2025年2月28日金曜日

ひとつの月が終わるたびに

 

 

 

ひとつの月が終わるたびに

子どもの頃

ちょっとさびしかった

 

月のさいごの日など

その月の

その月らしさを

よく見定めておこうと思って

外で遊んでいながらも

きょろきょろ

あっちこっち見まわして

月の顔を見つめておこうと

よく思った

 

ひとつの月が終わるたびに

おなじ名前の月は

また来年も来るけれど

おなじ名前でも今年のこの月は

もう二度と来ないのだと

思いながら

空気さえも見つめようとし

いっぱいに吸い込んでみようとし

手をひらひらさせて

触れてみようとさえした

 

ひとつの月が終わるたびに

なにかとの別れかたの

ずいぶん下手くそな

かっこわるい子だ

などとじぶんを思いながら

眠りに落ちるまで

さびしみ続けた

 





すっかり闇

 

 

 

暮れていく

大きな

林のなかに

居続ける

 

だんだん

暗くなっていく

こころよさ

静まり

 

葉のみどりも

木の幹や枝の色も

もう

見分けが

つかなくなる

 

人間の

からだを持っていたはずの

じぶんさえ

色を失ってしまって

まわりの闇と

もう

区別がつかなくなる

 

見分けが

つかないなあ

区別が

つかないなあ

という

思いは浮かぶけれど

からだは

もう

すっかり闇

 

あたりの闇ぜんぶが

もう

すっかり

からだ






2025年2月23日日曜日

ジェーンという名の女


 

 

まだ

封を開けてもいない

真空パックされた高価な珍味が

ずいぶん前に賞味期限が切れていたことに気づいて

ちょっと驚いたが

宇宙空間で開封すれば

新しかった状態に戻るような気がして

宇宙船から漆黒の外へ出て

開封してみた

 

新しい状態に戻ったかどうか

わかりようもないし

宇宙服で閉ざされている口に持っていくわけにも

いかないので

そのままポケットに入れ直した

 

ふっと眠けに襲われ

ほんの一瞬のことだというのに

象の夢を見

キリンの夢を見

そのあと

ジェーンという名の金髪の女の夢を見た

 

そんな名の

金髪の女とは

知りあったことがない

 

ともあれ

宇宙船の外で

眠けになど

襲われるのは危険だ

 

気を取り直して

出入り口のドアの大きなハンドルをまわし

船内に戻った

 

座席のある部屋まで行くと

椅子のひとつには

ジェーンが待っていて

開封した珍味がどうなったかを

聞いてきた

 

少し

恐ろしくなった

 

眠けに襲われたことが

ではなく

ジェーンなどという名の女とは

知りあったことさえない

などと

思ったことが

 

きっと

船内には

象もいれば

キリンもいるのではないか?

 

そんな

途方もないことを思って

船内を見まわすと

キルル

キュルル

というような音を立てて

人間っぽく作られている操縦ロボットが

こちらに顔を向けた

 

恐ろしくなった

というより

呆れてしまった

 

このロボットとともに

宇宙船で

地球上の軌道を

まわっているところだったではないか!

 

ジェーンという名の女など

いっしょではなかったし

人間は他に

だれも

乗ってはいない

 

それなのに

今さっき

ジェーンが椅子のひとつに

座っているのを見た

なんて!

 




2025年2月22日土曜日

いつまでもカエラを


 

 

虫のまったくいない土地から

短い手紙を

カエラは書いてくる

 

私 

日 

虫 

飲むと

 

といった短さと

そっけのなさなので

砂漠に

死んだ動物の

ちりぢりに

なった骨のような心持ちになって

長い時間

わたしはカエラの手紙を

見つめていたりする

 

読まないといけない本がある

ずいぶん幼い頃に

読みのがしてしまった

幼児用の絵本や

童話も

いっぱい

 

ある時

こんな返事を書きたくなって

送ってみたが

これに対し

カエラからは

強烈な

と言いたくなるようなブルーの色紙が

返ってきた

 

このブルーの受け取りは

ひどく

心地よかったので

ゴールドのシルクの大きな布に包んで

取っておくことにした

 

いつまでも

カエラを








プリエラとかプリエルラとか

 

 

 

こちらと隣人の土地とを遮る壁は

固く練り固められているとはいえ泥づくりで

そのためか

上には

雑草が根を下ろして生えている

 

繁っているというほどではないが

いろいろな草が生えていて

なかには

ずいぶん穂を伸ばしているものもある

 

そのうちの一株が

わたしの気に入っている

 

どこか古い妖精物語に出てくるような

濃い緑のやや肉厚の葉を持ち

茎は細いようだが逞しく

容易には折れたりしない様子をしていて

そうだ、ボッティチェッリの絵のどこかに出てきたような

理想的ななにかのほうへ心を惹くような

古雅で繊細で同時に清い官能性もあるような

他とは異なった草だった

 

名を知らないので

プリエラとか

プリエルラとか

勝手に名づけたりして

壁の上を吹くそよ風に揺れるさまを

楽しみながら

よく眺めてみている

 

この草の茎を指に摘まませて

 

隣人の土地は

海に面した崖まで広がっていて

石造りの家はあるものの

ほとんど人の姿を見ることのない草原の趣を

呈している

 

実際

隣人はあまりこの土地には来ないらしく

遠い町にふだんは住んでいて

そこで病人を介護しているらしい

 

壁を勝手に乗り越えて

海のほうへ歩いて行ってみても

見とがめられることはないだろうし

温和で愛想のよい隣人がいる時であっても

挨拶をしてくれるだけのことだろう

 

しかし

壁の上のそよ風に

プリエラとか

プリエルラとか

勝手にわたしが名づけた草が吹かれるさまを

見ているだけで

海はたしかに感じられ

わざわざ

壁を越えて海を見に行くまでもない

と思う

 

ちょっと離れたところまで行けば

海へ抜ける公道があり

めったに行かないとはいえ

ときどき

その公道へ歩いて行くのもたいそう趣があり

海の風景への期待は

その時のために溜め続けておくのも

なにか

大事なことのように思う

 

 





コンクリート破片が50センチほどの高さで

  

 

コンクリート破片が

50センチほどの高さで

宙に浮いている

 

穏やかに晴れた日だが

気温が低い

 

人通りがないので

宙に浮いているコンクリート破片に

わたし以外気づいていない

 

陽は西に下がりつつあり

気温がさらに落ちていっているが

本当に雲ひとつない晴れで

空は薄青いまま

上に広がっている

薄青さには

グラデーションがかかって

正確に言葉で表わそうとするのは

難しい

 

コンクリート破片が

なぜ宙に浮いているのか

わからない

 

人から聞かされれば

もちろん

信じないだろう

 

奇術師が

辻公園のわきの

こんな細い道で練習しているとも

思えない

 

誰もいない

 

太陽が直接あたっているわけではないので

コンクリート破片の影は

地面に濃く落ちてはいない

薄い影は落ちているような気がするが

よく見ると

影ではないらしいと

気づき直す

 

浮いている破片の下には

アスファルトが広がっている

薄い影が落ちているのかどうか

見つめてみると

アスファルトの質感に

気づき直す

 

アスファルトも

美しいものかもしれない

と思う

 

ここから見える

むこうの大通りの遠い信号が

赤に変った

 

信号の光に

ふいに

心を奪われるような時刻が

近づきつつある






2025年2月19日水曜日

去っていく幼稚園のお砂場をふり返るような


 

  

 

わたしは思った

さようなら、自我、死すべき妹、むなしい像よ、と

ポール・ヴァレリー『若きパルク』

 

 

 

 

詩というのは

言語表現の極北を意味する

最高度の美と真と存在度の出現を意味する

 

なので

「詩を書いています」

「詩を書きました」

「これがわたしの詩です」

などという表明は

よほど傲岸で

無知で

愚かで

狂っている者しか

できない

 

しかし

文芸史において

言語表現の極北の現われやすい形式を

とりあえず

と呼んでおく流れはあったので

その形式や

それに近い形態のものを

便宜的に

と呼ぶことは行われている

 

傲岸でもなく

無知でもなく

愚かでもなく

狂ってもいない者ならば

「詩形式をわたしは使って書いてみました」

程度の表現にするはずであろう

 

そして

「詩を書いています」

「詩を書きました」

「これがわたしの詩です」

などと吐く者たちへは

これ以上にないほどの軽侮の念を抱くか

汚いものに対して人がするように

たんに目を逸らすか

するだろう

 

さて

 

詩形式

というのは

なかなかおもしろい

 

おしゃべりしたり

散文を書いたりするのより

単語数を少なめにし

改行を多くし

表現は散文におけるより粗雑にし

その粗雑さのなかに

逆の繊細さをたっぷり盛り込む


あえて大げさに表白したり

正確さをないがしろにして言い切ったり

通俗さに攻撃をしかけるかと思えば

それにわざと寄りそってみたり

俗謡を利用して形而上学的な意味に達しようとしたり

形而上学的な思索を

逆に劣悪なレベルに落とし込んで

言葉や思考の限界を露呈させようとしたりする

 

音数や韻律に凝るかと思えば

それを無視して

意味やイメージによる韻律に挑んでみたり

幼児の落書きのような

単語のぽつぽつとした羅列に

至上の美を見ようとしたりする

 

そうして

人界の言語というものが

結局は

どこまで行ってもただのお遊びであり

たわむれであり

現象界を去る舟に乗るまでの

ただの暇つぶしに過ぎないことが

物質的なまでに

染み通るようによくわかってきて

いやおうもなく背が伸びて

去っていく幼稚園のお砂場をふり返るような

ちょっと成長した

少年少女のような心持ちに

詩形式は

させてくれる

 

ようこそ!

言語なき境域へ!

表現を捨てた境域へ!

コミュニケーションの消滅した境域へ!

思いも感情も霧散した境域へ!

 





いつまでもぼくの大きな飼い犬は動かず

 

 

 

こんな夢が

起床した後も

記憶に残り続けた

 

町のなかを

そう速くもない速度で走る一車両だけの電車の

線路のわきで

飼っている大きな犬が

なにを

思っているのか

動かなくなり

腹ばいになってしまったので

動き出すまで

待ち続けている

 

そこは

電車の終点付近で

線路の終わるところには

コンクリートの大きな

しかし低い壁が作られていて

万が一電車が止まれなくなっても

その壁にぶつかれば止められるように

なっている

 

運転手たちは正確な運転技術を持っているので

壁に電車をぶつけないで済ませられるのに

なぜだか

どーんと音を立てて

壁にぶつかって停車することも多い

 

それが知られてか

壁にぶつかる電車を使って

安楽死させようとして

末期的な病気に罹ったり

老衰し切った犬が

よく連れて来られて

壁のところに

押さえつけられていたりする

電車と壁の間で

犬を潰して即死させようとするのだ

 

飼っている大きな犬が

なかなか動き出さないあいだ

今日もこの壁に

犬が一匹

押さえつけられているのを

ぼくは見ていた

けっこう大きな犬で

電車にぶつけでもしないと

なかなかいっぺんには死なないだろうな

と思えた

飼い主とその妻と思われるふたりが

犬の前脚を左右からひっぱりぎみにして

壁に干物みたいにして押さえている

終点まで来た電車が

この犬の背に衝突していって

犬の背骨を砕き

内臓を潰すことになるのか

と思いながら

人間のやることは

とにかくも悲惨なことが多いと

確認し直すのだった

 

この夢は

壁に押さえられた犬が潰されるところまでは

展開していかなかったようで

そのあたりの記憶は残っていない

 

ただ

いつまでも

ぼくの大きな飼い犬は動かず

わきに立ったまま

ぼくはのんびりと

周囲の町の様子などを

眺め続けていた