2021年7月31日土曜日

大器免成とも言うじゃないかと

 

 

わたしとは誰か

などと問わなくなるのを成長という

とりあえず

皮膚からこっち

内側が「わたし」ってやつかな?

などと

冗談を言いながら

老い人は逝きたいと思うだろう

老い人には老い人のダンディズムがあり

しゃれっ気が

きっと

ある

 

皮膚から

わずか00000ミリの空間を

ついに

わたしと呼べなかったことを

どれだけ多くの人が悔いながら逝くのか

 

いやいや

それもオツなものさ

そんな限界が

最後まで残ってしまうっていうのも

軽く軽く

逝けるだろうか

 

画竜点睛を

最後まで

欠く

かろみ

 

大器免成

とも

言うじゃないか





たゞ夏


 

夏は

たゞ

というだけで

よい

 

海にも

行かない

山にも

行かない

 

たゞ

というだけの

 

たゞ

というだけで

よい

 

ゆうぐれは

夏の

ゆうぐれ

 

夜は

たゞ

夏の




「間に合ってます!」

 

 

なんであれ書かれたものを見ると

まさか

記述者にとっての過去を無思慮に記しているのではあるまいな?

まさか

記述者の思念を淫らに記しているのではあるまいな?

まさか

記述者にとっての近未来計画に類したものを……?

などと

見てとろうとしてしまう

どれも言語記述内容における安易通俗低俗の極みなので

これらが見てとれた時点で読むのはやめる

 

もちろん

自分がこれらの内容を記述するのはよいのだ

というより

これらの内容を扱うのは自分だけで足りている

 

「間に合ってます!」

むかし

押し売りには言い放ったものだ






残りゃあしない


 

オリンピックをチラッと見たりすると

記録に残るとか

歴史に残るとか

ろくでもない嘘っぱちを

コメンテーターとかアナウンサーとかが

やっぱり

言っている

嘘だよ

残りゃあしない

 

1964年の東京オリンピックの時は

ほんとに幼かったので

アベベとか三宅以外はうろ覚えでしかないが

次のメキシコ・オリンピックからは

けっこう注意して見たので

いろいろな選手が世界記録を出したり

すごく話題になったり

そういうことのいちいちに心を沿わせた

メキシコ・オリンピックを目指してレスリングの練習をする

中学生・東一郎を描いた川崎のぼるの漫画『アニマル・1(ワン)』が

テレビで放映さえされて子供たちを虜にしたことも

忘れられない

 

だからわかるのだが

どんな新記録も世界記録も

いつも

残る残る残る残ると言われながら

たいして残りはしないのを

世論の中のひとりとして

群集民衆人民民草のひとりとして

実地で経験してきているのだ

 

そりゃあ数ヶ月は人の思い出に残る

次の競技会で記録が更新されるまでは

場合によっては数年も保つかもしれない

次のオリンピックまで保つかもしれない

しかし記録が塗り替えられればもう人心は新記録のほうに移る

新記録を出した選手のほうに話題はグッと移り

そのひとつ前の記録達成者にはもう見向きもしなくなる

これが人類の進歩というものだと言えば言えるが

あの時の新記録達成者の名も人生ももうどうでもよくなり

とにかく新しいもの新しい人へと人心は移っていくばかり

だからたいして残りはしないのだ

あの時のあれがどんなにすごかったか

どんなに騒がれたものだったか

などと熱弁を振るっても今の若者は白けるばかりで

それはしょせん昔話に過ぎず

ハイハイ、そうですか、おじいちゃん

ハイハイ、そうですか、おばあちゃん

と済まされるばかり

 

記録に残るとか

歴史に残るとか

嘘だよ

残りゃあしない

 

いちいち大記録が出たり

新記録が出たり

名勝負が行われたり

世界記録が出たりしたのを

ほんとに

さんざん

さんざん見てきて

その都度

記録に残るとか

歴史に残るとか

コメンテーターとかアナウンサーとかは

言っていた

 

嘘だよ

残りゃあしない

そりゃあデータには残っているよ

数字として文字として書類として資料として

データ倉庫に調べに行けば

今ならネット上でもきっと見られるだろう

 

でも

嘘だよ

残りゃあしない

ロサンゼルス・オリンピック金メダルの

日本柔道界最強の男山下泰裕がIOC理事になっていたり

全日本選手権優勝のスケート選手で

アルベールヴィル・オリンピックでは銅メダルの橋本聖子が

東京オリンピック・パラリンピック大会組織委員会会長だったりしても

今の若者には

なんだかすっとぼけた中年のオッサンとオバサンだ

としか

思われない

トーマス・バッハが

モントリオールオリンピックで金メダルを取った

強いフェンシング選手だったのも知らないし

森喜朗が金沢二水高校ラグビー部キャプテンで

強い思いで入った早稲田大学ラグビー部を

泣く泣く胃潰瘍から退部したのも知らない

 

それだって

ちょっと調べればすぐにわかる話なのだが

後から後から情報の奔流が続くこの忙しい時代にあっては

誰も調べはしない

調べさえすれば記録はそこにあり

経歴はそこにあり

すべてはそこにあるのに

誰も調べないから

心にもおしゃべりにも巷にも

記録も残らない

経歴も残らない

物語も残らない

感動も残らない

共感も残らない

 

だから

コメンテーターとかアナウンサーとかが

記録に残るとか

歴史に残るとか

いくら言ったって

それらはどうしても構造的に必然的に

ろくでもない嘘っぱち

 

やっぱり

残りゃあしない

なぁんにも

残りゃあしない

 

中学生・東一郎を描いた

川崎のぼるの漫画『アニマル・1(ワン)』の歌を*

だれか

今でも鼻歌で歌ったりする?

しない?

朱里エイコが歌っていたパンチの効いたあの歌さえ

今のほとんどの人の記憶に残っていないということは

やっぱり

残りゃあしない

なぁんにも

残りゃあしない

ということ




 

*https://www.youtube.com/watch?v=2N5IQAThB3c&t=27s





歳を重ねていくと暑ささえも層を重ね

 

たしかに暑いし

雨が降るとその後は湿っぽくなるが

それでもクーラーをつけないのは

こんな程度の暑さや湿気で負けていては

これから来るもっとひどい暑さに対抗できなくなる

世界的な停電が引き起こされて大変な事態になるはずだから

と思うためでもあれば

過去にはるかに暑い時も忍んだからでもある

歳を重ねていくと暑ささえも層を重ね

いまの一瞬の暑さが様々な過去の暑さにじかに繋がっていく

扇子や団扇で最近はバタバタと昭和の頃のように扇ぐようになった

これが意外に効果のある涼み方で

なるほど昔の人がやけにバタバタやったのが頷ける

これでだいたいの暑さは凌げるのも事実なのだ

 

あれはたしかトゥールーズだったと思うが

大西洋側のビアリッツやバイヨンヌから地中海に抜ける途中で寄り

日本へ新聞記事のための原稿を書いて送る必要があった時

やけに暑い夜にホテルの換気の悪い暑い熱い部屋で書いて

清書して封筒に入れて翌朝はやく郵便局に行こうと準備した

今のようにSNSなどないしそもそもインターネットがなかった

その頃のフランスの地方都市のホテルにはクーラーなどないので

夜も窓を開けて換気するほかはないのだが

風がまったくない夜ともなれば暑さはただ事ではない

その夜もちょうどそんな夜で

頭が爆発するのではないかと思うほど暑くて

書き終わってから汗だらけになって横たわったものだった

 

翌朝しずかな明け方の空気や景色の中に顔を出して憩っていると

数階下の窓が急に開いてフランス人の男が顔を出した

こちらを見上げたりすることはなかった

同じ建物の下ではなく折れ曲がった壁の側の部屋の窓で

男の部屋の中がすこし見える

男は窓のある壁に寄り添っておもむろに逸物を出すとしごき始めた

朝っぱらから自慰をしているわけかと感心してずっと見下ろしていたが

もうそろそろ射精するかと思われたところでふいに

男はこちらを見上げてハッとして窓を閉めてしまった

彼の精液がほとばしるところを見られなかったのは残念だったが

あのまま頂点に達したとしたら何処に彼はぶちまけたのだろう

それが訝しくもあったし他人事ながら心配でもあった

ともあれトゥールーズの早朝のなんとも静かな自慰の光景であった

 

その後カルカッソンヌに向かって酷暑のなか中世の城塞都市をめぐ

ナルボンヌやベズイエを経てモンペリエに向かったが

モンペリエの八月の暑さといったら日本どころではない

街中が水蒸気で白くなり日中に外に出られないような暑さが支配し

日本の暑さを知っているから地中海のそれなどなんでもないなどと

無知を無知とも思わずに生きてきたのをガツンと打ち破られた

モンペリエの知人の家はもちろん列車もトラムもバスもどんな店も

空調設備などまったく入っておらずじかに温度を受止める他ない

汗で濡れ切ったTシャツを着続けているのなどなんでもなくなり

寝ても覚めても温度の下がる時がないので冷えもしないが

とにかくTシャツもズボンも汗で濡れっぱなしである

ニームもアルルも暑かったがモンペリエほどではなかったと感じ

日本の夏を何年も後に体験した時にはこれは初夏か?と思った

このところの2021年の夏の暑さもやっぱり初夏の暑さなのだ





2021年7月28日水曜日

チョカチョカチョカチョカ

 

 

「悪に強きは善にも、と……」

河竹黙阿弥『天衣紛上野初花』

 

 


夜中にスーパーまで歩いていると

六階建てのマンションの前のアスファルトの道に

煙草の吸い殻が落ちていて

だれか踏んだのだろう

ペッタンコになっている

黒いものがそこに蠢いているので

よく見ると

羽の生えた大きなゴキブリで

近づいたわたしを恐れて

走って逃げていってしまった

 

真夏のトーキョーゴキブリは

昨今

意外と元気がなくて

人から逃れるのにもモタモタ歩いていったりするのだが

この夜のゴキブリは

ゴキブリならこうあってもらいたいような

チョカチョカチョカチョカ

というみごとな逃げっぷりで

見ているわたしが嬉しくなった

 

ゴキブリにはこうあってもらいたい

チョカチョカチョカチョカ

というみごとな逃げっぷりで

やっぱりわたしを安心させてもらいたい





2021年7月27日火曜日

少なくともそれだけは

 

 

じぶんのいまの身にあった

ことばを

書きつけるのって

すごく

むずかしくって

 

ちょっと書いてみては

数秒前のじぶん用の枠組っぽかったり

 

だいぶ古い

どこかで心のすきまに注がれた

へんな道徳っぽいにおいがあったり

 

やだな

 

すぐに止める

 

いいな

と思っていることばが

いま

じぶんの身にはよくなかったり

 

じぶんに

あう

と思ったことばが

あわなくて

 

じぶんが

ふいに変容していたりして

 

教えられることも

ある

 

じぶんが

いま

どんなじぶんで

ないか

 

少なくとも

それ

だけは





まだ食べてないこの夏


食べようと思えば

えり好みしなけりゃ

そりゃあ

いつでも

どうにでも

食べれるんだが

どうせ食べるなら

すっごくうまい

肉厚の

油のよく乗った

でも

油が辛くならないような

もたれないような

そんな鰻が

食べたいもんだから

まだ食べてない

この夏





書いてくれなきゃ だれか

 


雲に呼びかけたのは山村暮鳥だけど

呼びかけたって

聞こえないだろうよ

あいつら

 

あゝ やわらかで

感傷的で

やさしくって

たっぷりお嬢さんっぽいような短い詩が

読みたい

 

そういう詩

だれか

他のひと

書いてくれなきゃ

 

読み手になれないもん

 

ぼく

読むひとに

なりたい

 

これ

面白そうっかな

って

本開いて

ビスケットなんか

何枚か

小皿に載せちゃってさ

お紅茶

もちろん淹れて

 

これ

面白そうっかな

って

開きたい

 

書いてくれなきゃ

 

だれか



っっっっっっっっっっ


 

っっっっっっっっっっ

と記すと

気持ちいい

 

小さい「っ」が

いいね

 

っっっっっっっっっっ

だよ

 

っっっっっっっっっっっっっっっっっっっっ

っっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっ

っっっっっっっっっっっっっっっっっっっっ

っっっっっっっっっっっっっっっっっっっっ

っっっっっっっっっっ

 

あんまりやり過ぎると

「っ」でも

「っ」でさえも

すぐ

形式に嵌まっていこうとする

 

やり過ぎないことだ

 

形式に

襲われないために

 

形式は詩の素

つまらない

のね

 

それって

 

形式ができかけるのは

しャあない

 

でも

でき切るまでに

逃げなきゃ

 

っっっっっっっっっっ

 

っっっっっっっっっっっっっっっ

 

 

っっっ