2014年5月30日金曜日

書くということ




書くということ
感情や考えや認知内容を書くということ
それしか書けないということ

書くということ
ことばを書くということ
それしか書けないということ

ことば以外のものをどう書くか
感情や考えや認知内容以外のものをどう書くか
…たぶん書けないだろうということ

ことばはすべて借り物だから
ことばで自己を表そうなんて馬鹿げているということ
そもそも自己はだれもが持っているから自己でなどないこと

ならばなにを書くのか
それでも書くのかと何十年も考えたあげくに
いま書いているということ

文字と呼ばれる線や点のくみあわせを記す時に
きっと脳内で快楽ホルモンが放出されるのだろうと思っていること
それだけのことだろうとは思っているということ

書くということを
だからいくらでも低められるし軽んじられるということ
にもかかわらず書くということ

…まぁそろそろ話をかえて
ここには書かないけれどあれやこれやの楽しいことや
美しいもののことを思ってみるということ

あれやこれや…とずいぶんと遠巻きにほのめかすだけにとどめて
それ以上はまったく書かないし
教えないということ

ここまで十連も書いてきながら
けっきょく大事なことはちらりとも見せないということ
こんなふうに迂回しまくって隠し通すということ

それが書くということ
本質にも真実にも触れずに触れ得ずに
そう、あなたの人生の越し方とまったく同じように




やわらかな可動感知映像球体



奥入瀬渓流に沿って
長くながく歩いて行ったが
つねに渓流の流れを見ながら
森のみどりの中を歩き続けるうち
記憶のことを思っていた

渓流を見続けながら
何時間も歩いたこんな記憶は
はたして無数の静止画によるのか
それとも脳のどこかに
動画として蓄えられるのか

帰ってきてから
しりあいの心理学者に聞くと
心理学では
記憶は静止画の蓄積と考えるそうな

とはいえ
記憶を静止画で捉える発想など
根拠も希薄なのだから
なんだか
あやしいものだなと感じる
あやしい
あやしいよ

むしろ
あらゆる記憶は
音入り感触入りの精細な動画で
とほうもなく緻密なものではないかと
いくらか期待を込めて
夢想してみる
静止画の記憶部分があるにしても
完全な静止画ではなくて
おおいにブレのある
やわらかな可動域のある画ではないのか

そんなことを思いながら
奥入瀬渓流の長い歩行を思い出すと
やっぱり記憶は
ぶよぶよした
にゅるっと伸び縮みする
やわらかな可動感知映像球体のように
感じられる





テレビ・ディスカウントショップの社長さんまでもがこんな…



ふだん見ないテレビを
どこかでちょっと目にした時
ジ○○ネット○田とかいうのをやっていて
社長とかいう甲高い声の人がしゃべっていたが
商品のカメラにむかって
若い女社員といっしょにVサインをした

女社員はふつうのVサインをしたが
社長は人差し指と小指を伸ばすサインをして
あら、社長、それ違いますよ、と
女社員に言われていた
あれ、ふつうこれでしょ、と
社長は言いながら
ふつうのVサインに戻していた

彼が最初にやったのは山羊のヘッド
有名な悪魔崇拝のサイン
国際ユダヤ金融資本の一員であり
集団に忠誠を誓うという印で
公の場でほんの少しのあいだだけ
これを大衆に向かって示す

この忠誠の証を示すことで
大資本の後押しを受け
生涯確実に富裕階級のひとりとして
生きていけるわけだが
もちろん差別だの
裏取引だの
戦争補助までも含め
あらゆる悪魔的な所業を
推進し続けなければならない

あゝジ○○ネット○田とかいう
このテレビ・ディスカウントショップの
社長さんまでもがこんな…と
ちょっと驚かされました
というおはなし



Cf.







グルタミン酸ナトリウム



化学物質グルタミン酸ナトリウム
つまり味の素

野犬狩りをする時
東南アジアでは
肉に味の素を大量に振りかけて
野犬に食べさせるそうな
そうすると
神経細胞が断線して
脳細胞に損傷が起こる
フラフラっとしたところを
容易に狩れるという

安い中華屋は
これを大量に投入しているので
そんな店で食べ続ければ
中華料理店症候群(CRS)になるが
加工食品や調味料のほとんどに
いまでは大量に使われている
だしの素然り
漬物やかまぼこ然り
インスタントラーメン然り
ソーセージ然り
ポテトチップス然り
せんべい然り…





2014年5月29日木曜日

気のたゆたいが寄せてきている



つい先ほどまでは暑く感じるほどだったのに
すこし西空が暗くなってからは
膨れた空気の球がしぼみでもするように
気温が下がってきてしまった
肌寒くなりはしないものの
なにかの過ぎ去りのあらわれのように
あたりの景まで様変わりしてしまっている

西空を暗めた雲のひろがりは
それでも雨を降らさずに移りゆき
空はふたたび明るさを取り戻してきている
空の青はそれでも戻らずに
薄雲が広がっているのだろう
白みがかったまゝ人界を覆っている

風が出てきているのか…
つい先ほどまでは暑く感じるほどだったのに
疲れてたどり着いた者たちを
高原の空気とはことなって
あまりに冷やしはしないように配慮しているかのような
暖かみもないではない
やわらかい涼しみで癒す中間地帯のような
気のたゆたいが寄せてきている






政治



いまや政治といえば
最も醜いやからの集まる
最も醜い泥濘の場
それを思わせる言葉

けれどもこの言葉
アリストテレスなら
ずいぶん違った
使い方をしている

最も有力な
最も棟梁的な
そんな位置にある政治
と彼はいう *

彼によれば
国でどんな学問がなされるべきか
どんな学問をどの程度学ぶべきか
それを規律するのが政治

人間というものの
善こそが
政治の究極目的でなければならぬ
とも

すべての発端たる
古代ギリシャに
時どき戻ってみるのは
いまだに有益

善というものと
緊密に結ばれたものとしての
政治を救い出すのは
永遠に急務



*アリストテレス『ニコマコス倫理学』第一巻第二章。

        
   


つぶやき…



ひとに羨むことはなにもない
不平不満も全くといっていいほどない
精神などというあいまいなことばは使いたくないが
たっぷりのアソビを効かせて使ってみるならば
精神はどんどんと若く広がり続けていて
むしろその動きについていくのに骨が折れるぐらい
日に数百ページも読み進められず
そうして読んだ内容も適切に整理できず
くわえて絵画や映画や音楽を多量に消化できず
あたまの中の美術史や音楽史や映画史を
しかるべく更新していけていないことこそが
わたくしの唯一の不平不満
どれかひとつではいけないのだどれかひとつでは
文学哲学美術音楽映画と
さらにもっとも重要な魔法修行と悟達深化が
まいにち同時に遂行されねばならない
世の中はいわばトランジットの国際空港のロビー
そこでなにが起ころうともだれが騒ごうとも
わたくしにはどうでもよい
空港ロビーのあれこれに気を散らすよりも
ラテン語やギリシャ語のいっそうの習得こそ要事
母音字のないヘブライ語やアラビア語に慣れることこそ急ぐべきこと
肉体の老化をまったく感じていないとはいえ
肉体は永遠ではないというから(とはいえサン・ジェルマン伯爵よ
あなたから伝授された不老の術は本当に効き目がある…)
学ばねばならぬ全速力で
なおも学び続けねばならぬ肉体の最後のエネルギーの枯れる瞬間ま
今生学ばねばならぬことを学び尽くして
来世まったく別の生を全速力で踏破していくために





時間の外に居続けるものたちの



真夏の暑さとはちがって
さわやかながら
それでも
いっぱいに膨らんだ風船のような
朝からの
はつ夏の暑さ
午後には
温泉のそばにでもいるようで
からだじゅうを
ぴっちり
はつ夏の暖気で包まれている

こんな空気に
いったい何十日
何百日
包まれて
エレーヌと過ごしたかとふと思い
どの時間も
瞬間も
まったく失われてなどいないのを感じ直し
過去だの
終わっただの
そんな思いかたの深い過ちを
また反省させられる

きのう繁華な街かどで
白人の美しい見知らぬ娘とすれちがい
やわらかな金髪の揺らぎや
遠い湖のような青い目が
いままさに若さを生きているのを
きらきらと受け止めるようだったが
見知らぬ娘よ
あなたのいまをすでに
すべてわたしは生きてしまって
そうして
驚いてはいけない
いまでもすべてを生き続けていて
すべてはいつまでも現在で
時間というものがじつはないのだとも
わかっていて…

だから
わたしには昔がたりはできない
過去をしか語れない物語や
小説などのかたちが
どうしてわたしの性に合わないのか
それは
わたしが時間の外にいるから
すべてがいまも
おそらく明日も生きていて
なにもかもが進行し続けていて
距離をとることでしか成り立たない
語りというものを
わたしが行い切ることができないでいるから

詩神よ
なにも失われず
終焉せず
いつまでも継続し続けると知って
時間の外に居続けるものたちの
唯一の拠りどころよ
あなたに
ふたたび拝礼奉る…






夏の暑さといっても



夏の暑さといっても
初夏の暑さ…

梅雨に入れば
またひどく温度の下がる日もあり
このあいだのあの暑さは
どうしたことかと
カーディガンを羽織ったりすることも
あろうに

夏の暑さといっても
初夏の暑さ…

十分な力もないものが
なぜか気勢の上がる時に
ワアッと無茶をしてみるような
そうしてしばらくすると
萎えてしまうような
まだまだ幼い暑さ

夏の暑さといっても
初夏の暑さ…





波の打ち寄せを



        生まれ生まれ生まれ生まれて生の始めに暗く
        死に死に死に死んで死の終りに冥し
                                                    空海『秘蔵宝鑰



経っていく
たいくつな時間
それ自体は悦ばしいようでも
経っていくのは
二度と戻ってこない時間

死に近づいていくのね…
死に近づいていくのね…

とても若い人たちに言うと
いやだぁ~、とか
暗ぁい、とか
返してくる
何年間かもあったけれど

近ごろの若い人たちは
黙って
しばらく
受け止めてみている

くりかえし
くりかえし
なんどとなく
死んできたことの
波の打ち寄せを
確かめ直しているかのように






まさか



都心の駅から駅へ
また別の駅へ
せわしなく
めぐりつづけの
たいしたこともない
ルーティーンの
一日だったが

ようやく帰宅して
脱いだ靴を持ちあげると
踵のあたりに
付いている
やわらかそうな
ヌルッとしたもの
なめくじ!

外に出て
近くの植込みの上で
はたいて落とし
這った後のぬめぬめを
拭ったが
いったいどこから
付いてきたのか

まさか
六本木からではあるまい
まさか
銀座からではあるまい
まさか
渋谷からではあるまい
まさか
新宿からではあるまい





2014年5月28日水曜日

引用で済むこともいっぱい



距離を
しっかり取っているか?
不動を
しっかり保っているか?

たまには思い出しておこう
ニーチェを

(おまえ自身を
(おまえが生きられるよう
(隠れて生きよ!
(時代のもっとも重大な問題
(そう思われているものを
(知らぬまゝに生きよ!
(おまえと現代のあいだに
(少なくとも
(三世紀の被膜を張れ*

ロベール・ブレッソンも
言っていた

(なにも変えるな
(すべてを変えるために

…そう
引用で済むことも
いっぱい
それで解決することなら
それで済ませよう
引用で

ヘラクレイトスも
ついでに
引用
引用

(眠りのうちにある人々も活動している
(世界の出来事に力を貸しているのだ



*ニーチェ『悦ばしき知識』






遅すぎることなどないから



   
軀に寄り添って

(…あるいは寄り添われて

いるあいだの
晴れた空や
風や

過ぎていく
どれも

過ぎていく
ようだが

過ぎていく
なにが?

過ぎて
いかない
生きているもの
生きているひと
本当にいるのなら
見てみたい

とりわけ
ひと

一度も
会ったことはない
生きているひと
には

見分け方?

ひとが歩き去った後を
見続けてごらん
生きているひとなら
どこまでも
質の密なものが続いている
遠いところから
ずっと
質の密なものが続いている
切れ目なく続く
太い太い飴のように

まわりに空間があるなら
それは
生きていないひと

生きているひとなら
まわりに
空間はない
隙間はない

そうは見えなかった?

ならば
あなたのこれまでは
たゞの無駄事だったということ
生きてなど
いなかったんだ
あなた

おいで
密なもののほうへ

遅すぎることなど
ないから