2017年3月31日金曜日

自分が自分でいられない時こそ私の躍如たる時



もっとも不吉なものは
往々にして
過去の自分の持ち物や自分自身の残した磁場

すでに自分ではない死霊なのに
かつて一度も顕現しなかった
新たな生成過程の自分を引き留め今の外に固着させる
過去の自分の思いが籠っている物は
降れるだけで今の来るべき自分を殺してしまうことさえある

私は私の知らない未知の生成途上でなくてはいけない
それを損なうものには厳しくなくてはいけない
既知なるものは不吉
自分が自分でいられるのを望めば自分の死にしか会わない
自分が自分でいられない時こそ私の躍如たる時

もっとも不吉なものは
往々にして
過去の自分の持ち物や自分自身の残した磁場




現実は可塑的な夢にすぎないから



見抜かれまいと
現実が必死になっている
自分があたかも本当の現実であるかのように
まだ振舞えるつもりらしい
騙し通すつもりでいるらしい

私は心と精神の表面を装うのがあまりに巧みだから
現実は私のそれを凝視して
現実や生や物質界が存在すると私が信じてでもいるかのように
うかつにも安堵してきたが
私は心や精神という外面にはありはしないので
むしろ私のほうが現実を凝視し
従順にいつも成行きに
宿命や運命に沿うかのようにしながら
現実の手管を知り尽くした

心にも精神にも居ない者に
現実はいかように手を出し得るというのか
掴んでも指の隙間から洩れる水
握りしめようにも見えず手ごたえもない大気
そのような私は
超えた
とも
到った
とも
言わない
誰にも
なにも
教えもしない
教えはひとりでに進むもので
急ぐ必要は時間も距離もない霊の宇宙には全くない

しかし
すべてが完全に許されている
とは
記しておきたくなる
反射や反作用はあるが
報いはない
罪はない
罰はない

こんなことを記して
どうしたのだろう
私は

浅い湯船に浸かって
短い時間だが
すっかり眠ってしまっている間
これからは
現実を自由に弄んでかまわないと激しく悟った
現実は可塑的な夢にすぎないから

もちろん
私はなにもしない
夢に力を費やしている暇はないから

人であることは
夢の中でも最たる夢
死の数秒前になれば誰もが
本当にこのことを悟る

幸いなるかな
体の死の遠くで
これを知る人たちは

そういう同朋たちに
このメモは向けられる
私たちは孤立していないのだと
確認しあうために



たゞのゲームにすぎない


  
生まれる環境を選んだか
選ばなかったか

使用できる精神力やセンスの有無
それらをどの程度身につけて
生まれてくるか
それをどう選んだか
選ばなかったか

それも含めての環境ということを
よく思い出してみるのがよい
本当はすべてが
そこからしか始まらない

比喩でなしに
完全なゲームなのだと
きっとわかる

なにもかもが
大道具小道具にすぎない
光景や風景の裏にまわると
ベニヤ板丸出し
色など塗っていないどころか
カンナさえかけていない
釘の頭も
あちこちに覗いている

ゲームとわかっていない人々が
この架空の世を耐えがたいものにしてしまう
喜怒哀楽を引き起こすものを
まるで本物であるかのように捉え
不幸を不幸であるかに見なすから

たゞのゲームにすぎない
真剣にこれを見抜かなければいけない
さもなければ
どんな生も過誤でしかなくなる



2017年3月27日月曜日

…それでいいんじゃないかと思う


  
人は死ぬ瞬間までは生きているので
あたり前のことだが
死ぬ瞬間まで自分が消えるとは思っていない
死ぬ瞬間まで未来や近い未来の準備をしようとする
物を買い集めようとしたり
備蓄をしたり
まだ全てを手放す必要はないと気を抜いたり
今後一週間の予定を漠然と思ったり
次の季節の移り変わりを思い描いたりしてしまう
あたり前のことなのだが
だから皆まったく準備が整わずに死んでいく
死の近いのを思って
どんなに心の準備をしてきたり
人に迷惑をかけまいと身辺整理をしてきた人でも
最後に身に着けていた寝巻や下着を洗濯することはできない
最後の歯ブラシを捨てたり
最後の顔に化粧水や保湿クリームを塗ることはできない
鼻毛が伸びすぎていないか気にしたり
目ヤニがついていないか注意したり
唇が渇いていないか気にしたり
髪を整えることもできない
意識が死のほうへ離れる時には失禁するが
最後の服や寝巻を自分で取り換えることももうできない
便で汚れたそれを人に知られぬように替えて洗うことはできない
あゝあそこの机の隅を片付けておくんだったなと思っても
もう動くこともできず意識はたゞたゞ蕩けて消えていってしまう
どんなに処分を尽くしても最後に畳何畳かほどの生活品は残る
それらを人に渡すことも棄てることももうできない
最後の住まいを手放す書類にサインすることもできない
業者と清算することもできないし死亡届を出すこともできない
自分の最後をしっかり統御することはできず
自分で自分を中途半端に手放してわからなくなっていく

…それでいいんじゃないか
と思う
それではよくないと思わされるようならば
世の中が間違っていて
世界が完全に誤ってしまっている
自分の始末など
つけるのを強いられるようではいけない
もともと
確固とはありもしない
ゆめ
まぼろしの
自分の
始末なんぞ



2017年3月21日火曜日

だから言葉はこわい


見渡せば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮
                                                          藤原定家

  
墓石は花を呼ぶ…

青空
海の遠さ
どこかの高原からの
すずしい風まで
呼んでいるようだ

花が美しいので
ぼくは
いつまでも
その墓石のそばにいた

…なんの表象にも
なってしまわないように
その墓石は
だれのでもない
それは
墓でさえない

たゞの
ことばの

まるで
実在の墓を
思い浮かべちゃいました?

いいえ
たゞの
墓という文字
たゞの
墓石という二文字

だから
言葉はこわい
だから
言葉の科学がほんとうに必要

だから
わたくしは言葉並べを続けている

言葉に誑かされ続ける
人類のために

ほんとに

ということで

墓石は花を呼ぶ…

と始めた
言葉並べを
このあたりで
終える



死んだことさえ気づかない



なにかをやっている時
ひとは本当に無防備になってしまう

街中を行く人々を見つめていると
紙のようだ
破られやすく
飛ばされやすく
はかなさに
胸が少し
締めつけられる

無防備にならぬよう
注意している時でさえ
むしろ
そういう時にこそ
最も無防備

注意していない対象から
死が
細い光線のように射して来る

そこからは
すっかり意識が外れているから
死んだことさえ
気づかない

どこの街も
死んだことさえ気づかない人々で
いっぱい



暢気なことじゃないか



社会のことは考えても無駄
カエサルのものはカエサルに
山猿のものは山猿に

脳の時間は
脳が脳を生きることに捧げてやろう

心の時間は
心が心を生きることに

それでは
霊の時間は?

…と
奇妙な問いを発するのは
脳をいま過ぎた血流だろうか
それとも
思考とかいうやつ
だろうか

そんなことも
はっきりわかっていないで
社会
社会

まぁ
暢気なことじゃないか



小さな問いのようなものを知覚して



そろそろ死が
射程に入ってきた…

とは
言わない

はじめからわたくしは死んでいるから

一度も
生きたことがない

あなたがどのように考えていてもいい

わたくしは断言する
からだと意識に閉じ込められた瞬間から
ひとは
もう
生きることができないのだと

あなたとの考えの違いは
いたしかたない
あなたは
からだを持つと言い
意識があると言う

持つ
ある
からだと意識を捉えるあなた
さぁ
どこまで行けるか…

わたくし
そこに興味はない

の敷居までだろうと
思うが

さぁ
どこまで行けるか…

わたくしも
また
どこまでも
行けるわけではない

わたくしはどこにも行かない

動く
ということに
かつて
薄い信仰を持ったこともあったが
いつからか
動くことを捨てた

動くことはできない
わたくしは思う
だれひとり
からだと
意識に閉じ込められているうちは

どこにも行かない
どこにも行けない
それで
いいと思う

さぁ
どこまで行けるか…
あなたは
どこにも行かない
どこにも行けない
わたくしが
小さな
問いのようなものを知覚して
あなたという
語を
ここに記す



言葉の反射というものを



薄情だとか
冷酷だとか
それどころか
愚かだとか
卑劣だとか
稀代の悪人だとか
はては
人非人だとか

じぶんの思念のなかでだけ動いている人たちに
思念のなかだけの言葉で
なんと言われてもかまわない

そう言われるほどの
距離の取りかた
無視のしかたを
わたくしがあえて行うのは
よほどのことだから

それらの言葉を
わたくしは
その人たちにむけて言わない
言葉の反射というものを
知っているから

おそろしい
そのエネルギーを
知っているから



わたくしは美しいものからは目を背けようと思う



ひとは美しいものをつくろうとするが
つくられた美しいものに接しようとすると
ずいぶん金がかかったり
その時代の社会や偏見がつくった身分の差に左右されたりする
それらすべてをひっくるめて
つくられた美しいものを
なお美しいと呼べるというのなら
わたくしは美しいものからは目を背けようと思う
金の多寡にも身分にも関わりなく
木々の葉ごしにきらめく陽光や
風景の遠近のぐあいや
空の青や雲のさまざまや
そんなもので
いつまでも満足していようと思う



予兆

  

すべてがあまりに密接に絡みあっているから
小さな変化もすべての間をつねに伝わっていく
たとえば何かを買って手元に引き寄せる場合にも
その何かはじつに多くのものを経由して来る
ひそかに購入するにしても売り手には収益となり
運送者はそれなりの労働や記録を行う
売り手にも運送者にも時空上の影響を与える
それは彼らの時空を変容させてまわりをも変え
変容の波紋は物質世界に隈なく広がっていく
すべてはあまりに密接に絡みあっているから
すべての予兆もすべての間につねに漂っている
たとえば買い手は理由なしに購買行動はしないので
購買する以前に購買の予兆も広がっている
もっと大きなことの予兆はもっと広がりを持つ
あらゆる細部に大きな変化の予兆はすでに来ている




自由



起こることの大半は
やはり
あらかじめ決められている

それらを
どう受けとめるかは
個々人の自由

自由と呼びたければ
そこだけが
自由



ちょっと新鮮な気持ちに



そういえば
数か月前

わたしの言葉並べを
見た
読んでみた
そうおっしゃる人に出会って
ひどく
驚いたのでございました

もちろん偶然ながら
それでも
わたしの言葉並べに
なにかの間違いで
逢着し
ご覧になったのだそうな

はじめて
だれかにご覧戴くという
貴重な経験をいたしました
わたしの知るかぎり
これははじめてのことで
なんと
不思議なことだろうと
ちょっと
新鮮な気持ちになりました
わたしの並べる言葉が
わたしの外に出ていくことなど
たったの一度も
あったためしがなかったからでございます

ところが
先週
その人が
事故で亡くなりました
お会いした時に
必要がありそうもないとはいえ
連絡先を
交換しておいたので
御家族が
伝えてくださったのです

わたしの言葉並べをご覧になった
たったひとりの方が
逝ってしまわれたことに
じつは
ふたたび
なんと
不思議なことだろうと
ちょっと
新鮮な気持ちになりました