2016年1月24日日曜日

ずんずんずんずん


低気圧が抜けたら
たちまち体調はよくなって
てっかてかに陽が射しているからにゃ
昼日なか
走るか歩くか出にゃならん

出てみたら
とんでもない冷たい強風
んだが
これも生きていてこそ
北風空っ風の中で遊びまわった
子ども時代を思い出し
頬にキビキビ冷風受けて
ずんずんずんずん
歩く
歩く

スマホも金も
カメラも持たず
バッグもポーチも身につけず
薄着の上に薄ダウン
まるでユニクロの広告みたいに
やけに軽装で出てきたもんだ
はじめのうちはスウスウ寒いが
20分そこら速足すれば
すぐに汗ばむ首元、背、肩
身軽に歩けばようやっと
体は自分の調子に戻る
バッグ持ったりスマホ持ったり
カメラ持ってはこうはいかぬ
イヤホン付けてもまるでダメ
風音聞いて
耳の穴を凍らされ
角膜を痛く冷気でなじられて
こうして歩くがやっぱり一番
頬にキビキビ冷風受けて
ずんずんずんずん
歩く
歩く




強い風


それにしても強い風だ
強すぎる風の土手だ
時どき前に進めなくなる
髪はすっかりオールバック
口を開けるとフグになる
手ぶらで歩いているのに
なにか飛ばされそうだ
大寒波が来ていて
地方によっては
大雪になっているそうだが
ここらあたりは快晴
そのかわりにこの強風だ
強風の中の強風だ強い風だ
驚き続けるのも芸がないが
ほんとに大変な強風だ
台風なら出てきやしないが
台風もどきのこんな強風
こいつはいったいなんだ
オールバックなうちはいいが
そのうち抜けていきそうだ
一本一本髪だって耐えている
それにしても強い風だ
しかも寒波の煽りで
冷たいこと冷たいこと
強風で寒風で冷風で暴風だ
空は快晴かんかん照りで
人も犬も木々もわさわさ
それにしても強い風だ
否応なしに生きさせられる
元気を出す他なくなる風だ
まったく楽しくなるほど
とんでもなく強い風だ


大寒の荒川



深く濃い青をあつめ
めずらしい貴重なもののように
午後三時半
荒川は流れていた
水辺の丈高い草々は
きれいに赤く枯れ
河畔の柳も赤毛

どこまでも続く
長いながい剣のような
ギラギラと濃い青のさまは
どうだ
濁った茶緑色の時が多いのに
ありふれた荒川の
大寒の午後の水面ときたら
どうだ
カメラを持ってきていたら
夢中になるだろう
いつまでも
何枚も撮り続けるだろう

鋭い水面の鱗をキラキラさせ
青く黒く明るく
起伏に富んだ水面を
延々と敷きのべている
この荒川ときたら
まるで世界の名所の
どこかの絶景のようで
午後三時半の光の中
格別の賜物のように
来合わせた者だけへの
おおっぴらな魔術のように
恐ろしいほどの煌めきの
鉱脈の露出のように
冬の水の粋に成り切っている




計量というべきか…



  (あの愚かな
  (あまりに俗な書付けを詩と呼んで
  (呼びあって

…煙草にするのに向かない
かもしれない
草を
わたくしはひとり吸うことにしよう
乾かすのに
時間が取られるにせよ
手間もかかるにせよ

空いた酒瓶が、…もし中が湿っていないなら
草の器とも
枕ともしばらくはして

わびしい集まりと
わびしくない集まりが
同じ面積を
占めるとはいえ

空色の紅茶を
うぐいす豆
数粒を散らした皿に
しっかりと
中央に
置こうと努めてきた
千年ほど …その間の為政者たちの
思い出せる顔
思い出せない顔

  (脳の中に居る人がいるだろうか…
  (皆、脳の前に、…目と脳とのあいだに
  (居るのではないか…

バランス

計算

…いや、

計量
というべきか…





声は聞かれず
顔は眺められず
文字は読まれず

参加しない
合流しない
Yesと言わない



転調

  
咲き誇ったこの大きな百合も
また衰えて
崩れていこうとするのか
林立する高層ビル群の上層階の窓辺に
陽を受け続け
夜を吸い
夕べに身を浸した
堂々たる白い王者よ
凋み崩れた後の
おまえの久遠の不在をすっかり準備し終えた
いま



レテ


悪魔のように誠実
ヘンリー・ミラー


  
いま記し始めた
これらの言葉たちにしても
誰にも
読まれることはない
読ませはしない
決して

そうして
などとはもちろん主張しようとはせず
たゞ記し手の束の間の
あるいは
仮足場
のようなものとして
なめらかに忘却の河を下って行かせる

河下りの
途方もない寂しさ
方途のなさの最中にあってさえ
などと
これらの言葉たちが
主張しないように

とは
と同じ究極の概念で
いかなる場合でも
最も遠い他人からの最後の評言でなければならないから

おゝ神よ
どうか
を書く
書いている
書いた
などと口走る
者たちをお赦しください




髪を捨てよ


ぐっと寒くなった夜
大通りの 
人もまばらな信号で待っていると
となりに女が来て
立ち止り
通りを向いて
信号のかわるのを待っている

数日前や
数週間前にも
電車の中や
どこかの大きな駅の構内で
何度かすれ違ったり
隣り合わせた女たちによく似て
中背
染めた赤っぽい栗色の髪
髪に隠れてよくわからないが
丸そうな顔

髪は長く
よくまとまっていて
胸より下まで伸びている
もし裸なら
乳がすっかり隠れてしまうぐらい
房のように垂れている

どうして
近頃
おなじような女たちと
すれ違ったり
隣り合わせたりするのだろうと
思う

わからない

あたり前だが
わからない

けれども
こんなに豊かな髪は
大病の時や
死の近い時には
たいそう不便だろうと思えた
入院していたら
この髪は洗うのに不便だろう
女たちは病床では髪を諦めざるを得ない
髪への執着を離れよ
離れよ
それが幾ら数年後でも
数十年後でも
髪を捨てよ

もう信号がかわる頃
わたしは無言で
しきりに隣りの女に告げ
曇天を見上げ
近く遠くのビルを見
車の流れがヒタッと止まって
そこだけ潮の引くように不可思議に
横断歩道に空間ができるのを見て
隣りの女から
永遠に離れ
わたしだけの未知へ
踏み出した



2016年1月23日土曜日

ことばっていうのは

  

ことばっていうのは
意味を伝えたり
なにか主張するのに使ったり
そんなことばっかりじゃ
ないだろう
ことばっていうのは

…なんて思いながら
ノートの白いページを開いたり
パソコンの新規ページを開いたり

ふしぎなもので
そうしてみるだけで
もう
たちまち
あれやこれやのことばたちが
ぽつぽつ
うじゃうじゃ
がやがや
ざわざわ
思いの表面に来るもんだから
記しちゃうんだわさ

ぽつぽつ
うじゃうじゃ
がやがや
ざわざわ




ゆたかな経験のうちかも


寒波や低気圧が来るとなると
いつもと違う疲れが体を鈍くする
腿や腕の筋肉の中に
奇妙なほつれ感が現われ
きびきびと動きづらくなる
地震の前の地磁気の変化にも
体は敏感に反応するほうで
無性にだるくなったり
眠くなったりして
ひどい時には
座ってさえいられなくなる

面白いことに
近くの地震を予感するだけでなく
大陸の奥地の地震や
地球の裏側の地震も
起こる前に感知できる
どこで起こるかまでわからないのが
残念といえば残念なのだが
今の体感にピンと来るところは
さてどこだろうと
じぶんの足下の地面の中を想像したり
地球のあちこちの地面の中まで
想像を走り廻らせたりしてみるのも
考えてみれば
ゆたかな経験のうちかもしれない



2016年1月20日水曜日

ゆっくり



夕食にするのに
いま
マグロの
大きなカマを焼いている
近所のマーケットで
よく198円ほどで放出するのだ
外食すると
なにかと
ガッカリさせられるが
安値で
こんな良品が毎日手に入るので
いま住んでいるあたりは
メッケモンだったのさ
もっとも
10年かけて
じわじわ
探していったものだったけれど
地図を開いては
勤務先を中心に
コンパスで円を描いて
移動時間を計算しながら
いろいろなところを割り出し
そこに買い物や
その他の生活利便性を考えあわせて
ゆっくり決めていったものさ
ゆっくり
ゆっくり
ゆっくり
ゆっくり




電車の中


隣に座っている男は
さっきから
ずいぶん真剣に
なにか手帳に
書きつけている

べつに
気にもならないが
こういうのは
チラッと覗くことに
しているので

覗いてみたら
焼酎 正正正正正正…
清酒 正正正…
麦酒 正正…

酒屋かなにかか
それとも
自分で今月飲んだ分か
誰かの分を
付けているのか

手帳のなんでもないページも
時どき
こんな意想外の
線や構図や配列で
埋められていったりする




よほどの理由あってのことだろう


また夜の9時をまわったが
うちの柱時計
いつからか
13時を打つようになっている
つい今しがた
13回鳴り終えて
針だけが進むふつうの歯車の音に落ち着いた
柱時計は玄関ホールの柱に掛けてあるが
ずいぶん離れたこの部屋まで
13回の鉦音は響いてくる
歩けば6分ほどはかかる距離だから
厳密にはすこし遅れて
響いてくるのかもしれないのだが

また夜の9時をまわり
うちの柱時計はまた13時を打ったが
9回鳴るよう調整する気には
ならない
放っておけば
いつか9回なるように戻るかもしれない
柱時計には柱時計なりの都合や
気分というものがあろうから

時には8回打つのだし
他の時間にもその時間だけの回数を打ち
朝の9時には9回打つのだから
よほどの理由あってのことだろう
夜の9時に13回も打つのは
そのあたりの事情に乱暴に介入しようとは
わたくしとしてはあまり
思わない


私は私には自我がないのを知っているので


私は私には自我がないのを知っているので
私はどの私にも加担することがないが私のふりはしている
というのも私は私だと示すのが人類の現時点での通行手形らしいからで
愚劣極まりない私振りの田舎芝居とは思いつつも
私はどの私とも乖離した殆ど架空の私を社会に提示しながら
どんな一瞬も仮面でしかないその私なるものの裏で
右と言った傍から左と呟き
それいいですねとにこやかに言った傍からアホラシと思い
黒と言う前から白と断定していたりする



2016年1月14日木曜日

ニャン化



Y!mobileがニャン広告し出す以前から
ぼくは勝手にひとり
何十年も前からニャンてってて
話す時の語尾はニャンだし
なにか考え直さニャきゃという時には
ニャンともニャァ…とか言うし
だいたい
アタマの中じゃ
なにを思うにもいッつも
ニャン
ニャン
ニャ
ニャ
ニャ
と鳴ってるし

こんなニャン史をつらつら辿ると
ひょっとして
『いなかっぺ大将』のニャンコ先生あたりが
もっとも強烈な淵源かもしれんニャ
とは思うけれど
なにがニャンでもニャンを入れよう
とにかくニャニがニャンでも変換だニャ
ニャン化できるところは
隈なくだニャ
ニャンニャンしよう
ニャンニャンだ
ってアタマなので
まわりのごくごく親しい人は
いッつもいッつも
こいつ
ホント変だニャン
どうしようもないニャン
なんて呆れてるけど
ニャンだ
もう
そっちにも
伝染っているニャン
ニャン化しニャいように持ちこたえようニャンて
そんな無駄ニャ努力やめて
はやく
楽にニャったらいいニャン
いいのにニャン