「大丈夫よ、ワタナベ君、それはただの死よ。気にしないで」
(村上春樹『ノルウェーの森』)
ひとがひとり死んだくらいでなにか大事なものが始まってたまるか
ぼくはスタバに緑のセックスをしにでかける
茹であがった蟹をむきながら
きょうはロシア娘
おしんこの匂いが充満する小部屋は
選ばずに
天皇陛下万歳
天皇陛下万歳
参照する三島由紀夫資料に参照し終えたらオリーブ油を垂らして
カリブ海だ、もう
さっきは三陸沖だと思ったのに速い速いファントム
おお戦争の香りがする軽井沢の冬、カフェ・ジムノペティから
もうクリスマスだよ
もうクリスマスだよ
アジアから仕入れた赤ん坊の生肉をひっそりと焼いて
賞味いたしましょうよと黒川晃さんが電話してくる
いかない
わるいことだと思うよ
赤ん坊の生肉だなんてウィキリークスしちゃうゾ、こら
食べずにひとり暖炉の前で自戒する今夜です
思い出は走馬灯のようだと通俗表現者は書いて字数を稼ぐところだが
ぼくがメモっときたいのは
思い出が主語
思い出が人を現実化している意識の仕組みについて
どちらが主体かが問題なのだ
いや、あっちが主体だ
ぼくらは影絵にすぎない
深夜の冬の高原の枯れ木立のはずれ
もの皆暗く黒く立ち尽くすあたり、そう、『ファウスト』に出てきた
ロマン主義びいきの舞台背景に打ってつけのようなさみしいところに来て
ぼくは誰だったのか結局
誰がぼくだったのか薬局
A=Bごっこは疾うにやめたはずだったのに
弱まっているのね私というあなたというぼく
また古いお遊びはじめちゃって
またそんなとこ
くちゅくちゅ
いやン
御線香のいい香りが漂ってきます
スタバからカスバへ
ことばことばことばことばことばことば
の外へ出るための時空経験だったじゃないのさ
首が飛んでも意味には陥らぬぞ
鶴屋南北の精神がさらに必要な時代の日本語族のぼくは
ロシア娘の男根をぼくの男膣から引き抜いてたっぷりと卵子いっぱいの
射卵を顔に口に受けて性母にこんどこそ本当になるぞ
ぼくが性母なの
マリヤさまとお呼び、あたいを
ぼくが性母マリヤさま
わたしに繋がっていなさい
わたしもあなたに繋がっている