ロバート・ケネディ・Jr.が
トランプ第2政権の保健福祉長官に就任し
その際に
「子どもの健康を取り戻すために全力を尽くす」と誓い
トランプ大統領も
「彼は“アメリカを再び健康にする”
と期待を語った
ロバート・ケネディ・Jr.は
トランプ大統領がUSAIDの解散を発表した日
彼に感謝の電話をした
とも語ったが
現在大問題となっているそのUSAIDは
そもそも伯父のジョン・F・ケネディ第35代大統領が
1961年に設立したものだった
人道的目的のために作られたにもかかわらず
「それは軍産複合体に奪われ
全世界で全体主義と戦争を広める恐ろしい存在になった」ため
ロバート・ケネディ・Jr.は
USAIDの解散に感謝したのだった
ロバート・ケネディ・Jr.は
法律を学ぶ前にハーバード大学で歴史と文学を学んでいるが
『人類を裏切った男 巨大製薬会社の共謀と医療の終焉』
(The Real Anthony Fauci)
という大著を書いて
アンソニー・ファウチを徹底的に告発できたのは
こうした文系の感性と好奇心を持っていたおかげだろう
この大著だけでなく
食の安全への継続的な関心と活動を見ても
強い意思力と倫理感の持ち主であることは推測できる
そういう点で
やはり
彼の父のロバート・ケネディが思い出される
兄のジョン・F・ケネディ大統領の時に司法長官に任命され
特にマフィアをはじめとする犯罪組織の撲滅に力を注いだ
ジョン・F・ケネディが暗殺された後のジョンソン大統領時代には
上院議員となって貧困の撲滅や黒人問題や人種問題に注力した
現在は腐敗と世界破壊の代名詞となった
アメリカの民主党のよき時代の代表者だった
誰もが知る通り
ロバート・ケネディは1968年6月
カリフォルニア州の予備選挙に勝利した後
ロサンゼルスのアンバサダーホテルでの祝勝会の演説直後に
頭を銃撃されて死亡した
兄は46歳で射殺されたが
ロバート・ケネディは42歳で射殺された
古代ローマの政治家のうちの
政治への理想に燃える人物を思わせるような
兄弟の死だった
政治家に関しては
伝えられることを素直に信じたり
尊敬したりするのは
情報弱者という意味で馬鹿というべきだろうが
少年時代にロバート・ケネディの死の報に接し
いろいろと聞いたり読んだりしたわたしは
政治家の中では尊敬したくなる正義の過激派として
ロバート・ケネディを見るようになった
彼がギリシア悲劇を愛読し
自分の運命をそこに読み取っていたというのも
非常に心に残った
ロバート・ケネディの言葉のいくつかは書き止めて
手元に持ち続けている手帖に
今でも残してある
命というものは
意味がある時に使ってはじめて価値あるのだ
新しいアイディアや冒険に恐れおののき
人類共通の問題に無関心を装い
今日の生活に満足している人間に未来はない
若さとは
人生における一定の期間ではなく
心の状態である。
それは意志の強さであり
創造力のたくましさであり
勇気であり
快楽よりも冒険を愛する心…
そして
昨日の失敗を
今日の惨めさの口実にしない
弾力性だ
絶望と迫害に甘んじ希望を捨てた人間は
革命など起こしはしない
民主主義とは
決して最終的に成就されるというものではない。
それはつねにダイナミックな挑戦であり
努力の継続であり
日々新たなる奉仕であり
各世代の必要性に応じた目的を作り出す
プロセスにすぎない
これらロバート・ケネディの言葉は
青年の心を持ち続けている人の言葉であり
社会変革の可能性を信じる者の自己鼓舞の言葉であり
人類の善性とよき未来を信じる者の言葉である
今のわたしは
これらの言葉にまったく心を動かされないし
人間洞察のまったく足りない者が吐く
儚い夢の言葉としか見えない
しかしながら
こんな言葉を語りながら若さを駆け抜けた人の
貴重さと清々しさと
なによりも勇気とエネルギーを
快く感じ続ける
そして
こんなエネルギッシュな父を持つことのできた
ロバート・ケネディ・Jr.を羨ましく思う
殺されたロバート・ケネディが
愛読していたギリシャ悲劇になにを読み取っていたか
それはわからないが
ヴァルター・ベンヤミンの「運命と性格」の
やや難しい一節を
ここで
思い出しておこう
ギリシャ古典に見られる運命思想の形象化においては、
ある人間に与えられる幸運は、
彼の潔白な生活経歴を確証するものとはまったく考えられておらず
もっとも重大な罪過である不遜へ、
人を誘うものとして把握されている。
(…)幸福とはむしろ、さまざまな運命の連鎖から、
また、固有の運命の網から、
幸福な人を解き放つものに他ならない。
ヘルダーリンは、至福の神々を
いたずらに「運命なき」と形容したのではなかった。
幸福は潔白と等しく、
人を運命の圏外へと連れ出すものなのである。
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