2010年12月17日金曜日

マリヤさまとお呼び

            「大丈夫よ、ワタナベ君、それはただの死よ。気にしないで」
(村上春樹『ノルウェーの森』)
                




ひとがひとり死んだくらいでなにか大事なものが始まってたまるか
ぼくはスタバに緑のセックスをしにでかける
茹であがった蟹をむきながら
きょうはロシア娘
おしんこの匂いが充満する小部屋は
選ばずに
天皇陛下万歳
天皇陛下万歳
参照する三島由紀夫資料に参照し終えたらオリーブ油を垂らして
カリブ海だ、もう
さっきは三陸沖だと思ったのに速い速いファントム
おお戦争の香りがする軽井沢の冬、カフェ・ジムノペティから
もうクリスマスだよ
もうクリスマスだよ
アジアから仕入れた赤ん坊の生肉をひっそりと焼いて
賞味いたしましょうよと黒川晃さんが電話してくる
いかない
わるいことだと思うよ
赤ん坊の生肉だなんてウィキリークスしちゃうゾ、こら
食べずにひとり暖炉の前で自戒する今夜です
思い出は走馬灯のようだと通俗表現者は書いて字数を稼ぐところだが
ぼくがメモっときたいのは
思い出が主語
思い出が人を現実化している意識の仕組みについて
どちらが主体かが問題なのだ
いや、あっちが主体だ
ぼくらは影絵にすぎない

深夜の冬の高原の枯れ木立のはずれ
もの皆暗く黒く立ち尽くすあたり、そう、『ファウスト』に出てきた
ロマン主義びいきの舞台背景に打ってつけのようなさみしいところに来て
ぼくは誰だったのか結局
誰がぼくだったのか薬局
A=Bごっこは疾うにやめたはずだったのに
弱まっているのね私というあなたというぼく
また古いお遊びはじめちゃって
またそんなとこ
くちゅくちゅ
いやン

御線香のいい香りが漂ってきます
スタバからカスバへ
ことばことばことばことばことばことば
の外へ出るための時空経験だったじゃないのさ
首が飛んでも意味には陥らぬぞ
鶴屋南北の精神がさらに必要な時代の日本語族のぼくは
ロシア娘の男根をぼくの男膣から引き抜いてたっぷりと卵子いっぱいの
射卵を顔に口に受けて性母にこんどこそ本当になるぞ
ぼくが性母なの
マリヤさまとお呼び、あたいを
ぼくが性母マリヤさま
わたしに繋がっていなさい
わたしもあなたに繋がっている

2010年12月14日火曜日

ゼリーの御夕食

  冬もこほらぬみなわなりけり
(紀貫之・古今集五七三)


夢よりも細い小道
つばき湯搔いて
サイネリア園の寄り道
紫檀の箸ポケットに
今年最初のメール
赤々と暮れゆく母よ
ちりちり剥けて酒
鶯の椅子の下の渓谷
倫子さんの臍しらじら
干し薔薇苦悶慟哭
Oh、河下りより乙女
腿、桃、漂白剤、膠
とうに銀河の蛇口
見える山を見る警部
眠い三四二六頁
逝くというから莢
湘南湘北帆の浮き名
夢からも細い小道
ミソサザエ追って
銀座から仙石原
ああ愛欲も澄んで
今日もゼリーの御夕食




ここからは思念も花

妙とはたへなりとなり。たへなると云ぱ、形なき姿なり。
形なきところ、妙体となり。
(世阿弥『花伝書』)



友はみな一場の友
friendならもっと続くのか
amiなら
amigoなら
Freundなら
いずれは枯れる雑草
緑濃き
瞬時は記憶されよ

あらたに出会う娼婦たち
あらゆる娼婦的なものだけが
よき気晴らし、慰め
風吹いて
雨降って
ミルクチョコレート
くわえる唇
重ねるあれほどの愉しさも
古い恋文の封筒の黄ばみ
受けては返し
消え去るままにしてゆく
電子メールほど
さっぱりとあるべきか
すべて

紺碧の空は宵化粧し
レストランの華やぎが
永遠にわれらを待つ
しかし永遠にわれらは赴かず
永遠にわれらを構成せず
使用頻度少ない人称よ
廃兵院
文法書の丸屋根を
星々の明りは
薄い蜜のように滑る

華やぐ場所に
それでもひとりを着ていく
遠いわれらの
やわらかな斥候のように
輝くグラスをつまみ
冷たく震える銀のフォークを操るため
遺伝子は旅する
人生を構成する普通名詞は
もうすべて使い終え
固有名詞の代入練習も終えた
動詞活用も諳んじ尽くし
裸足で踏み入ったことのない汀が
ああ
もうどこにもない。
人生の外へ
人生の外へ

なおも
どこかで鳴る踏切の警報機
私もカモメ
花園にある時は
他の花園から隔絶されねばならぬ
宇宙のさだめ
ああ陶酔の時よ来い、か
陶酔の後を
覚醒という酔いもなく下降しゆく遊び
閑吟集を
秋冬に繙く通俗は避けよ
夏!
夏!
水遊びする子を
跳ねる鯉を
永久機関になおも
われら
組み込まねばならぬ

友なき里の蝙蝠
まだ蚊がいる
キンカンとムヒのにっぽん
鉛筆はもう
ミツビシとは限らない
指先に嵐
心は自尊せよ
あかるい空虚を維持するために
ドウシテアナタハ
ろめおナノ
くり返される問い
嘆き
つかのまの喜び
されど

勝算
なきにしもあらず
なきにしもあらず
我アルユエニ我アリ
我ナキユエニ我ナシ
あほらし
ある/なし
現象の継起に
暫定的乾杯
賑やかなレストランに
暫定的着席
ここからは思念も





エルメスのスカーフ

            わたしの未来がしずかに階段をのぼる
(エミリー・ディッキンスン)



ロンドンで書いた冒頭を抹消
書き急ぐ
希薄な淫らさ
ロシアンミルクティーを
もっと濃厚にしようと
Mackays
ウィスキーマーマレードを入れる
ああスコットランド
少女に犯されたことがある
アリスという娘
なんと凡庸な
刺草でも摘んでこい
ウェールズ人だった頃の
お話さ

モロッコにまた行く
黒い腿のレイラの立つ路地
学問なんて
忘れてしまったからね
紙も使わずに
射精の後を拭う手のひら
車がはやく行く
あたらしい映画を見る直前の
軽い心の愛
いいね

アリスが最初の妻
日曜の午後ともなれば
たっぷりと時間をかけた猥褻
緑したたる草原
馬小屋の性欲
まだ仏陀になるには間があったから
偽の蛇のように
偽の虎のように
ワトソンとクルックの思念の
階段のうねりを辿った

見たまえ
ここからはエメラルドの海
堅牢なホテルに居られるよろこび
ついに
独り立ちするのだよ
墓で出会った愛人は去っていくから
2時だが8時だ
いや710分か
数字たちが立つ遺跡
ペンはドイツかニッポン
紙はアメリカ
宴をともにするなら中国娘

貧相な詩を集めた雑誌
バタークッキーを
食べながら
何杯もアッサムを飲む
行くところがない
よろこび
文字盤は類まれなる表象である
時計だけあればいい
惑星とは
そんなもの

エルメスのスカーフ
欲しいかい
選んでおいてよ、柄
淡雪に
ティッシュペーパーを開く
かわいい心
からすうりの花のような
やさしい女よ

もう
飛行機が来る
乗るのではない短い心の旅
バナナが
あざやかなイエロー
さざ波も夢を見る
独り立ちとはこういうこと
ふいに甦る
十代の終わり
どうやって生きていけばいいかな、内面を
まだ何もはじまっていない
人生がはじまるのだ
これから
いつも
何度も

古い木戸のある
清潔な便所の小窓から
だれもいない
境内の白砂が見える
姿もないのに
足跡だけ
ぽつ
ぽつ
まあたらしく
付いていく
だあれ
だあれ
導いていくのは
響きもなく
来ている
アリス
紺碧の猥褻
海を啜る
熱いティータイムの
はじまり

(刺草でも摘んでこい…

(刺草でも摘んでこい…




水野霞のために

われらの願いを妨げるロンギヌスの槍はすでにない
(『新世紀エヴァンゲリオン』第弐拾四話)



献身のあかしの薔薇を遥子に
理紗には
ヴェネシヤングラス少量の
わが三十路の精液

なべて愛し
みずみずしき退廃の舟
けっきょく誰が真の旅に発ったか
至上の煙草をもとめ
われわれは処女のまま
唇を保って

109で久しぶりに待ちあわせ
女を捨てておいでよ
心は臭うから
躰は無臭、かたい桃の
シェーキをニシムラで頼み
たゞたゞ見知らぬ肉体をもとめて
もうまなざしは離れる
きみからも
あらゆる帝国たちからも

死はない
冷たいペンであるべきである
愚問を
ルッコラのトスカナ風サラダに紛らし
吹キスサブ
60年代外哲学のページ
アーレントああ
マンハイムああ
嵐山で今年×月×日ふたたび
水野霞と密会予定
紅葉きれいだといいね、霞
ワタクシ通俗ス
霞ちゃん…
霞ちゃん…

二尊院の墓地で
ひとり淡雪のなかに立つ
恒例行事
ワタクシ寂寞ス
べつの女体を前後に抱いて
雪墓地にひとり
祇王寺も寄るかもね
野宮神社も寄るかもね
天龍寺にも
湯どうふ
愛人よ
一瞬だけ顕われよ
清潔なバスに身を浸す時の
まどろみの
夢を彩るためにだけ

先週のニューヨークの雨
デルタ機の席に沁ませ
コロンビアの娘と
再来月の約束
上海まで行く気がなくて
セブには行く気があって

終わりはいつも必要悪
性でも
生でも
精でも
正でも
だから芍薬が好きなんよ
百合はやだね*
愛液が
うつくしくこびり付かないから

だから遥子とも
理紗とも
切れたっていってるじゃないか
霞よ
きみだけがすべて
たとえ会えないとしても
たとえ会ったことが
まだ
ないとしても


*「フランスの王たちは百合を好む。それが勾配にはりつく深い根をもつ植物だからだ」(ドゥルーズ+ガタリ『千のプラトー』、序「リゾーム」 豊崎光一訳)