Ⅰ
ここはなんと悲劇的な領域なんだろう
と少年は思った
下のこの領域にいる人々は囚人で
究極の悲劇は当人たちがそれを知らないということだ
自由になったことがないからこそ
自分たちが自由だと思い込んでおり
自由がどういう意味だか
理解していない
これは監獄なのに
それを推測できた人はほとんどいない
でもぼくは知っている
と
少年はつぶやいた
だってそのためにこそ
ぼくは
ここに来たのだから
壁を打ち破り
金属の門を引き倒し
それぞれの鎖を
引きちぎるために
脱穀をしている牛に
くつわをかけてはいけない
と
少年はトーラを思い出した
自由な生き物を収監しないこと
それを縛ってはいけない
きみたちの神たる主が
そう言っている
ぼくがそう言っている
人々は
自分がだれに仕えているか
知らない
これが
みんなの不幸の核心にある
まちがった奉仕
まちがったものに対する奉仕
まるで金属で毒されているかのように毒されているんだ
と
少年は思った
金属が人々を閉じ込め
そして
金属が血液にある
これは
金属の世界だ
歯車に駆動され
その機械は動き続けながら
苦悶と死を
まき散らし続ける……
みんな
あまりに死に慣れすぎて
まるで
死もまた自然だ
とでも
いうかのようだ
と
少年は気がついた
人々が園を知ってから
なんとも
長い時間が経ったものだ
園は
休む動物や花の場所
人々に
あの場所を再び見つけてあげられるのは
いつになるだろう?*
Ⅱ
Ⅰの記述の内容は
フィリップ・K・ディック『聖なる侵入』よりの
引用
それを
分かち書きにし
いくらか
自由詩形式に近づけた
ディックが後期に書いたものは
21世紀から22世紀の黙示録と目されるのに
ふさわしいことが
昨今ははっきりしてきている
Ⅲ
あらずもがな
だが
引用行為をし
さらに
改変行為も加えたので
『引用の織物』の
宮川淳を
思い出しておきたくなった
「人間が意味を生産するのは無からではない。
(宮川淳「引用について」)
*フィリップ・K・ディック『聖なる侵入』(山形浩生訳、
多少変更を加えてある。
**宮川淳 『引用の織物』(筑摩書房、1975)
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