慈しめば物は思いを返してくるものの
そんな言葉
慈しみなどという語に縋って
世界を渡って行こうという時期にも
終わりはいずれ来る
そうして
終わりとか
さらには死とか
そんな言葉に地位を与えていた時期そのものにも
終わりはいずれ来る
不慮の死も
暴行も戦争も
どのような災害も
裏切りも
引き離しの恩寵の顕われだとわかる頃
肌の中も外も
さして区別する必要はないとわかる
まるでその場その場の
温度のように
日照の加減のように
此処にも何処にも
自分などおらず
それでも何の支障もなかったと
ずいぶん遅ればせに気づくことになりながら
他所で屠殺させるまゝにしてきた
あれら動物たちの最期の表情が
誰の生の最期にも貼り付いてくるだろう
血にはそれらの供物の顔が
無数にぷつぷつと浮き出て来る
肌にもそれら供物たちの目や口や顔の歪みが
滲み上がって来るが
それも悲惨なことでもなく
罪という語を宛てるべき大袈裟な
事態の成りゆきでもない
しかし光明もなく
はじめからそうだったが
もうその幻もなく
それがいかにも正しいのだと全身の細胞が納得しているので
神はつねに不在のかたちで顕われる*
それもなるほどもっともなことと
思いの透明な糸がまたわずか繁茂しようとしては
…止まる
のではないが
紛れていってしまう
あまりに多くの思いの糸の
透明な絡まりの中へ
まるで全人生がはじめから例外なくそうだったように
なんの意味もなく
しかし時には嬉々として
誰に向けられた祝祭でもない
巨大な宇宙の沈黙の中の
靡くことにばかり長けた葦たちの
小さな小さな
ざわめきのように
*シモーヌ・ヴェイユ
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