2023年3月15日水曜日

トトトトトトトトト…

 

  

「いや、森の力はどんどん増大している。

 谷間の村は、近いうちに森の力に吸収されてしまうだろう」

 大江健三郎『万延元年のフットボール』

 

 


 

大江健三郎が亡くなったそうだが

まったく

感慨のようなものが湧かない

 

嫌いではないし

だいたい

主要な作品はぜんぶ買って持っている

 

けれども

作品としておもしろかったのは

井上ひさしの『吉里吉里人』(1981)と同じ頃に出た

『同時代ゲーム』(1979)ぐらいだった

サルトルに学んだらしい初期のものは

だいぶ後の世代のわたしたちにはすでにつまらなく見えたし

『個人的な体験』はべつの意味でつまらなかったし

『万延元年のフットボール』は

構想も書きっぷりもテーマもおもしろいのに

作品としてはなんだか打ち上げ失敗な感じがした

(小林秀雄が『万延元年のフットボール』を全否定したのは有名な話)

レインツリー系の作品群は

団塊の世代あたりにはピンと来たのかもしれないが

その下の世代には

問題意識からしてズレまくっていたし

本はかたっぱしから買っておいても

どうにも読み終えづらい不発弾っぽさに辟易させられた

かといって

まったくつまらないかといえば

もちろんそんなことはないわけで

読む側としては整理に困る「大江健三郎」という感じだった

大江健三郎を評価する批評家の観点や文章がどれも

これまた的外れで

こういうのが世代間ギャップというのか

などと観察させられる仕儀となった

 

文句なしに楽しめた1979年の『同時代ゲーム』は

井上ひさしの『吉里吉里人』(1981)

ただ長いだけでつまらなすぎたので

実験小説としての見栄が華やかに引き立って見えたし

人情や情緒を描くものとしての日本の小説風土を裏切って

(山本周五郎なんかが『同時代ゲーム』を見たらぶったまげるだろう)

アニメを地で行くような突き抜けた作風だったので

そこがおもしろく見えたのかもしれない

(しかし大多数の娯楽小説読者は

いっそう激しい土砂崩れを起こして

池波正太郎や藤沢周平のほうへと雪崩れて行ってしまうことになる

 

しかし

1979年から1981年頃

もっともおもしろかった小説的事件は

高齢の石川淳の『狂風記』(1980年)出版で

これと比べたら

大江健三郎も井上ひさしもくすんでしまう

 

『同時代ゲーム』については

ぼくのまわりでは

だれひとり評価する者はいなかったし

だいたい

読み終えられない人ばかりだった

フランス文学者の山本顕一先生などは

『同時代ゲーム』はちょっとね…

と言っていた

山本顕一先生は

東大仏文科で大江健三郎と同じクラスだった人で

クラスの中で席につくと

となりが大江健三郎

もう片方のとなりが入沢康夫

だったそうな

それで先生が渡辺一夫だというんだから

すごい時代があったものだ

 

そういう人が

大江君のものはだいたい読んできたけど

『同時代ゲーム』は

もう

読めなくなっちゃったなあ

と言うのだから

あそこで大江文学は

それまでいっしょに付いてきてくれていた読者をふるい落として

脱皮していこうとするような

挑戦的な時期を積極的に迎えたのだろうと思う

 

アメリカ文学をだんだん広く視野におさめるようになると

大江健三郎の原型は

アップダイクじゃないのか?

そこにマラマッドを混ぜ

さらにソール・ベローもべったりと加えたかな?

大江健三郎は一時期

マーク・トゥエーンを評価していろいろ言っていたけれど

あれって

ひょっとしてアップダイクを隠すためのカモフラージュ?

などと

ぼくは思っていた

 

そういえば

石川淳の『狂風記』が本になった1980年は

世界文学では

なんといってもル・クレジオの『砂漠』が出版された年で

あれは世界文学史上久しぶりの大事件だった

それまでは

どちらかというと

つねに実験長編詩のような趣のあったル・クレジオの作品が

『砂漠』で大変身を遂げ

しかも極めつけの傑作となったので

あれとくらべると

はるかに挑戦的な実験作品とはいえ

『同時代ゲーム』はやはりくすんでしまう

ル・クレジオはその後

5年後に『金を探すひと』を出して

これがまた奇跡的な傑作だったことから

1980年代はル・クレジオの時代となった

…と

ぼくなんかは思う

(ちなみに最初期のル・クレジオのロートレアモン論を

ニース大学でも教えていた文芸批評家ジョルジュ・プーレは高く評価し

ル・クレジオがただの若い作家ではないことを見抜いていた)

 

そういえばの№2だが

大江健三郎の訃報を伝えるニュースが

なんとも

わびしいよね

ぼくは周囲の何人かに言ったり

LINEしたりした

「ノーベル文学賞作家の大江健三郎さん」

というプレゼンをしているのが

わびしいよね

なのだ

 

もし

ボブ・ディランが死んだら

訃報で

「ノーベル文学賞詩人のボブ・ディランさん」

とは絶対に言わないはずだ

「そういえばノーベル文学賞も取っちゃったりしてたんだよね」

とラジオなんかでは言い添えられるかもしれない

「ノーベル文学賞」なんかより

「ボブ・ディラン」のほうが

桁違いに大きなブランドなのだ

「大江健三郎」の場合

残念ながらそこまでは行かない

というか

作家というものが

もはや

ブランドになれない時代になった

「カミュ」や「サルトル」のような作家ブランドは

もう

金輪際

蘇ることはないのだ

 

そういえばの№3だが

大江健三郎にふと遭遇したことがあった

いつのことだったか

10年から15年ぐらい前だったと思うが

新宿の高島屋のほうの紀伊國屋書店の洋書売り場で

レジのところに行ったら

突然

大江健三郎がいた

本をたくさん買いに来たのか

デイパックを背負っていて

注文コーナーで店員と話していた

頭の大きい人で

耳の大きい人だなあ

と見えた

ああこれが大江健三郎かあ

これが大江健三郎という人かあ

と思ったが

後藤明生ばりの不意打ち的な遭遇を

蓮實重彦的に荒唐無稽に経験させられただけのことで

一目惚れされて追いかけられたり

というようなことは

なかった

(メトロの高田馬場駅のホームでリービ秀雄に見られた時は

だんだんと寄って来られて

なんとなく

けっこう危ない雰囲気があった

ひょっとして

ふいに抱きすくめられてしまうのではないか

どうしようか

などとマジで思った)

 

大江健三郎を

ふいに目の前にしたこの時

じつは

ぼくは『何でも見てやろう』の小田実を

ふいに

思い出した

 

小田実の『何でも見てやろう』を思い出したのではなく

小田実の小便の音を思い出したのだ

 

今は有楽町マリオンこと

有楽町センタービルになってしまっている場所に

昔は朝日新聞東京本社と日劇と丸の内ピカデリーがあった

その旧朝日新聞社屋で

なにか政治に関する講演会があった夜に

ぼくは話を聞きに行った

 

休憩時間にトイレに行った時のことだ

男性便所で用を足していると

さっきまで演壇で話していた小田実がとなりの便器に来て

放尿しはじめた

音は盛大にジョーッとなるかと思いきや

案外と

トトトトトトトトト…

だった

 

それを聞いて

これが

小田実かあ

これが小田実という人かあ

と思ったのだった





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