2025年2月7日金曜日

花田清輝だったらこうかわすぞ


 

 

東京に住んでいる若いフランス人女性の

生活の一端だの

東京観だのを紹介する

YouTube動画を見ていたら

聞き手のフランス人男性が

日本のいいところと

よくないところを質問している場面もあって

よくないところについての回答が

めずらしく本音を語れているな

と思った

 

日本人と話していて

なによりもストレスに感じるのは

相手を批判したり

皮肉まじりに軽くバカにするような会話が

日本人相手だと一切できないことだ

と彼女は言っていて

これには

なるほどな

とずいぶん納得がいった

https://www.youtube.com/watch?v=HRzzg4yEqb0&t=233s

 

議論したり

エスプリの利いた皮肉や批判で

相手の考えや価値観をいたぶったり

親しみの表現としてバカにしたり

という会話術は

フランス人の最も好むところで

イギリス人にもあるし

アメリカ人などでも都会の人たちは

年がら年中やっている

 

フランス人の場合

朝から晩まで議論や皮肉や批判が生き甲斐なので

これをフルにやれない相手といると

徹底的に鬱になってくる

いつも人当たりよく

褒めあげる系のおしゃべりを演出するというのは

ほぼ拷問に近い

 

これはわたしの世代までの日本人でも

ことに文学部系の人間には共通する趣味や作法や娯楽で

目の前に人がいれば

とにかく議論を吹っかけてケンカに持ち込む

しかしユーモアと皮肉と教養と才気をたっぷりぶち込んで

なに青筋立ててヨシモトリュウメイしてんだよ

花田清輝だったらこうかわすぞ

などとやり合うのが

わたしなども三度の飯よりも好きだった

 

こういう流儀が急速に忌避されるようになったのは

2000年に入ってからではなかったか?

なぜか世間が急に取り澄ました表層的な上品路線になり

フローベールが必死に戦ったような偽物ブルジョワ化が募った

おだやかないい子ぶりが必須となり

どんなバカや悪人に対しても悪く言ってはならず

社会全体で甘え切ったアフタヌーンティー会話しか許容されず

真綿で首を絞められるというのはこういうことかと

じつに気味の悪い雰囲気が蔓延していった

 

それとともに煙草があちこちで禁止されていくようになり

わたしなどはつねにゴロワーズやジタンをバッグに入れていたもの

ほとんど吸わないので煙草禁止にもまったく困らず

どうせ月に一本ぐらいしか吸わないのならば

いつも煙草を携帯している義務をさっぱり捨て去って

かえってセイセイしたものだった

それはともかく

煙草に対する抑圧運動というのは

社会が上っ面の疑似丁寧ブルジョワ社会になっていくことの

現象面のひとつだったように感じられる

 

エスプリの利いた皮肉や批判で

相手の考えや価値観をいたぶったり

親しみの表現としてバカにしたり

議論につぐ議論を朝まで続けたりということの

いちばんできない人間たちの集まりは

驚くなかれ

詩人たちの集まりで

とにかく相手を褒めたり

寛容でおだやかなやさしい青年や中年や老年を演じたり

相手の近作について感極まったように語る技巧の披露ばかりで

気持ち悪いことこの上なかった

中原中也がなにかというと酒に悪酔いしてケンカを吹っかけ

相手の身体にドスッと拳を突き入れて

「中原さんのお突きを見たか!」

などと凄む癖があったのを大岡昇平が書いているが

そんなエピソードが羨ましくなるぐらい

詩人たちのフニャフニャした集いは気色悪かった

ランボーがパリの詩人たちをバカにして

酒場でおしっこを引っかけまくったという

本当か嘘かわからないような逸話もあるけれど

そのぐらい過激な連中がいっぱいいてほしかった

 

もっとも

表面はおだやかで寛大なふうに装いながらも

団塊の世代から上は

酒に酔ったりすると内なる激烈さと暴力性が破裂することもあって

どんなに酒を飲んでも

ニコニコしながら相手をバカにでき

いくらでも議論できるわたしには

待ってました!

という瞬間の到来となることもあった

 

ごく内輪の飲み会だったので

世間的には知られるよしもないのだが

下北沢の飲み屋に集まって飲んだ際

詩人で評論家の桐田真輔と

詩人の関富士子が激論をしてケンカになったのは

わたしには大いなる見ものだった

桐田真輔はその頃

じぶんではあまり詩を書かなくなっていて

わたしたち他人の詩を評することが多くなっていたが

関富士子は彼の取り上げようや批評に不満を持っていて

ひょんなことから大激論に発展した

関富士子が泣き出すに至って

ふだんはお上品にお社交している詩人たちも

一皮剥けばグツグツだな

とわたしはけっこう楽しんでしまった

 

この時の

「桐田真輔vs関富士子、下北沢の大決闘!」の際には

楚々としたお嬢様っぽさのあった枝川里恵も同席していて

この「大決闘!」の後

「桐田さんと関さん、大丈夫なんでしょうか?」

と連絡をくれるようになり

その後ずっと年賀状などやりとりし続けることになった

 

伊東市の大室高原に引っ越してからも

枝川里恵からの連絡は絶えず

温暖なのんびりしたところでゴージャスに生活しているのだろうな

と勝手に想像して

裕福な人は違うものだと思ってきたが

今年ははじめて

枝川里恵から年賀状は来なかった

 

なにを語るともなく

気の利いた文言を書くでもない

枝川里恵との数十年続いた年賀状のやりとりも

たぶん

今年で終わった






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