法然の言葉として
『一言芳談』に
次のものが引かれている
念仏の義を深く云ふことは、かへつて浅きことなり。
義はふかからずとも、欣求だにも深くば一定往生はしてん。
念仏の意味を深く語ろうとするのは
かえって
浅い行為というべきである
深い意味がわからずとも
仏の道を求めようとする心が深ければ
かならずや極楽往生できよう
だいたい
このように解して
よいだろう
いい言葉だと感じ
読んだあと
心に残っている
念仏は
意識研究と
意識のモード設定のしかたと
さらには意識運用の実践を導くテキストであるから
本来
念仏の意味は
深く正しく理解するべきである
しかし
法然が対峙していたのは
机を前にして
経典の熟読や沈思黙考する余裕のある学僧ではなく
日々の生活に追われる学のない民だった
生活に追われるどころか
貧苦や病や戦乱にたえず脅かされる人びとで
彼らには「念仏の義」を深めよと求めても
不可能なのはわかりきっていた
「念仏の義」が理解できようと
できまいと
人は貧苦にあえぎ
病に倒れ
いくさに巻き込まれて死んでいく
意味などわからなくていいから
南無阿弥陀仏
と唱えるだけでいい
それだけで往生できるから
と教えたところに
法然の画期的な救済力があったが
身体的に追い詰められた人びとには
たしかに他の救済方法などない
頭脳明晰で
多くの経典を深く読み極め
立派な精神を鍛え上げた学僧でも
もし身体的に追い詰められれば
せっかく積んだ学識も
有効に思い出して活用する体力も知力も
残っていないはずだろう
そもそも道元も
「大宋国の叢林も
一師の会下の数百千人の中に
まことの得道得法の人は
わづかに一人二人なり」*
と言っている
宋の天童山のような大叢林では
何百人から千人近くも修行しているが
本当に悟りを開く人は
その中でも一人か二人しかいない
と言うことで
学問的な仏教探求と悟りとの矛盾を
はっきりと語っている
学問的経典研究が
必ずしも悟りに結びつかないことから
道元はただ坐ることへ向かい
法然はただ南無阿弥陀仏を唱えることへ向かった
両者に共通しているのは
知性と思考を放棄することであり
それらを最大の拠点として巣食い続ける自我意識を
坐禅と念仏によって破壊することである
瞬間的にであれ自我意識が破壊されれば
その時には「我」の死があり
「我」の死によって「我」でないあらゆるものが
「我」で埋められていた場に流れ込む
そもそも「我」はどんな時でも
「我」でないものに変貌しようと望むものなので
「我」が消滅した時こそ最も「我」になるのでもある
衰弱のはてに死にゆく時や
戦乱に巻き込まれて切られて死にゆく時には
すでに坐禅する体力もないので
念仏のほうが有効であろう
深い解釈などどうでもよいから
南無阿弥陀仏だけ心の中でかろうじて唱えられれば
混濁した思念の薄まりゆく中で
猶もこびり付くように残る「我」を
この念仏の音の響きのうちに昇華させてゆけるだろう
多くの辞書や事典や注釈書を使いながら
精神を集中させて導き出した解釈など
そこには正確に精妙には蘇って来ないだろう
法然の優越性は
おそらく彼が実地にたくさん出会ったはずの
人が体力も知力も理性も使えなくなってしまう最期の瞬間に
最も効力を発揮しうる唯一の方法だけに賭けたことにある
そしてまた
そうした最期の瞬間が来る前から
「我」というものの死を
南無阿弥陀仏の念仏によって経験しておけ
という勧めでもあっただろう
*『正法眼蔵随聞記』第二の十四
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