人生は祭りだ。みんなで生きよう。私にはそれしか言えない。
フェデリコ・フェリーニ『8 1/2』
映画監督のジャン=リュック・ゴダールが死んだことのほうが
このところバタバタ死んだ政治界の連中よりも
もちろん重大に違いないし
自殺幇助と呼ぶそうだが
助けを受けての安楽死自殺だったことも
ほんとは
はるかに話題となってしかるべきことに違いない
とはいうものの
なんせ歳が歳で91だから
そりゃあ
いろいろ疲れるでしょ
そろそろ死ぬよ
おれ
と思っても
それは
それ
おかしくはない
そもそもが
A bout de souffle(『勝手にしやがれ』の原題)で
映画つくりを始めた人だったし
A bout de souffleは
「息切れしちゃって‥」ぐらいの意味だから
撃たれて
走って逃げて
もうちょっとで大通りに出られそうだったジャン=ポール・
ついに
息切れしちゃって
崩おれて
倒れた
というところか
このところ
天誅にあって死んだ(とされる)やつのことで
国葬とかなんとか
うるさくて
かたや
ユーラシア大陸の極西の島国では
ホントの国葬にふさわしい死まであって
そんな中
ゴダールならば
あながち人類文化葬か
それとも
フランスとスイスの二重国籍を強引に押さえつけて
マクロンのやつ
フランス国葬に持って行こうとするか
そこまで行かずとも
ジャン=ポール・ベルモンドにしたように
フランス政府主催のアンバリッドでの葬儀をやらかすか
なんて
思っちゃう
ゴダール好きを標榜して
評論とかエッセーを書いてお高くとまる連中は大嫌いだが
ゴダールの映画は個人的には
つまらなさも
ありふれたダサさも含めておもしろいので
DVDはほぼ全部買って持っている
大学ではトリュフォーやゴダールについて授業もやっていた
べつに専門研究者でもないのに
買い集めた資料もけっこう多くて
まだぜんぶ読めていない
初期の映画をやたら褒める人が多いが
ぼくは『パッスィヨン』や『カルメンという女』
『ゴダールのマリア』や『右側に気をつけろ』や
『ゴダールの訣別』や『フォーエヴァー・モーツァルト』あたりは
毎年数回見ないと調子が悪くなる
もちろん『軽蔑』のあの決定的な顕現のしかたも
いつも手元にDVDがないと
ニャッポン列島なんかに島流しされた身を持ち堪えるのが
どうしたってむずかしくなる
この頃は
やっぱり川島雄三は天才だとか
成瀬巳喜男ときたら
とか
関東大震災の際に大杉栄や伊藤野枝や子供を殺して井戸に遺棄した
あの甘粕正彦陸軍大尉の自殺に
満州で立ち会った
内田叶夢の『飢餓海峡』の凄さ
とか
思ってばかりいるが
それらが脳に絡まってくる前に
なにより
ゴダールの映画があったのだった
91歳で
疲れはてて
もう
死んじゃうから
ってのも
わかるにはわかるが
軽いハンディカムを手にとって
震えながら
映像を撮り続けてくれたら
よかったのに
と
思ってしまう
天下のゴダールが
そんな
揺れ揺れ映像を残すわけにゃいかんって
と
思うのだったら
それ
もう
ゴダールじゃない
だいたい
『勝手にしやがれ』のあの揺れ揺れ映像
あれが
あの映画ではよかったんじゃないの
あれ以外には
いいとこ
なかったよ
はっきり言って
とはいえ
その後は大監督になったオレだし
って思うなら
それ
もう
ゴダールじゃない
だから死ぬことにしたのかもしれないけど
揺れ揺れ映像撮って
なにからなにまで
ダメダメ映像と音声にしちゃって
編集なんて
もうしなくって
監督名も
元ゴダールとか
元ゴダルとか
そんなふうに自称しちゃったりできたら
ぼくらは元ゴダとか
モゴダとか
呼んじゃって
わあわあ大歓迎したりしたんじゃないかと
思う
思うね
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