2020年3月31日火曜日

この人のお笑い芸をほとんど見たことがなくて


コメディアンというのか
お笑い芸人というのか
ドタバタ芸人というのか
テレビの常連さんのあの人とでもいうのか
なんと呼べばいいのかわからない人がはやりの病気で亡くなって
それはそれでご愁傷様とは思うのだが

じつはこの人のお笑い芸をほとんど見たことがなくて
そればかりかこの人がザ・ドリフターズの一員として出てきた時には
雑でガサツで品のないうるさい芸風に嫌気がさして
お風呂上がりのちょっとの居間での休息のあいだだけでさえ
もうザ・ドリフターズを見るのはやめてしまおうと決めたものだった
いかりや長介がよくこれを許すなぁと思ったものだったが
こちらもテレビなどは漫然とは見なくなるようになった歳でもあったし
見なくなってしまえばどうでもよい世界でもあるので
バカ殿だの♪東村山~だの♪へんなおじさん~だの
有名な持ちネタを職場の誰それから聞かされたりして知りはしたし
子どもたちがマネをして困っちゃうわという話につき合ったりはしたが
こちらとしてはそこですべて済んでしまう話で

ところがツイッターをはじめとするネット上の書き込み欄を見ると
ずいぶんとたくさんの人がつぎつぎと哀悼の気持ちを表明している
日本の宝を失った!とか叫んでいる人たちもいて
むしろこちらのことのほうにとんでもなく驚かされてしまう
日本を代表するエンターティナーだったと東京都知事さえ言うくらいで
そうか、宝だったのか!そんな大人物の芸をまったく面白いと思えずに
このせせこましい列島で生きてきてしまった何十年だったか…と
どこまでこの列島村でじぶんの感性も趣味も異端でしかあり得ないのかと
ニホンブンカとやらにまつろわぬ者としてのわがサガを思い知らされ直す

とはいえ会ったこともないご本人をどうこう思ういわれもなく
仕事の外で出会ったりしたらまったく別のつきあいもあり得たのかも
菅野完のこんなツイートを読んでみると
今さらというか今ごろになってというか
ちょっと違う視点ではじめて見つめ直してみようかと思ったりもす
《麻布十番でさぁ、いつも若いおねーちゃん引き連れてさ、
《いつもジャージとウインドブレーカーなのに、
《飲んでる姿が超かっこいいのよ。
《めちゃくちゃかっこいい。
《渋いジジイだった。
《全然えらぶらないし、媚を売ることもない。
《飲み屋で姿を見かけて「ああかっこいいな」と思ったのは、
《志村けんぐらいだった




もっと大事なエーテルを呼吸するための肺



森や林のある夜の公園でも
大きな河沿いを長く続く真っ暗な道でも
まわりにほんとうにだれもいない時もずいぶんあって
物理的な空気とは違うもっと大事なエーテルを呼吸するための肺が
いつものじぶんのからだのまわりに大きく張り出すのを感じる
その気持ちよさといったら!
なんて長いことするべき本当の呼吸をしてこれなかったか
そう気づかされる

けれども
半径数十メートルのところに誰か現われたら
大きな大きな自然な深いこの呼吸はストップしてしまう
数メートルほどの間隔ですれ違ったりすれば
外に張り出した肺はもうすっかり失せてしまう

いまはちゃんと認識しているのだ
少なくても半径50メートルほどはまわりに誰もいないところでないと
じぶんはたちまち擬態して防衛をはじめてしまうと
相手にわかりやすい仮面や振舞いをしはじめてじぶんを深く隠すのだと
つまり生きるということも息をするということもすっかり放棄して
人間という規格品の偽装の中に引き籠もってしまうのだと




インコグニト


  
自粛要請が出ていても
禁止命令ではないからどこへでも出歩く
といっても
もともと人の群れるところや行列が嫌いなうえ
日中というものも好きではないので
夜陰にまぎれて
人のほとんどいないところを出歩く
大きな墓地や廃墟となった大聖堂などがあれば望むところだが
近頃それらは払底しているので
灯りのついていない千鳥が淵の桜並木や
北の丸公園の森林の中を亡霊のようにさまよう

ウィルス禍がない時でも
桜の春はこのように歩きまわってきて
今年になってたいした変化があったというわけでもない
日中から醜いシートで場所取りをして宴をしているところは避け
薄ら寒いのに耐えながら小卓を囲んで飲み食いしている人群れも避けると
誰にでも開かれているのに誰もあまり辿っていかないような
通りの縁や小闇の奥などを辿っていくことになり
秘密の通路でもないのにすっかりインコグニトになって
亡霊にも妖精にも時には精霊にも身は近づいて
まわりに漂う静けさをあらためて特製の衣服として感じ直し
翻してみたりする
数十メートルほど先にポツンと街灯が灯っているだけの
漆黒の小径に踏み入れていく時など




2020年3月30日月曜日

ふざけすぎた季節のあとで


  
疫病流行のさなか
季節はずれの雪が降り出して
午後まではまるで冬のように大きな雪片が舞い
気温も下がって
あたかもこれからクリスマスでも迎えるかのようだった

戸外に出たのは夜も遅くなってからで
その頃にはもう雪も止んでいたが
政府や行政機関からのおりからの自粛要請もあってか
まさか生真面目に要請を受け止めたわけでもあるまいとは思うもの
街にはほとんど人影はなく
正月の深夜のような街路が四方に延びているばかりで
宴のあとのようでもあれば
これから始まる大きな催しの前の静けさのようでもあった

日中に降っていた季節はずれの雪を思い出しながら
ふと口をついて
♪季節はずれの雪が降ってる……
と古いフォークソング*の一節が洩れ
そうか、あの唄もこんな季節の唄だったかな
と他の部分も思い出していくうち
♪ふざけすぎた季節のあとで……
というサビのちょっと前の歌詞が浮かんでくると
あゝ なんだかこのとおりではないか
と腑に落ちるものがあった

ずいぶんと調子に乗って
人類もふざけすぎた季節を過ごしてきたわけだ
♪ふざけすぎた季節のあとで……
とこれからなっていくのだ
 ♪いま春が来て きみはきれいになった
 ♪去年よりずっと きれいになった
となっていくのだ
きみというのは地球のことだな
いま春が来て
地球はきれいになっていくわけだな
そう思い至ってみると
あゝ なんだか 
ほんとに
そのとおりではないか
と腑に落ちるものがあった



*イルカ「なごり雪」
https://www.youtube.com/watch?v=q0gEn0Q7QX4



2020年3月27日金曜日

無音の都会の壮大な明けがた



夜明け前に起きて
机にむかって考えごとをしたり
雑事にあれこれかまけたり

そうしながら
まだ暗いというのに
ほんのすこし
明ける気配が空気のなかに染みてきた頃
カーテンをあける

そのあとは
無音の
都会の壮大な明けがた
色を変えつづけていく空と雲と
次から次
大きなたくさんのビルが
東の空から受ける色の反映の移りゆき

こんなことにまきこまれるから
夜明け前に起きると
なにもできない
あれもこれもやりたくて
はやい時間に目覚めたというのに

無音の
都会の壮大なあけがたに
まきこまれてしまって




夢からこの世へと覚めて来るときのふしぎに




夢からこの世へと覚めて来るとき
ふしぎに
わたし
まだまだ
こだわっているよ

この世へと覚め上がった(覚め下った?)のに
夕方まで
目覚めのときのふしぎを抱えて
ぼんやり
過ごしてしまっている
もある

きょうは
道の上が木々の枝葉で覆われた雰囲気を
圧倒的な現実感で受け止めながら
目が覚めた

あゝ、これは
わたしの1990年代の住まいの前の道
自動車が片側一台しか通れない細めの道で
うちの前には江戸時代から続く豪農の屋敷があって
高い木々の枝がそこの長い塀から道の上に覆い被さっていた
この道に入ってくると森の中のようで
いっしょに住んでいたエレーヌはこの雰囲気を愛した
そこに住むのを決めたのはこれのためだったほど

あゝ、これは
また
ブルターニュの友シルヴィの家までの小道
村の大通りから曲がりくねって
さらに曲がりくねって
車がようやく一台通れるような森のなかの道を行くとき
両側からの木々の枝葉ですっかり覆い尽くされて
ちがう世界に入っていくのだとわかる
その道を抜けると湖があり
大きなコテージがあってそこが彼女の家

夢なのだ
思い出なのだ
存在しないものなのだと
この世では思わされることになっているが
目を開けて
からだを動かしつつ
迎え続ける日々の一瞬一瞬よりも
もっと現実のようなのは
どうして?

一生
これだけにこだわってきて
わたし
まだまだ
こだわっているよ

夢からこの世へと覚めて来るとき
ふしぎに




2020年3月23日月曜日

わたしはまだ見ていない



イタリア・ロンバルディア州の疫病被害のニュースを見ていたら
クレモナの惨状も目にすることになった

ヴァイオリン製作のストラディヴァリや
その兄弟子のグァルネリやアマティの街で
イタリア好きの友人たちや知人たちは
いつも遠くを見はるかすような目をしながら
クレモナへの旅を語ったものだった

一二〇〇年代に建てられたイタリア最高の尖塔があり
そのわきには街の大聖堂があって
そこのオルガンはかつてモンテヴェルディが弾いたオルガン
神に降りてきてもらうためのものが音楽なのだと
クレモナの人びとは考えているんだよと
そこに行ったことのないわたしは聞かされてきた

1628年の飢饉にもやられず1630年の黒死病流行も避けられたのに
今回ばかりはやられてしまったなと
イタリア料理をいろいろ教えてくれながら
語ってくれそうな友たちも
もう疾うにいなくなってしまっている2020年

旅せよ、あのあたりへと
あんなにも勧められてきたのに
ロンバルディアを流れアドリア海に注ぐ美しいポー川を
わたしはまだ見ていない




ぎこちなくても




あの木はなんという木?
と思いながら
森を抜け
林を
いつものように
そぞろ
歩いて行く

名を知ったとして
わかるべきことがわかるわけでは
ないのに

あの木はなんという木?
と思うのは
たぶん
あいさつのつもり

ずいぶん
ぎこちなくても





黄蝶



山吹の花々の
あの黄色に誘われるように
舞っていた
黄蝶

なんという
自然のたくらみ!

なんと完璧な
瞬間!





いつも告げられている




早春の死のむこうには
やはり
春のとりどりの花々が咲く野辺があり
川沿いがあり
まだ寒さの残る山々の細道や
頬の薔薇色の娘たちが
いっぱいの笑顔を浮かべながら
なにか楽しいことを告げようと待っている
頑丈な丸太づくりの家々が
永遠のふるさとのように点在しているだろう
いつもいつも
もっといいことはこれから来る
それに
ものごとには
終わりというものはないのさ
むこうに行った人も
こちらに残っている人も
いつも
告げられている






空の色のあわい移りゆき




春の花々の咲くころに入って
このごろ
空の色のあわい移りゆきがうつくしい

どれだけのひとが
この贈り物を
すなおに受け止めているだろうか

空をとおく見はるかして
胸の空気ばかりか
こころの気まで
すっかり放ってしまって
からっぽになって
青も水色も灰色も紫も桃色も白も同時にそこに
あるような
あのあわさに
なり切ってしまって






花からもしっかりと見られているのでなければ




桜が咲きはじめている

もう満開のようになっている木もある
まだほとんど咲いていない木もある

ひとりひとり
異なった宿命を与えられている人の世のようだとも思いながら
桜の並木づたいに歩いていく

花を見る
花を愛でる
などと
平気で言ってしまいがちだが
見ることや
愛でることは
やはり
ほんとうにむずかしい
希少な瞬間に恵まれなければ
かなわない
ことでもある

花を見るとき
花からもしっかりと見られているのでなければ
見たとはいえないのだろう
この頃はよくわかっている

花がこちらを見てくれるまでには
ずいぶんと時間がかかり
こころの沈黙もかかる

こちらのこころの沈黙だけが芳香を発して
かれらの注意を引きよせる
沈黙が底知れぬ淵を出現させ
そこから花々を惹きつける芳香がのぼる

桜に見られたことはあるか

どのくらい
あるか

あったか?

それほどまでに
どのくらい
“居ない”
ことが
できてきていたか




2020年3月19日木曜日

しばらくは断るほかはない


  
飲まないかと誘いがあったが
やっぱり
断ってしまった
ウィルスの無症状の感染はかなり広まってるはずなので
あらゆる飲食店の閉鎖空間があぶない
店の人にしろ客たちにしろ
どんなに善意の人たちだったとしても
それで大丈夫となるような甘い話ではない
タチの悪い長引く風邪のような症状でじぶんは済むにしても
まわりに移してまわることになるのは避けられないはずだから
やっぱり
しばらくは断るほかはない

もっとも
日本での場合
4月にはウィルスのやつ
かなり
やる気をなくして
闇の世界に引き上げていってしまうだろう
きっかりと退散するわけでもないから
5月頃までかかるかもしれないが

新型コロナウィルスっていうのは
根気のないやつなので
そこが
こちらの戦いどころになる
ウイルスの学者でもないぼくが言っても意味ないし
いかにもいい加減なデマ屋みたいだが
敵の本質を見抜くのに長けた能力者なので
ちょっと言わせてもらっておく

ワアッと騒いで
もうちょっと頑張れば制覇できるだろうに
今回のウイルスのやつって
いまひとつ
継続力と忍耐力がない
どうもウイルスって連中には
ここのところが
けっこう共通した性質なのらしい
彼らは指令を受けてしばらくの期間だけワアッと騒ぐ連中で
しばらくすると
兵站が断たれてエネルギー切れになってしまう
これはまったく科学的な話でなくて
完全なトンデモなので
絶対に信じないようにしてほしい
ぼくひとりだけの世界把握の直観的な装置による見立てだから

ところが
海外は大変で
ただ事では済まない
どうしてこんな悲劇になってしまうんだろう
と見続けることになるだろうが
カルマ
って
こういうことなんだよ
バチがあたる
って
こういうことなんだよ
何十年どころか
何百年経ってから
孫の孫の孫の孫の…代に祟る
って
こういうことなんだよ

すべてには因果関係がある
って
科学的思考の原理だよね
そう
すべてには因果関係がある
原因のない出来事など
絶対に起こらない
それを極大にまで拡張してものを捉え考えれば
バチは科学となる
カルマは科学となる
誰にでも見える
誰にでもわかる
仏陀にぜんぶが見えていたようなぐあいに

そこまで行かなければ
人間
と呼ぶにふさわしい人間は
まだ
出現できない
科学
と呼ぶにふさわしい科学は
まだ出現できない

地球が教えてくれているじゃないか
運命が教えてくれているじゃないか