2025年2月19日水曜日

去っていく幼稚園のお砂場をふり返るような


 

  

 

わたしは思った

さようなら、自我、死すべき妹、むなしい像よ、と

ポール・ヴァレリー『若きパルク』

 

 

 

 

詩というのは

言語表現の極北を意味する

最高度の美と真と存在度の出現を意味する

 

なので

「詩を書いています」

「詩を書きました」

「これがわたしの詩です」

などという表明は

よほど傲岸で

無知で

愚かで

狂っている者しか

できない

 

しかし

文芸史において

言語表現の極北の現われやすい形式を

とりあえず

と呼んでおく流れはあったので

その形式や

それに近い形態のものを

便宜的に

と呼ぶことは行われている

 

傲岸でもなく

無知でもなく

愚かでもなく

狂ってもいない者ならば

「詩形式をわたしは使って書いてみました」

程度の表現にするはずであろう

 

そして

「詩を書いています」

「詩を書きました」

「これがわたしの詩です」

などと吐く者たちへは

これ以上にないほどの軽侮の念を抱くか

汚いものに対して人がするように

たんに目を逸らすか

するだろう

 

さて

 

詩形式

というのは

なかなかおもしろい

 

おしゃべりしたり

散文を書いたりするのより

単語数を少なめにし

改行を多くし

表現は散文におけるより粗雑にし

その粗雑さのなかに

逆の繊細さをたっぷり盛り込む


あえて大げさに表白したり

正確さをないがしろにして言い切ったり

通俗さに攻撃をしかけるかと思えば

それにわざと寄りそってみたり

俗謡を利用して形而上学的な意味に達しようとしたり

形而上学的な思索を

逆に劣悪なレベルに落とし込んで

言葉や思考の限界を露呈させようとしたりする

 

音数や韻律に凝るかと思えば

それを無視して

意味やイメージによる韻律に挑んでみたり

幼児の落書きのような

単語のぽつぽつとした羅列に

至上の美を見ようとしたりする

 

そうして

人界の言語というものが

結局は

どこまで行ってもただのお遊びであり

たわむれであり

現象界を去る舟に乗るまでの

ただの暇つぶしに過ぎないことが

物質的なまでに

染み通るようによくわかってきて

いやおうもなく背が伸びて

去っていく幼稚園のお砂場をふり返るような

ちょっと成長した

少年少女のような心持ちに

詩形式は

させてくれる

 

ようこそ!

言語なき境域へ!

表現を捨てた境域へ!

コミュニケーションの消滅した境域へ!

思いも感情も霧散した境域へ!

 





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