

出会ってから

数ヶ月

数年

つき合いは続いていく

しかし

毎回の個展や発表会に行くわけでもなくなると

だんだんと

十年も経つうちには

いつのまにか

案内が来なくなり

音信不通になってかかわりは消えていく

 

ぶっきらぼうな言い方をすれば

中年になると

たいてい

人びとの創作活動は放棄されていく

結婚しても

結婚しなくても

子どもができたりすれば

さらに放棄されていく

子どもができてからは

生活費を稼ぐ仕事をしないといけないということで

さらにさらに放棄されていく

そうこうしているうちに

体調不良

病気

家族の病気

家族間の不和

などが到来してきて

さらにさらにさらに放棄されていく

そうした椿事を吸収し栄養とする創作活動は

すこぶる自然主義的な小説創作ぐらいしかないが

そういう時代でもなければ

檀一雄でも太宰治でもないので

さらにさらにさらにさらに放棄されていく

 

こうして

ザッとふり返っても

二〇〇人は下らなかった知りあいの創作志望者たち

わがボエーム時代の仲間たちは

東京の空の下

どこかに影をひそめてしまい

彼らが関わっていたジャンルの情報をときどき見ても

どこにも彼らの名は上がってこない

 

むかしむかし

フランス語の勉強のために習いおぼえて

ときどき口ずさんだ

シャルル・トレネの『詩人の魂』などが

あゝ

いまは

なんと切実に

わたくしという秋の心に鳴ることか!

 

ずいぶん ずいぶん ずいぶん

経ってしまった 詩人たちがいなくなってからというもの

それでも かれらの作った歌はいまも街に流れる

ひとびとはうろ覚えにそれらを歌ってみたりしている

 

作者の名前なんか知りもせず

作者の心が誰にときめいたのだったかも知らずに。

ときどきは言葉や文を変えてみたり

歌詞を忘れてしまったりすると

 

ごまかして歌ってしまうのだ ラララララ ラララララララと

ずいぶん ずいぶん ずいぶん

経ってしまった 詩人たちがいなくなってからというもの

それでも かれらの作った歌はいまも街に流れる

 (……)

 

Longtemps, longtemps, longtemps
Après que les poètes ont disparu
Leurs chansons courent encore dans les rues
La foule les chante un peu distraite

En ignorant le nom de l'auteur
Sans savoir pour qui battait leur cœur
Parfois on change un mot, une phrase
Et quand on est à court d'idées

On fait la la la la la laLa la la la la la
Longtemps, longtemps, longtemps
Après que les poètes ont disparu
Leurs chansons courent encore dans les rues*

   ……

 

 

 

*Charles Trenet  L'âme des poêtes (Longtemps, longtemps, longtemps)

https://www.youtube.com/watch?v=8JqZ2iez7Xs






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