2023年8月31日木曜日

「資本共産主義」と「検閲産業複合体」


 

 

周囲の人間たちより

地上の人界の根のところのしくみがよく見えている人は

よく見えている

という事実だけでこれまではよしとしてきたし

ものを書いてそれを人に知らせたい欲望のある人は

本を書いてみたりしたものだが

だいたいは

その程度で満足してきた

 

ところが

人界の根のところのしくみが見えない人間たちが

あまりにたくさん騙されて

一方向に動かされていく事態になると

しくみが見えている少数者も

大きな損害を被ることになってくる

 

そうなると

じぶんひとりを守るためだけにも

なにかをしないといけない

ということに自然となっていく

 

しくみが見えない人間たちの多くが

健康を損ったり

生活の質を低下させたり

血栓や心筋炎や急速に進むガンで死に至るにしても

ぎりぎりのところで

じぶんのところには及ばないように

冷酷に対処しないといけない

その程度の意味では

戦略的になにもしないという行為を含めた行為を

計算ずくで行ない続けていくしかない

 

人界の根のところのしくみが見えやすくするためには

「資本共産主義」や「検閲産業複合体」というキーワードは

なかなか便利なレンズの役割をしてくれるだろう

資本家が自分だけ上位に立って王となり

下の階層の人間には共産主義を強いる事態が進行しており

それを「資本共産主義」とまとめると

急に焦点があってわかりやすくなってくるところがある

 

「検閲産業複合体」は相互に助けあって儲けあう

たくさんの業種の企業がひとつの連邦となり国家のようになり

じぶんたちだけの利益が上がり続けるように

敵対しうる他者の発生の芽を摘むための強力な検閲を

組織的に整備する体制の形成をいうが

個人と個人のコミュニケーションが

電子的な連絡網によってばかり行なわれるように強いられていけば

電子連絡網のシステムを運営する会社を押さえる創設すれば

全人類のコミュニケーションを監視・管理・操作できるのだから

もうすでにほとんど完成してしまっているといえる

 

これらから逃れて自由を少しでも維持するためには

他人との接触を少しでも減らし

資本との正式な接触のしかたを避けて

つねに不当な接触のしかたや利用のしかたをするように徹し

じぶんがすべてを管理支配できるのでない電子連絡網は

まったく使わないか演技的にカモフラージュ使用するのみとするか

ふつうは知名度が収入に結びつく人間社会の基本構造を逆手に取り

知名度から完全にじぶんを断ち切った在りように徹するか

あるいは知名度の裏の裏をたくみに混線させて

アイデンティティー的所在不明性を常時あらたに作り出し続けるか

そうしたことしか選択肢はない

 

もうのっぴきならぬところまで事態は来ており

誰もがとりあえずは死の覚悟をしておくべきなのだが

そういう事態まで来ているとわかっているかどうかで

数年から数ヶ月の生存期間の差は出るだろう

たったそれだけの差に過ぎないとしても

意識的にその差を伸ばそうと思って行動した者にとっては

全人生どころかいくつもの転生経験にも近い価値の獲得となるだろ

 

 

 

 〔参考〕

https://youtu.be/1gjXzqficWk?si=K9KHvZFrrYgQ83sw

 

https://youtu.be/IMv_Qx7658U?si=8Uu-pTa7y7EMd2Rt








いまだに来ない頼朝

 

 

 

  頼朝はどこにもをりてひたすらに蹶起せざれば木を植ゑてゐる

  馬場あき子

 

 

 

 

石井克人監督の『茶の味』こそ

21世紀はじめの

日本映画の最大の傑作だったはずだが

忘れている人も多いようだ

 

 

『茶の味』予告編

https://youtu.be/Da6FJH7IkNA

 

 

このヘンテコさ加減

脱力したタラっとした和みぐあい

誰もが自由にのんびり自己探求をしている雰囲気は

バブル崩壊後の日本の

とにかくもダラダラと平和ではある空気

それなりに文化の極みに達した空気を

本当によく表していた

 

2004年の作品だ

ということが

とっても

重要

 

この後

2006年に始まる安倍晋三内閣と

第二次安倍晋三内閣が

日本のモラルも

経済も

文化も

すべて破壊していくからだ

 

平家にあらずば人々むなし

ならぬ

安倍取り巻きにあらずば人々むなし

となって

頼朝を待つばかりとなった

平成日本

 

いまだに

以仁王は挙兵しないし

頼政も旗揚げしていない

頼朝も来ない

 

ちなみに

以仁王の姉は

式子内親王である

 

いま見直すと

『茶の味』は

安倍晋三政権が破壊してしまった

平成日本の最良の頃の文化的空気を

みごとに伝える

タイムカプセルのような映画となっている

 

CM制作を本領とする石井克人は

8月の約束』で

ゆうばり国際冒険ファンタスティック映画祭ビデオ部門グランプリ受賞を取り

『鮫肌男と桃尻女』(望月峯太郎原作、浅野忠信主演)

PARTY7』(永瀬正敏主演)が評価されて

時代の新監督

と目されるようになっていた

 

『茶の味』は

もちろん

小津安二郎の『お茶漬けの味』や

とりわけ

小津の遺作『秋刀魚の味』を

冗談半分に引き受けるタイトルだが

21世紀はじめまでのニッポン家族や

ニッポン日常というものを描こうとした点では

けっこう

真面目な取り組みだったかもしれない

 

なんたって

映画の中に闖入するあれらの歌が

史上稀に見る奇妙奇天烈さで

あれが

1990年代から2000年はじめのニッポンだよなァ

と思い出させられる

 

監督本人の作詞作曲になる「山よ」!

日本映画史上

最大の奇曲!

眉の繋がった俳優・我修院達也と

素人の轟木一騎の歌唱場面の

鬼気迫る異様さを

デューク・エイセスの声が支えて

2004年カンヌ国際映画祭監督週間の

オープニング作品として上映された時には

世界は

文字通りぶっ飛んだのだ

 

 

「山よ」

https://youtu.be/X-rbKFdQ0Rg

 

 

♪なんであなたは三角定規なの?と

我修院達也の歌う「三角形」も

なんという

とんでもなさか!

 

こうした

とんでもなさ

奇妙奇天烈さ

荒唐無稽さ

これらを誰もが必死に探し求めていたのが

1980年代や1990年代から2000年はじめだったが

それがいつのまにか

「うつくしい日本」などと

シレーッと発語してしまえる

偽善者新興成金どもによって

アベられてしまうことになったのだ

 

 

「三角形」

https://youtu.be/mIVcyCVktSs

 

 





東朝鮮人たちにとって


 

 

「青い山脈」を聴くなら

北朝鮮で歌われているヴァージョンだろう

 

あかるく

つよく

爽快で

歌声の先には未来がある

そんな歌い方

 

にっぽんじんにとってナツメロの「青い山脈」は

もちろん藤山一郎+奈良光枝の歌っているのが元祖だし

その次は神戸一郎+青山和子の歌うヴァージョンも

いっそう若々しくなっていいが

時代を経た今

いちばん元気で気持ちいいのは

なんといっても

北朝鮮の歌手が歌うヴァージョン

にっぽんの歌謡曲好きの北朝鮮ならではの

爽快な名歌唱だ

 

 

https://youtu.be/6GTx_zPckwY?si=Wh-4kvJlTicsMDmT

 

 

なにかとにっぽんは

情報統制された全体主義社会として北朝鮮をバカにしてきたが

いまや

北朝鮮に負けない極度の情報統制社会であるのがバレて

将軍様のかわりに天皇を

共産主義のかわりに統一教会を戴く

全体主義国家であるのが明らかになったのだから

そろそろ国名を「東朝鮮」とでも替えて

弁天小僧ではないが

素顔をぶちまけるようにしたらいいだろう

 

 

にっぽんじんの大半が

小泉政権と安倍政権で

未来計画をめちゃめちゃにされ

尾羽うち枯らして

夢も希望も期待も野望も国への愛もすでになく

疲れ切って

今日にも明日にも中央線自殺をしようかと

後は日にちの詰めをするところまで来ている始末だが

そんな現代にっぽんじんの多くにとって

にっぽんの昭和40年代までの

もうちょっと長めに見ればなんとか昭和50年代ぐらいまでの

あの雰囲気を維持してくれている北朝鮮社会は

懐かしさに溢れた憩いの地であるに違いない

 

 

そもそも

大平洋戦争終結に際して

陸軍中野学校の中心人物たちが

滅亡しゆくにっぽんの真髄を残すために

おもてむき朝鮮のすがたをさせながら

将来再興すべきにっぽんを裏の裏に保存したのが北朝鮮なのだから

北朝鮮が戦中までのにっぽんに近似しているのも

懐かしさいっぱいなのも

あたりまえ

といえば

あたりまえ

 

 

そんなにっぽんじん……

いや、東朝鮮人たちにとって

人気歌手・李京淑の歌う「北国の春」など聴いた日には

もう居ても立ってもいられなくなるだろう

 

♪あのふ~るさとに帰ろかな~ 帰ろ~かな~

 

な心情になってしまうこと

必定なのである

 

 

https://youtu.be/98bnflmHcXk?si=PaQI5jhYN6w6fLlK

 

 

平壌学生少年芸術団の

礼儀正しい

きちんとした子たちも

ほうら

にっぽんの子どもの歌を

きちんと

あたたかく

歌ってくれていますよ

 

 

「手のひらを太陽に」(平壌学生少年芸術団)

https://youtu.be/eHXKWOoFu_w?si=j8a8_16BbNKWd5pm

 

 

「赤とんぼ」(平壌学生少年芸術団)

https://youtu.be/r87Dlc_DnGc?si=bG89yonoH8p5I7DT

 

 

 




2023年8月30日水曜日

とにかくカップラーメンはやめさせようよ


 

 

フードパントリーというのがある

 

お金に余裕のないひとり親世帯などの

食を助けるために

流通過程で余った食品などを集め

必要に応じて持っていって

食べていいようにする設備だ

値上がりばかりの昨今

こういうものの存在は切実になってきている

 

それについて取材した映像を見た

 

驚いた

 

食品として並んでいるのが

カップラーメンとか

レトルトカレーとか

その他のレトルトものとか

袋づめの菓子とか

そういうものばかり

 

まあ

お米も

あるにはあったが

 

災害時の非常食としては

そういうものも

まあ

わかる

 

しかし

カップラーメンや

レトルトカレーをもらっていった母親が

夜の食事にそれらを子らに与え

値上がりしているカップラーメンを

今夜は食べられてよかった

なんて言っている

 

炊いた米にレトルトカレーをかけて

おいしいおいしいと

子らは言っている

 

だから

大地震が起こったりした夜に

非常食として食べるのなら

まあ

わかるんだよ

 

ふつうの夜の食事で

カップラーメンや

レトルトカレーをおいしいがっていたら

ダメだろ

 

カロリーだけで

人体は

できてるんじゃない

必要な栄養素を摂取できなきゃ

食事ではない

添加物を少しでも避けなきゃ

食べれば食べるほど

健康も損われる

 

フードパントリーだから

腐らない乾き物しか置けないんですよ

と言われれば

そりゃあ

しょうがないね

非常食ということならばね

とはなる

だから

ふだん食べていてはいけない

しかたなしの

非常食を置くしかないんですよ

ということなら

 

しかし

カップラーメンを

子どもに夜に食べさせて

今日はおいしかったね

なんて

親も言っていてはいけないし

フードパントリーを企画する人たちも

行政の人たちも

いいものを食べさせてあげた

なんて

思っては困る

あなたたちは夜の食事に

じぶんの子どもに

カップラーメンやレトルトカレーを

食べさせますか?

それでおいしい夕飯だなんて

家族で思えますか?

 

フードパントリーひとつ

企画するにも

やはり

根本的な差別意識が

あたりまえに存在してしまうのだ

お金のない世帯は

レトルト食品でいいでしょ

カップラーメンでいいでしょ

という発想がなければ

それらを棚に置いたりはしない

 

非常食として

カップラーメンやレトルトカレーなどを

棚には並べてありますが

これらは健康にはよくないですよ

しっかりお米を炊いて

量が少なくても

魚や肉をかんたんに調理して

野菜も添えて

ちゃんと食べてください

というようなことを

印刷しておいておくべきだろう

そうした食事を作れるような

食材を置くように

努力すべきでもあるだろう

 

とにかく

カップラーメンは

やめさせようよ

 

それにくわえて

驚かされたこと

もうひとつ

 

お金にゆとりがない

といって

カップラーメンやレトルトカレーをもらっていって

こどもに食べさせている

キッチンの隅に

犬を飼うためのケージがあったのだ

 

まさか

そのうちツブシて

犬肉を食べようと思って

飼っているわけではあるまい

 

フードパントリーで

カップラーメンをもらって来る家庭に

どうして

犬を飼うゆとりがあるのか

わからない

 

食べ物の一部は

販売時に食材を載せてある

発泡スチロールのトレイに載せたまま

テーブルに出してあって

一家そろっての夕食

というのも

わからない

 





モイラとかモイライとか

 

 

 

横にながいビルなので

すべてのあかりが消えていると

お城のようにも見える

 

目の前に現われた時は

実際

どこのお城だろう?

と思った

 

しかし

お城ではない

風景としてずいぶん馴染んでいた

渋谷の大型ビルだ

できた時には

1階や2階に飲食店や

ゲームセンターがたくさん入り

ラーメン屋やスパゲティ屋は

よく利用した

 

そんなビルも

取り壊しが迫ってきたらしい

すべてのあかりが消えて

出入りする人たちも皆無になってみると

逆に凄みのある存在感で

夜の暗さの中に鎮座している

 

まわりは真っ暗で

もう建物はひとつもない

墨を流したような

とか

墨汁を流したような

という

暗さの形容があるが

真っ暗に見えても暗さに濃淡があり

薄墨を流したような暗さのところもある

 

あんなにたくさんのビルで

ひしめくようだった渋谷なのに

目の前にあるビルの他は

もうなにもない

すべての建物が取り払われて

黒土が露出している

 

 

 

 

ぐんぐん彼女は進んでいくので

暗くなったお城のようなこのビルを

眺めている暇もない

 

たくさんのビルはなくなったが

広大な跡地には

掘っ立て小屋のような簡易な家を建てて

住みつく人たちが増え

そうした家のあいだを抜けて

彼女は進んでいく

 

どの家にも塀や門などはなく

家のまわりには

夜でもたいてい洗濯物が干されていて

それらの隙間を縫って

ぼくらは進んでいく

 

塀がないと言ったって

あんまり家の近くは通らないほうが

いいんじゃないかな?

などとぼくは言ってみるが

彼女は聞き入れるそぶりもなく

あいかわらずどんどん進んでいく

 

 

 

 

それにしても

あれほどビルが立ち並んで

繁栄を極めたように見えていたのに

黒土の上に平屋がぱらぱら立ち並ぶだけの

貧しい時代の郊外のようなこの風景は

どうしたことだろう?

数十年でこれほどまでに

土地の風景というのは

変わってしまうものだろうか?

あれらたくさんのビルを建て

活用したり維持したりしていたひとつの文化は

これほど少しの時間で

こんなにも容易に消滅していくものか?

 

見えている空気の暗さに驚きながら

どんどん進んでいくばかりの

彼女に遅れまいとこちらも足を速めながら

黒土の上を進み続けていく

 

いつもどこでもこうだった

ぼくを導きながら

ときどきついて行けなくなりそうなほど

はやく好き勝手に

ぐんぐん

どんどん

彼女は進んで行き

見たこともない

見るとも思えなかった風景の数々に

ぼくを直面させ続けたのだ

 

彼女は誰だったっけ?と

ときどき確認しようとするのだが

ずいぶん曖昧に

いい加減に

いつもどおりに呼んでおくしかない

運命

 

モイラとか

モイライとか

クロートー

ラケシス

アトロポスの

運命の女神の三姉妹

などと

ちょっと箔をつけて

ギリシア語で呼んだりする必要は

ない