2018年8月28日火曜日

あの時に教室のあかりを消すことにして



   「あの頃かもな、ぼくら、いちばんよかったのは」
   とフレデリックは言った。
   「そうかもな、ほんとに。あの頃がいちばんよかったよなあ」
   とデローリエが言った。
   ギュスターヴ・フロベール『感情教育』

  
空がはげしい雷鳴を轟かせているあいだ
部屋のあかりをみな消して
カーテンを開け放ち
夜空の黒のなかにつぎつぎ走る稲妻に虹彩を向けていた
強いひかりややゝ弱いひかりに
虹彩はいそがしく緊張や弛緩をくりかえし
瞳孔の音楽を奏でていたのだろう

もう三十年も前
大きな進学塾で教えていた頃
あまり出来のよくない或るクラスの夏の講習では
夜7時頃から始まって
9時半まで生徒たちを閉じ込めていなければならなかったが
今夜のようなはげしい雷雨に見舞われて
夏の部活を終えた子たちがびしょ濡れになりながら
わあわあ教室に駆け込んできたことがあった

黒い髪をすっかり濡らし
スポーツシャツも制服のブラウスも透けるほどに濡れて
中三の女の子たちがはじめて陸に上がった水生生物のように興奮し
土砂降りの中を駆けてきたことを語りあっている
教室はビルの四階にあって
まわりは低い家ばかりだったこともあって
三辺を窓ガラスが囲む教室からは
夏の夜の嵐の雷鳴のかがやきがよく見えた
タオルで濡れた髪や体を拭きながら
たがいに拭きあいながら
授業もそっちのけで窓のほうに寄って
どこに雷が光ったか
次はどこで光るか
いそがしく追い続けながら
ひとときの予期せぬお祭り騒ぎになっている

もともと勉強への熱意の薄い子たちだが
この夜はいっそうのこと勉強どころではなく
かといって教師としては放っておくわけにもいかないものの
よし、ここはしばらく教室のあかりを消して
せっかくの雷鳴のお祭りをみんなで楽しむことにしよう
と私はドア近くに寄ってあかりを消し
さあ、今夜は特別だ、ちょっと雷を見ることにしよう
と不意のナイトショーのはじまりを告げた
わあぁ、と歓声が上がったが
すぐに声は収まってひっそりとなってしまい
どうしたことかとちょっと不安になったが
生徒たちが三方の空に展開される雷鳴のショーに心を奪われて
まるで人生の頂点のひとつの瞬間のように
ほとんど自失して
中三の夏の一夜の光景に見惚れてしまっているらしいとわかった

それから十三年も経った頃
まだ連絡を取りあっていた女の子から
あの夏の夜の教室にいっしょにいた別の子ゆかりちゃんの身に
立てつづけに不幸が重なったと聞き
まだ二十八歳というのに両親を事故で亡くし
弟も自殺で失い
ずっと仲のよかった恋人とも気まずく別れることになってしまって
ゆかりちゃんがあまりにかわいそうだから
このあいだも励ましの飲み会してきたんです
とのことだったが

でもね、あの中三の夏の嵐の教室はよかったよねえ
なんかすごくよかったよねえ
教室のあかりを消しちゃってさ
みんなでしばらく雷を見ていたんだよね
あの時間ってよかったよねえ
いちばん幸せだったかもしれないねえ
とゆかりちゃんは言っていたそうで

そう聞きながら
ちょっと胸に来るものが私にはあったが
そんなことないよ
いちばんの幸せはまだまだこれから来るんだよ
そう伝えておいて
と言いながら

あの時に教室のあかりを消すことにしてよかった
じつはけっこう迷ったのだが
あの時ちょっとした勇気を持てたのはよかった

まるで
人生のほんのいくつかの正解の瞬間だったかのように思えて

いまさらながらに
いつまでも
いや、ますます没入していくように
あかりを消した
あの時の
夏の夜の嵐の教室の
だけ
さらに
さらに
なっていく
よう
だった……



2018年8月27日月曜日

いつにもまして激しかった雷雨も



O vous que rafraîchit l’orage...
Fraîcheur et gage de fraîcheur...
Saint-John Perse  «Vents»



小さな川も
大きな川も
みんな氾濫させてしまうかと思われたほどの
いつにもまして激しかった雷雨も
やはり
終わっていってしまう

地面から人の背丈ほどまでの高さのところは
日中の激しい暑さをいっぺんに強奪されでもしたように
しばらくは涼しくなってしまう

雲は
しかし
まだまだ厚く
危うく
黒々とした龍たちは
空のあちこちに隠れているようだ

つかのまの
雨や雷の切れ間
ちょっと買い足すものがあって
出かけていく

ずいぶん涼しくなった
と思って歩を進めていくうちに
いつのまにか
もう蒸し返してきつつある






ギネスをゆっくりゆっくり飲み続けている



西洋料理屋に入ろうとしたら
係がご案内しますので此処でお待ちください
とあった
そこで待った

後から来た男が
すうっと幽霊のように私の先に歩み出ていって
それを見たフロア係が
あたりまえのように
男を先にテーブルに案内していった

その男を席につかせ
水とメニューを持っていってから
フロア係は
ようやく私を「ご案内」しに来た
幽霊のように順番をさらっていった男に
たぶん
3分ほど遅れたのではないか…

男のとなりのテーブルに「ご案内」されて
そこでギネスを飲み
ミラノ風カツレツも食べた
ちょっとのんびりしたかったので
ゆっくりゆっくり食べ
ギネスもゆっくりゆっくり飲んだ

男はカニクリームコロッケを頼んだらしい
さっさと食べ終わり
なにを思っているのか
空いた皿を前にしたまゝ
レストラン内のどこかを見つめている
給仕が皿を下げに来たが
手で払うようにして(まだだ)と示す
そうしてまた
どこかをじっと見つめている

そのうち
男は手を挙げて給仕を呼び
デザートのメニューを持ってきてくれ
と頼んだ
かしこまりました
と答え
給仕は離れていく

ところが
いつになっても
給仕は帰ってこなかった
あんなにはっきり
私にもよく聞こえるほど
かしこまりました
と言ったのに
待っても
待っても
メニューを持って来ない

私はとなりのテーブルで
ミラノ風カツレツをゆっくり食べ続け
時間が経っても
飲みぐあいのあまり変わらない
ギネスを
ゆっくりゆっくり
飲み続けている

さっきの給仕を目で追っているのか
男はじっと見つめ続け
待ち続けている
3分どころか
優に5分以上は過ぎたが
ずいぶん忍耐して
男は待ち続けている

とうとう待ち切れなくなって
男は手を挙げる
べつの給仕が近づいてきたところへ
ずいぶんはっきりした発音で
さっきデザートのメニューを頼んだんだけどまだ来ていません
と言う

7分か
8分ほど
経っただろうか…

もし入口で
後から来たこの男に順番を取られ
7分か
8分ほど
待たされたとしたら
この店に入るのはやめただろうな
と思いながら

私はとなりのテーブルで
ミラノ風カツレツをゆっくり食べ続け
時間が経っても
飲みぐあいのあまり変わらない
ギネスを
ゆっくりゆっくり
飲み続けている



石棒


 
縄文展*では
いくつか石棒**も展示されていて
削ぎ落しの果ての
現代彫刻のようなシャープな形状が
長い長い時間の流れを忘却させるような
同時代性を突きつけてきていた

夏休みなので
子ども連れのお父さんも
お母さんも
おばあちゃんも
場内にはかなりいる

土偶の前でも
土器の前でも
親たちはいろいろと説明し
突飛な質問をしてくる子どもたちに
あれこれ答えていた

石棒の前でも
もちろん子どもたちは
これ、なあに?
と質問する

たいていの子は
石棒に振ってあるひらがなが読めるので
い、し、ぼ、う…
と声に出して発音したりする

そう読んでみると
石の棒かァ
となんとなく納得してしまうので
子どもたちのほうも
あまりしつこくは聞かない
すぐに他のものへと関心が移っていくので
たいていの親たちは
そこで
ホッとしている

小学校の低学年か
幼稚園ぐらいか
ひとりの男の子が
これ、先っぽ、キノコみたい…と
大声で
親に言っていた

親以外の
まわりの大人たちは
この親がなんて答えるか
この男の子が
さらに
なんて質問するか
興味津々
であるかのような雰囲気が
できあがったが

残念!

男の子は
つつつつつっと
むこうの土偶のひとつのほうへ
歩いて行ってしまった



*「縄文 特別展」(東京国立博物館、201873日~9月2日)
**縄文時代にみられる磨製石器の一種。男性器の形状で、呪術・祭祀に用いられたと推定される。長野県佐久穂町出土の北沢大石棒は、長さ223cm、直径25cmにもなる。




安全地帯


ー人は食べられなくなったら終わりでしょう?
ーそうしたら終わりと覚悟すべきでしょう。
ー無理に食べさせようとするべきではないでしょう…
ー胃瘻までして…

話に
そんなことが上っているのが
聞こえてくる

人体の終わり頃のことについて
無理に生き延びさせないとか
いろいろなチューブを繋いだりまでしては…とか
いろいろ言われるようになったが
死に臨んでの“さっぱりさ”の近頃の好まれようも
エネルギーのあった昭和の頃に比べれば
結局は文明の衰亡の表われかとも感じられる
切ったり張ったりチューブで繋いだり胃瘻したりと
まだまだまだまだと生にしがみ付いていたり
まだまだまだまだと生き延びさせようと努めていたり
そんな昭和人たちの往生際の悪さに対して
平成の“さっぱりさ”流行りは
これもまたひよわな格好付けの一種というものか

これはこれで
この国の悪い癖で
やはり時代の型に大挙して嵌って行っているだけ
という気もする

衰えて死ぬ時というのは
本人が自分をコントロールできなくなる時で
最期の最期ともなれば体臭も頭皮頭髪臭もモワッと漂い
目やに鼻くそ食べかすの掃除もできなくなるのはもちろん
糞尿まで垂れ流しとならざるを得ないので
そんな時間を少しでも減らそうと心を砕くというのも
要するに小心者の薄っぺらな格好つけに過ぎないのではないか
きれいにさっぱり死のうなどというのは
死体さえ残さずに一瞬で炎と散る特攻を希求する心のようで
じつは何にもまして忌むべき汚ねェ精神の代表のように感じる

関係のない話のようだが
ちょっとした偶然から昨日や一昨日
あれやこれやと死に関わる画像や映像を立てつづけに見た日々だっ
三島由紀夫の斬首後の口のゆがんだ頭部写真ばかりか
首のない胴体の切断面写真までが
いまではネット上でいつも簡単に見られるのに気づいて
矯めつ眇めつ長い時間見入ってしまったばかりか
南米のギャング同士の抗争で捕まった若い男が
敵ギャングのメンバーに鉈で両腕を切り落とされ
次に脚を膝のあたりから切り落とされ
それから鶏肉や豚肉を切り分けるように肩をぶつ切りにされて
生きたままだんだんと殺されていく記録映像や
さらには生きた子牛を熱湯に投げ込んで
もがくのを煮殺ししていき皮を剥いでいく映像や
やはり子牛や子羊の頭にガンを撃って次々殺していき
子牛肉やラム肉の市場向けの商品にしていく経過の映像などだった
ついでに見つけたギロチン処刑の歴史映像では
フランス革命時に比べればもっとコンパクトなギロチン台のまわり
異様な雰囲気で民衆が集まって処刑の一部始終を見ている写真が多
そうした写真が「誰々の死刑」というキャプションの付された
絵ハガキにもずいぶんなっていたりもして
こんな絵ハガキを送ったり送られたりというのが
十九世紀から二十世紀のフランス文化の一部でもあったのかと
これはこれでずいぶん感心させられたりもした

こんなことが起こり続けの人類という破壊機械のさなかにあって

ー人は食べられなくなったら終わりでしょう?
ーそうしたら終わりと覚悟すべきでしょう。
ー無理に食べさせようとするべきではないでしょう…
ー胃瘻までして…

などとは
また
なんと閑雅な
安全地帯でのおしゃべりであることか
と思われてしまうので
あった



火焔型土器


 
火焔型土器をずっと見ているが
ずっと
見えなさを
見させられている

ゼンマイのような
流水のような
力強い曲線の流れを追い続けるうちは
土器全体の把握ができない

土器全体の
文様のエネルギーを掴もうとすると
ゼンマイのような
流水のような
力強い曲線の流れは追い続けられない

宇宙と細部
全体と個

両者を同時に生きるには
どうしたらいいか

火焔型土器の作り手は
これを明確に意識していた
わかる

この土器の形式は突然現われた
という説が有力らしい*
この様式が
先行する諸様式から準備されていくのは
系統的に説明しづらいのらしい

縄文時代の発想の
一般と特殊
そして
ふいに現われたひとつの特殊が
たちまち一般を染め上げて行った思想史・様式史の一齣を
夢想してしまう

むろん
そんな夢想になど呑まれはしない

火焔型土器をずっと見ている

ずっと
見えなさを
見させられている



*小林達雄「勝坂式土器様式圏と火炎土器様式圏の対立」
(佐原真 ウエルナー・シュタインハウス監修 独立行政法人文化財研究所奈良文化財研究所編集『日本の考古学』上巻、 学生社、2007年




2018年8月24日金曜日

お望みどおりの駒にならず波を過ぎ行かせるすべを


 
つぎの大きな戦争の準備が
だいぶ
進んで来ている

進めている手があるのだ
いっぱい
いっぱい

共栄の方策などいくらもあるのに
急に緊張しはじめる
あの国々とこの国々
その国々とむこうの国々

ふいに
緊張をでっちあげる手が
いっぱい
いっぱい

そういう中で
逃げもせず
騒ぎもせず
緊張をあおる手の
お望みどおりの駒にならず
波を過ぎ行かせるすべを
本能の奥に
たくさんのひとびとが
それぞれの知恵に導かれて
必要なだけ
必要な瞬間に
どうか
見出せるように