2019年6月27日木曜日

相成って御座候



浮世の事を外になして…
     井原西鶴『好色一代男』


到来物のきしめんでも
食べようか

茹で時間十分
というのは
長いような気もするが
どう食べよう
考えているうちに
すぐ
経ってしまう

粉末のたれは
260ccの湯で溶け
とな

宮きしめん
というそうで
熱田神宮から宮の字を戴いた
栞にある

名古屋には幼時に住んでいた
血は江戸っ子だが
心は名古屋っ子
あの頃
あったのかな
この店
スガキヤは
覚えているけれど

添えるべきものがなにもないので
葱もなし
ほうれん草もなし
かまぼこもなし
お揚げもなし
ゴマをかけ
生玉子だけ垂らして
食べる

あゝ、
おいしいな
きしめんというのも

やはり到来物の
江戸味噌を
小皿に
すこし取り
ときどき
摘まみ

やはり到来物の
京都
三宝庵の笹ちりめんを
ちょっと
きしめんの上に
振り

そう悪くない
味の
かるい
昼餉

気づけば
名古屋
江戸
京都
揃った食卓
とは
相成って御座候




2019年6月23日日曜日

三俣弘さん……




We can be but partially acquainted even with the events
which actually influence our course through life, and our final destiny.
Nathaniel Hawthorne  David Swan

われわれの人生行路や最後の運命に、実際に影響を与えるような出来事の数々についてさえ、
われわれはごく一部しか知ることはできないものである。
ナサニエル・ホーソン『デイヴィド・スウォン』



急に「小樽のひとよ」が聞きたくなって
鶴岡雅義と東京ロマンチカのレコードを探している
ぼく
ではなくて
1982年の三俣弘さん
翌年に自殺なさったので365日すべてを生きられた最後の年
ぼく
は偶然に都内の喫茶店で三俣さんに出会い
淡い交流が始まっていた

細かいことを書き並べようとは思わない
あらゆる物語は
三俣さんのこともその他の人たちのことも詩歌形式でではなく
小説形式でいずれ物語ろうと思っているので
物語なるものがすべて中途半端にならざるを得ない詩歌形式には
原石を委ねてしまいたくないから

三俣さんからは
「小樽のひとよ」探しの夜ののちの数日後に手紙が届いて

「あなたにどれほどあの歌の歌詞が痛切であるか
「きっとおわかりにならないだろうと思うのですが
「わたしは……

とだけ書かれた手紙が届き
これらの文の後には
どこを探しても
裏を探しても
続きが見つからないのだった

職場や学校を同じくするのでない人と会う約束をするには
まだ電話をかけるくらいしか方法のない時代で
ぼく
はぼくの勉学や興味の方向をまったく理解しないつめたい遠い家か
誰もいない午後に盗むように電話して
三俣さんの下宿の大家さんに彼を呼び出してもらった

三俣さんからは聞いていた
「下宿の階段を下りると大きな桜の樹があって
「春にはそれはみごとな満開になります
「夏には葉はうっそうとして毛虫もときどき落ちてきまして……

ぼく
は電話したのがいつの季節だったか覚えていない
桜の花が咲いていた頃だろうか
葉はうっそうと茂っていた頃だろうか
電話がかかってくると
ともかくも三俣さんはその樹のまわりを半周まわるようにして
大家さんの家のほうに抜けて
そこの玄関にある電話の受話器をとるのだった

「三俣さん、戴いたお手紙の文面が
「途中からなくなっているんですけれども、あれは……

その後なんと言ったか
言わなかったか
ぼく
はもう覚えていないけれど
きっと
型どおりの日本語で
続いていく文面を聞き出そうとしたのだっただろう

三俣さんが唐突な感じで答えた内容は
しかし
よく覚えている

「『小樽のひとよ』の最初のほうの歌詞はだれでもよく知っています
「けれども
「最後のほうはどうですか
「♪かならずいくよ 待ってておくれ 待ってておくれ
「というんですよ
「それもね
「♪語り明かした吹雪の夜を ああ 思い出してるぼくだから
「とその前にはあってね
「そこに最初のほうの
「♪逢いたい気持ちが ままならぬ
「♪北国の街は つめたく遠い
「をふり返り直して
「考えあわせてみますとね
「わたし、くずおれんばかりに感動いたしました!
「ああ、『つめたく遠い』というのが
「冷たくもなく遠くもなく
「なんと温かいことであろうか!
「わたし、こんなに温かい思いに触れたことはなかったです!

突然こんな奇妙な激情にさらされて
ぼく
はずいぶん途惑い
ろくな受け答えもできなかったはずだが
よく覚えていない
たゞ三俣さんが言う「つめたく遠い」の温かさや遠くなさはわかる気がして
日本語十八番の
なるほど
そうですねぇ
などを連発しながら
受け止めの姿勢を電話口から伝えようとしていたように思う

ところで「小樽のひとよ」のレコードを
はたして三俣さんは
その夜探しあてたのかどうか
それとも他の日に買い直すことにしたのか

どれも遠くに流れ去った時間の
どの引き出しにしまわれてしまったのかわからず
それでも少しでもあれらの時間に近づこうと努めながら
ぼく
は「小樽のひとよ」のはじめのあたりをしきりに鼻歌したりしながら
三俣さんがけっして見ることなかった1983年以降の
渋谷駅をせわしく通過し
新宿駅をせわしく通過し
東京駅をせわしく通過し
銀座駅をせわしく通過し
あゝ、どこに行き着こうとしているのだろう
ぼく
はたったひとりで
2017年に亡くなったリードボーカルの三條正人が見ることのなかった
令和色に染まり出して来ている
有楽町駅をせわしく通過し
日比谷駅をせわしく通過し
三越前駅をせわしく通過し
三條正人の妻の健在の香山美子の見知っているであろう
上野駅をせわしく通過し
東銀座駅をせわしく通過し
東京ロマンチカのリーダーで健在の鶴岡雅義の見知っているであろ
恵比寿駅をせわしく通過し
大手町駅をせわしく通過し
新橋駅をせわしく通過し

三俣さんにはちょっともうしわけない気もするが
なぜだか
ファンでなどまったくなかった
キャンディーズの「あなたに夢中」の
みごと過ぎるあのハーモニーを突然思い出して
スーちゃんがじつはなんと上手かったか
そういえば
ミキちゃんがちょっと老けたような人がいまの職場にいるなぁとか
最近活動再開した伊藤蘭の顔が
じつはけっこうじぶんには好みかもしれないとか
ヤクタイもないことを思い

もう一度
真剣に思い出そうとする
三俣さんが見つけようとあんなに躍起になった「小樽のひとよ」の
レコ-ドの
きっと奏で得たであろう
歌詞
三俣さんがあえて指摘したのとは違うところの

「小樽は寒かろ 東京も
「こんなにしばれる 星空だから

ふたたび滲み抜かれて
温かさへと
抜け出ていこうと
…しています、三俣さん

三俣弘さん……





2019年6月22日土曜日

サラダにでも振りかけて

  
オレンジとしめじ
それに
キウイだけをスーパーマーケットで買って
雨上がり
それほどの湿気は感じられない
夜道を帰る

しあわせというのは
こういうこと

大通りの車道のわきに
三日月形に水が溜まっている
黒く水面が光って
うつくしい

すこし汗ばむ
帰ったら
ほかのものといっしょに
着ているTシャツも洗濯しよう

また
すぐに降るかもしれないが
雨で洗われた黒い夜空に
大きなかたまりとなった雲が灰色に流れて
うつくしい

だいぶ前にもらった
桑の葉パウダーを電話子機のわきに
置きっぱなしにしてある
なにに使おうかと迷ったまゝ
パックの封を
まだ
開けてもいない

死んだ友との旅の
ある瞬間を
ふと
思い出す
アングレームの
あれは
なんと暑い日だったことか

オレンジが傷みやすい季節に入っている
家に着いたらすぐに開封し
わるいものがあれば
アペリティフかわりに
食べてしまおう

桑の葉パウダーは
まずは
サラダにでも振りかけて
試してみようか




2019年6月20日木曜日

ニャ



そんニャに猫が好きなわけではニャィと思っているけど
ひとりでいるとニャア!とかニャンコ!とかつぶやいてばかりいるから
猫好きだと思われてもしかたニャいところもあるにはあるニャとは思うが
それでも動物としてのあの猫が密接に心に貼り付いているのとは違って
やっぱり空想上のけっして実在しない猫を魂としているのだと思うニャ

これを仮に猫魂と呼んでおくとすれば
こいつをわが魂の奥処に戴くには動物としての猫を飼っていてはだめで
そりゃァかつて飼ったり親しんだりした経験があるにしたところで
今は飼ってもいないしそんなに親しんでもいニャいという
距離というか空白というか隙間というか空虚というか
まぁそんなものがどうしても必要な感じで
それだからこそ猫魂は安心して人間たるわが心身に染み込んで
ニャア!ニャンコ!ニャントモニャァ!などとつぶやくのであるニャ
だいたい動物としてのあの猫どもめが
人間的な文節を通しての発声でニャンコ!などと叫ぶわけがニャィ
ニャンコ!などというととかく人は馬鹿にしてかかる傾向があるが
これは猫のイデアを幾重にも抽出した上でようやく発せられる
非常に高度な知的遊戯というべき現象ニャのであるニャ

犬はどうしたんだ?嫌いニャのか?と聞かれそうだけど
いわゆるイヌ派のあのアラレもない崩れっぷりは醜く思うものの
実際にはそれほど嫌いなわけでもニャィのであって
そういえば幼い頃にはよく犬のマネをして家のなかを這っていた
ワンワンと言い続けるのからはじまって
よく犬がなにか不審なものを見つけた時に発するクゥン…という声など
われながらけっこううまく発していると自認していたくらいで
たしかまだ幼稚園にも行っていニャかった時なので
幼稚園や小学校に行けニャくニャったら犬にニャろうと企ててもいた
どうして猫のマネをその頃はしニャかったのかというと
猫というやつは道端で出会ってもあのとおり愛嬌のニャいやつが多くて
せっかくおいでおいでしてやってもぜんぜん寄って来ニャいし
ちょっと遠巻きに軽く「ニャ!」と省エネモードで答える程度で
このしぐさや振る舞いは幼児にはすこぶる不満足なものであったた
どうしたってしぐさのアラレもニャい犬のほうが気に入っちゃう

幼稚園に行ったり小学校に上がったりすると
さすがに知恵がちょっとは付いてきて俄然オオカミ好きにニャった
ニャにせ危ニャっかしい世の中や地上を生きのびていかねばニャらぬから
犬のような頼りニャい生き方ではだめでオオカミにニャるぞと悟り
オオカミ少年ケンだとかオオカミ王ロボだとかも人気があったので
外を歩いていても就寝時間にも立派なオオカミにニャるぞと心に定めて
人間界のあらゆる約束事や習慣を小馬鹿どころか大馬鹿にして
親が見ていニャい時ニャんかには食事は手を使わずに
食器に顔を突っ込んでフガフガ食べてみたり
家の中どころか戸外の道路も路地あたりニャらば四本足で走ってみたり
言葉や表象を使う人間的思考法と違う思考法を蘇らせようとしてみたり
いろいろ努力してみたがちょっとぎこちなく動いたりすると
オオカミどころかたちまち犬みたいにニャってしまうので
これは先々なかなか前途が思いやられるぞと目眩がするようだった
いまだにその目眩のなかにいるようニャものニャのだ




プハーッ


大学生ののり子ちゃんがうきうきしている

なにか楽しいこと、あった?
と聞くと
夏まつりが近いのだという

地元のまつりで
小さい頃から御神輿を担いだりしてきているので
この時期が来ると
なんだか
うきうきするのだという

でも
いまいちばんの楽しみは
おまつりの時
地元の友だちと
外でビールを飲めることだという
プハーッと飲むのだという

そうか
プハーッと飲むんだね

そう
プハーッです

いいね
プハーッとね

そうです
プハーッとです




土曜日にはもう夏至


そろそろ
アサガオの鉢に棒を挿さないといけないなぁ
蔓を巻き上がらせるために

と思いながら
まだ挿さないでいる

すぐできるのに
まだ
伸びてきた蔓を
ほったらかし

そろそろ
挿さないといけないなぁ

土曜日には
もう
夏至になるのだ





これはたいへんな訪れだ

 

ひさしぶりにクサカゲロウが
来てくれていて
窓ガラスにとまっていた

これはたいへんな訪れだと思って
スマホのカメラで
記念の写真をしっかり撮っておいた

都心の高層22階の
丸の内のビル群に面した窓ガラスに
とまりに来てくれたのだもの

これはたいへんな訪れだ
うすみどり色の透き通った羽に
あのか細いからだつきで