他人とのコミュニケーションには
なんの意義もない
精神の乗り物である肉体をしばらく維持するためには
なるほど
物質的な必要物を得なければならない
そのための最低限の言語・身振りがなされる必要はあるだろう
しかし
それ以上のコミュニケーション志向は
かえって混乱を生む
誰であれ
本気でまじめに反省してみれば
他人とのコミュニケーションは虚妄と偽りによってのみ
つかのま構築されている幻の城である
ごくごく日常的な
「どちらに行かれるんですか?」
「ええ、ちょっとAまで」
「いいですね。今ごろAはきれいでしょうね」
という会話で
相手はAに行楽に行くあなたを想像し
あなたのそういう面をあなたの人間像に加える
しかし
あなたはAにはじつは行かず
Aの近くのA-b-cに本当は行くのであり
そこでは複数の性的異常者が集まって乱交パーティーが催される
あなたは単なる参加者ではなく主催者であり
多額の儲けが期待できることになっている
参加者の中には有力な政治家の子息たちがいて
あなたはビデオで彼らを盗み撮りし
政界に大がかりな恐喝を仕掛けていこうとしている
「どちらに行かれるんですか?」
とあなたに聞いた相手のほうでも
以前からあなたの家の庭に忍び込んでは
幼児殺人の趣味の遂行で殺した複数の死骸を
あなたがめったには足を踏み入れさえしない場所に埋めている人物
あなたがAに行楽に行くと聞いたのを幸い
国際的な幼児調達組織からまた数人の幼児を仕入れて
今夜から明日あたりにひそやかな祝宴を行なおうと心を高鳴らせて
だからあなたはこの人物に聞かれることになる
「何日ほど行かれるんですか?」
これが
世間一般でよきこととされ
たいそう価値付けられ喜ばれている
コミュニケーションなるものの実態である
だから
このようなものを重視せず
ただ物質界のこの地上生活の条件を体験することだけに
せいぜい注力せよ
と覚者たちは言うことになる
死の瞬間まで
物質界の地上生活の条件の体験は
純粋に意識に与えられ
生そのものとなる
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