スマホだのタブレットだのPCだの
調べものをしたり
ニュースを見たりするのには便利だが
AI仕込みのものというのは
こちらの反応を記録し
分析し
カテゴリー化し
こちらがどんな人間かを決めつけて
こちらの喜びそうな
求めていそうな情報を
積極的に提示し続けてくるようになる
そこが
AIのシステムに見透かされているような
決めつけられているような感じで
ふつうの人間はちょっと嫌な気持ちになる
わたしとしては
これを
AIさんのおもいやり
と捉えてみることにしている
ご親切に
いつもありがとうね
と思っていれば
AIもなんだか人間的に思えてくる
ウイーンなどの名カフェなどは
馴染みの客が入ってくると
注文もしないうちから
客がいつも取るものを出してくると聞くし
吉野家の本店などは
毎日のように来る忙しい客に
注文も受けないのに
やはりいつもの出しものを出すらしい
かける汁の量など
細かいところまで把握していてそれを出す
いわゆる「人間的」とか「温かい」というサービスは
じつはAIを先取りしていたわけだし
逆に言えばそういうサービスを自動化しようとして
AIの設計者たちは努力したわけだろうから
昨今の利口すぎるAI さんたちの働きに
いちいち不安がったりする必要もないのだろう
そもそもAIと関わる部分は
買い物やものの調べなどに限られているわけで
そんなものはこちらとしても
もともとある程度型に嵌まった欲求しか持っていなかったのだし
そういう部分はカテゴリー化されてかまわない部分でもあった
最初からこちらもかなりの程度はロボットだったのである
ときどきはいつもの欲求とは違うものを求めたくなるのが人間だが
それだってかなりの部分はもともと型に嵌まった気まぐれに過ぎな
だいたい自分の外部から物を買おうとする時点で
すでにこの自分にはたいした個性などないと反省しておくほうがい
ちょっと高所から自分を眺めてみれば
牧場に散って草を食んでいる子羊の一匹にしか見えないだろう
さらにはゲージに並べられて卵を生まさせられている鶏や
食肉処理場に運ばれて行く鶏や豚や牛ぐらいの
ほんのちょっとの個体差しか自分にはないはずだろう
個性個性個性…とか
独自性独自性独自性…とか称揚される時代を生きてきて思うのは
どちらにどう転んでも
どう深入りしても
どう暴れまくっても
人間の個性とか独自性などというものは
まず
たいしたものではない
ということだ
ほんのちょっと地球から出ただけで
特別な機材がなければバッハもモーツァルトも聞こえなくなるし
ピカソもダ・ヴィンチもクレーも百済観音も
もちろん見れない
地球から離れてしまえば
それらのおもしろさを語ろうにも相手がいない
大宇宙のほとんど誰も人類の作ったものを知らないし
興味も価値も共有はしてくれない
首を切られて鶏肉にされるような
個性も独自性もない存在であることを受けいれて
つかの間の時間
呼吸をしたり
温度変化を感じたり
体内での消化の様子を感じたり
肌が痒かったり乾燥したりするのを感じたりしておくだけのほうが
よほど宇宙存在的ではないか
と思えてならない
そんなの堪えられない
許せない
という人には
こう
聞きたい
あなた
いま居る場所に
数十年前や
数百年前にいたはずの人たちのことを
知ろうとしていますか?
彼らの個性や
独自性を
とても重要に考えて
感じとろうとかしていますか?
そうでないなら
あなたも
他人からは同じように遇されるべきでしょう
あなたの個性や
独自性を
あなた自身が手放してしまったほうが
とにかく
楽になりますよ
手放そうが
ほんとうの個性や
独自性は
そもそも失われるものではないのだし
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