東京に住んでいる若いフランス人女性の
生活の一端だの
東京観だのを紹介する
YouTube動画を見ていたら
聞き手のフランス人男性が
日本のいいところと
よくないところを質問している場面もあって
よくないところについての回答が
めずらしく本音を語れているな
と思った
日本人と話していて
なによりもストレスに感じるのは
相手を批判したり
皮肉まじりに軽くバカにするような会話が
日本人相手だと一切できないことだ
と彼女は言っていて
これには
なるほどな
とずいぶん納得がいった
https://www.youtube.com/watch?
議論したり
エスプリの利いた皮肉や批判で
相手の考えや価値観をいたぶったり
親しみの表現としてバカにしたり
という会話術は
フランス人の最も好むところで
イギリス人にもあるし
アメリカ人などでも都会の人たちは
年がら年中やっている
フランス人の場合
朝から晩まで議論や皮肉や批判が生き甲斐なので
これをフルにやれない相手といると
徹底的に鬱になってくる
いつも人当たりよく
褒めあげる系のおしゃべりを演出するというのは
ほぼ拷問に近い
これはわたしの世代までの日本人でも
ことに文学部系の人間には共通する趣味や作法や娯楽で
目の前に人がいれば
とにかく議論を吹っかけてケンカに持ち込む
しかしユーモアと皮肉と教養と才気をたっぷりぶち込んで
なに青筋立ててヨシモトリュウメイしてんだよ
花田清輝だったらこうかわすぞ
などとやり合うのが
わたしなども三度の飯よりも好きだった
こういう流儀が急速に忌避されるようになったのは
2000年に入ってからではなかったか?
なぜか世間が急に取り澄ました表層的な上品路線になり
フローベールが必死に戦ったような偽物ブルジョワ化が募った
おだやかないい子ぶりが必須となり
どんなバカや悪人に対しても悪く言ってはならず
社会全体で甘え切ったアフタヌーンティー会話しか許容されず
真綿で首を絞められるというのはこういうことかと
じつに気味の悪い雰囲気が蔓延していった
それとともに煙草があちこちで禁止されていくようになり
わたしなどはつねにゴロワーズやジタンをバッグに入れていたもの
ほとんど吸わないので煙草禁止にもまったく困らず
どうせ月に一本ぐらいしか吸わないのならば
いつも煙草を携帯している義務をさっぱり捨て去って
かえってセイセイしたものだった
それはともかく
煙草に対する抑圧運動というのは
社会が上っ面の疑似丁寧ブルジョワ社会になっていくことの
現象面のひとつだったように感じられる
エスプリの利いた皮肉や批判で
相手の考えや価値観をいたぶったり
親しみの表現としてバカにしたり
議論につぐ議論を朝まで続けたりということの
いちばんできない人間たちの集まりは
驚くなかれ
詩人たちの集まりで
とにかく相手を褒めたり
寛容でおだやかなやさしい青年や中年や老年を演じたり
相手の近作について感極まったように語る技巧の披露ばかりで
気持ち悪いことこの上なかった
中原中也がなにかというと酒に悪酔いしてケンカを吹っかけ
相手の身体にドスッと拳を突き入れて
「中原さんのお突きを見たか!」
などと凄む癖があったのを大岡昇平が書いているが
そんなエピソードが羨ましくなるぐらい
詩人たちのフニャフニャした集いは気色悪かった
ランボーがパリの詩人たちをバカにして
酒場でおしっこを引っかけまくったという
本当か嘘かわからないような逸話もあるけれど
そのぐらい過激な連中がいっぱいいてほしかった
もっとも
表面はおだやかで寛大なふうに装いながらも
団塊の世代から上は
酒に酔ったりすると内なる激烈さと暴力性が破裂することもあって
どんなに酒を飲んでも
ニコニコしながら相手をバカにでき
いくらでも議論できるわたしには
待ってました!
という瞬間の到来となることもあった
ごく内輪の飲み会だったので
世間的には知られるよしもないのだが
下北沢の飲み屋に集まって飲んだ際
詩人で評論家の桐田真輔と
詩人の関富士子が激論をしてケンカになったのは
わたしには大いなる見ものだった
桐田真輔はその頃
じぶんではあまり詩を書かなくなっていて
わたしたち他人の詩を評することが多くなっていたが
関富士子は彼の取り上げようや批評に不満を持っていて
ひょんなことから大激論に発展した
関富士子が泣き出すに至って
ふだんはお上品にお社交している詩人たちも
一皮剥けばグツグツだな
とわたしはけっこう楽しんでしまった
この時の
「桐田真輔vs関富士子、下北沢の大決闘!」の際には
楚々としたお嬢様っぽさのあった枝川里恵も同席していて
この「大決闘!」の後
「桐田さんと関さん、大丈夫なんでしょうか?」
と連絡をくれるようになり
その後ずっと年賀状などやりとりし続けることになった
伊東市の大室高原に引っ越してからも
枝川里恵からの連絡は絶えず
温暖なのんびりしたところでゴージャスに生活しているのだろうな
と勝手に想像して
裕福な人は違うものだと思ってきたが
今年ははじめて
枝川里恵から年賀状は来なかった
なにを語るともなく
気の利いた文言を書くでもない
枝川里恵との数十年続いた年賀状のやりとりも
たぶん
今年で終わった
0 件のコメント:
コメントを投稿