2015年7月27日月曜日

なにも学んだことがない

  
人生識字憂患始
(人生、字を知るは憂患の始めなり)
               蘇軾 『石蒼舒酔墨堂』




ぼくはなにも学んだことがない
ほんとうになんて学ばなかったんだろう
いくらなんでもひどいもんだと思えるぐらい

小学校に入ると
没落した良家のお嬢さんのなれの果ての母は
選ぶのに失敗した夫に落胆させられ続け
なにかというとヒステリーになり
口ぎたなくぼくや父を罵ったものだが
(ほんとうに汚い乱暴な言葉は母からみんな実地で学んだものだ…
(父はいざとなると口が立たないので手が出てしまう
(だから意外と父は乱暴な口をきかなかったものだ
(しかし母のほうはいったいどこのゲス女かという罵りよう…
母はとにかく夫よりはまともなインテリに育てようとして
ぼくに大量の勉強を押しつけた

ところがどっこい
徹底して勉強しないように生まれついたぼくは
母が買い揃えた全科目のドリルの
…あゝ懐かしいあれらの名前!
「毎日の勉強」っていうドリルで
ぼくは「毎勉」と略して呼んでいた!
あれらのドリルの答えを
母が隠してある押入れの中を漁りまくって
もう小学一年生の時から
ぜんぶ他の紙に写してしまっていた!
「毎勉」に答えを写せば出来上がりで
後は時間の有効活用に精を出したわけ
これが小学6年生まで続いたから
ほんとになにひとつ勉強しない小学生時代だった
4年生から通い出した進学教室の問題集も同じこと
答えはぜんぶ引き写し
どうしてそこまでやる気がなかったのか
これはぼく自身にも謎なんだが
あほらし
あほらし
勉強なんてやってる暇はないよとほんとに思っていた
それでもなんとか普通にテストができたのは
学校では授業をなんとなく聞いていたからかな?

いやいや
学校のテストができたのは
とうの昔に時効になった今だから言うが
先生のロッカーの中のテスト解答をぜんぶ引き写しておいたから
今はどうかわからないが
昔は簡単だった
30分もはやめに登校すれば
教室には誰もいない
1時間もはやく登校すれば職員室にも誰もいない
先生たちのロッカーには鍵なんかかかっていなかったので
印刷済みのテスト商品の解答を見るなんて簡単だった
先生たちも労働者だとよくわかっていたのが勝機だネ
大いそぎで写せば一学期分の解答なんかは
週に二度くらいはやめの登校をすればひと月も立たず写せちゃう
済んでしまえばその後は時間の有効活用だ

やけにきちんとした中学校に進んでからは
そういう引き写しはもうできなかったが
(先生が国家公務員の中学校…
目をつぶってウンウンと集中すれば答えは頭に浮かんでくるから
(超能力の悪用…
やっぱりほとんど勉強しなかったな
よく歴史教科書に戦争犯罪や慰安婦問題が書いてあるとか
書いてないとか騒ぎになるが
書いてあろうがなかろうがとにかく一ページたりと教科書など
読んだことないぼくだから
どうでもいいじゃないのよと本当にいつも思っている
読むほうがどうかしているんだよって
中学高校大学と教科書類は読んだことない
開いたことはもちろんあるがチラッと見たらすぐ飽きる
文体が夢野久作してないし
宇野鴻一郎もしていない
「坊ちゃん」ほどの緩急もない
こんなに勉強しないでバチがあたるか?
そう思ったがなんとなくウナギのようにするする生きた
バチが当たった気もしないではないが
勉強ぎらいでテストぎらい教科書ぎらいでテキストぎらい
これはどうにもなりゃしません

いくらなんでもひどいもんだが
ほんとになんにも学ばなかった
ぼくはなんにも学ばなかった
そろそろ勉強しようかなと
不吉な思いも湧く昨今
歳は取りたくないものです
それともこのまゝ墓場まで
勉強なしで通すかナ
通せるかナや冥土まで




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