ロブサン・ランパ(Lobsang Rampa)のことは前にも書いたが
やはり
ランパはたいしたものだ
クリスタルを使ったり
カードを使って
他人の人生を透視したりする時
絶対に
金銭を受け取ったりしてはいけない
と書いている
理由はシンプルで
そうした能力を使う時
金銭による支払いを受けると
すぐに能力が消滅してしまうからだ
わたし
透視能力も
予知能力もなくなってしまったので
もう
見るのはやめます
と
さっぱりと宣言して
活動を停止するならば問題はない
だが
それまで能力を生かして
じぶんの存在を認めてもらってきたような人は
能力が消滅したからといって
おいそれと活動停止する潔さを持っていない
誤魔化しながら
あいかわらず透視や予知ができるようなふりを
続けようとする
ここに
詐欺師としての
そのひとの人生が始まることになり
社会的には
いつわりを基盤とする
宗教組織の開始となったりもする
端的に「悪魔」と呼んでしまっていい邪霊たちが
すかさずここに侵入してくる
ぼくの場合
1990年代は
透視と予知がとりわけよくできた頃で
人と会うと
いっしょにいるだけで
その人の過去がだいたいわかり
未来もだいたいわかった
外苑前のキラー通り沿いにあったバー「ハウル」で
トランプやタロットで
よく占いをやってやったりもした
決して料金は取らず
無料で
雑談をしながらやっていたのだが
ランパとはべつの径路から
占いのたぐいをする際は
一切金銭は受け取ってはいけない
と聞いていたからだ
あれからだいぶ経って
今ではもう
他人のために透視や予知をすることはない
そういう力は
ぜんぶワタクシすることにし
自分のためにだけ用いることにしている
さらには
そういう力をあえて用いずに
ごく当たり前にあらゆるものはあらかじめ見えており
あらかじめ未来はすでに起こっていて
自分はそうした未来をすべてもう知ってしまっている
という見方に
立つよう努めている
本質をしっかり持っている宗教の多くが求めてくる「信仰」とは
じつは
こういう認識をゆるぎなく持つことである
自分がすでに持ってしまっているはずの知を信じ
その知とちゃんと繋がるようにせよ
自分の意識をそうした知を歪みなく映し出すモニターとせよ
これが「信仰」の本質であって
外在する偶像としての「神」などを盲信せよということではない
どんな宗教にあっても
「神」とはつねに自分の鏡でしかないのだ
0 件のコメント:
コメントを投稿