2017年11月30日木曜日

『リュリュ』(譚詩1994年作)5


    2 ブラッサンスの国の首都で (続き)

 「リュリュには立たないっていうのは、どういうんだろう?よっぽどひどいオバちゃんかなんかかなあ。自分の妻を言っているのかもね。どう思う?」
 「妻っていう説にはすすんで賛成したいけれどね。まあ、ほかの場合もあるだろうね。好きじゃないのにむこうから好かれて、それがなかなかいい人なんだけど、どうもこちらがその気にならないっていうのがあるじゃないか。すごくいい人。だけども、まったくそそられない。友だちとしてはとても貴重で、自分もこんな人間になりたいと思わせるような人で、やさしくって、非の打ちどころがなくって、…だけど、ぜんぜん立たない。さすっても、こすっても立たないっていう人」
 「いるね。そういう場合ってあるな。しかも、いい人だから、事が喜劇的には収まらないんだよね。こちらとしては、立たないと義理も立たないという気になるわけだ。こんなに親切にしてくれるんだから、こんなに愛してくれるんだから、それに対して身体で報いたいとは思うんだけれども、まったくダメ」
 「たぶん、そういう場合を想像しとけばいいんだと思うけどね。でも、つらい恋の思い出っていう可能性もあるかもしれないよ」
 「歌詞だけで見るならね」
 「まあね。曲の調子が陽気だからなあ。無理かな。でも、リュリュだけは他の女とは違って、立つとか立たないとかいうレベルでない、もっともっと深い気持ちを起こさせるのだと考えると、なかなかいいと思うんだけどねえ」
 「もっともっとわだかまった感情が彼女に対してはある、というわけね」
 「そう見れば、かなりオリジナルな愛の表現なわけだ」
 「そうね。立たないということで、そこいらの性欲愛と一線を画して、人生全般とじかに結びつくたぐいの愛を表現してしまうわけね。かなり無理な解釈かもしれないけども、でも、いちばんいいなあ、この解釈」
 「愛してたんだよ」
 「立たなくなるほどね」
 「でも、ほんとに愛すると、そういうもんじゃないか?少なくとも、そういう時期を経るものだよね」
 「そう、そう、禁欲。自己犠牲。騎士道。試練。ヨーロッパ中世の真似をしようっていうんじゃなくとも、自然にそうなるよね。きみと寝たいなんて死んでも言えない。でもね、いちいち反論を立てるみたいだけど、そういう気持ちって、やっぱり若いうちだけじゃないかなあ。年齢が進むと、そういう愛って、信じなくなるでしょ?」
 「まあね。だけど、若い者が恋に苦しんで自殺したとか、そこまでいかなくても、不器用に振る舞っているとか、無口になっているとかしていると、ああ、いいなあ、純粋でいいなあと思うけどね。馬鹿にはしないな。自分の心は老いてしまったけど、あそこにはまだ若い心がある、そうして苦しんでいる。あれが、もう自分にはできないのだ、もう二度と、あの強い春風の冷たさは自分には吹かないのだ、そう思うんだよ。やっぱり、寂しいなあ」
 「それじゃあ、まあ、この歌、今日のところはそう解釈することにしようか。リュリュをそれほど愛していたというふうに…」
 「そう。うまくいかなかったわけだ。つらい恋愛」
 「つらい過去が『立つ』とか『立たない』とか言わせてるってわけね。心は今もなお癒えていない」
 「ぜんぜん癒えてない」
 「そう、それがよくわかる。わかるから、これだけバンデ、バンデと言っても下品でない」
 「下品じゃない、ほんとうに」
 「これがわからない女なんて、最低だな」
 「最低だね」
 「でも、そういうのって、多いよ。わからない女」
 「多いよねえ」
 「女なんて、そんなものかな」
 「そうなんじゃない?そんなものだよ」
 「そうか。ひどいね」
 「ひどい。最低だ」
 「最低だね」
 「ほんとに。人前に出せないってやつだね」
 「そう、人前に出せないってやつ」
 ミレーユと彼の妻のほうを見ると、女どうしで頷きあいながら、呆れたという顔をしている。
 私たちの女がそんなものではなく、最低でなどなく、人前に出せないってやつでなどないことを、彼も私もじつは思っていて、それをミレーユも彼も妻もよくわかっている。それが私にはよくわかる。
それにしても、すべてが終わっていき、崩壊していき、朽ちていき、滅びていき、忘れられていくこの世界の中で、これは幸福といってよい瞬間ではなかろうか?かつて安部公房がどこかに書いていた。幸福なんて言葉を留保なしに使っているやつを見ると、馬鹿じゃないかって思うよ、と。でも、安部さん、こういう瞬間というのは、幸福と呼んでもいいのじゃないだろうか。それが瞬間である以上、一瞬の後にはもう失われているのだから、留保なしに幸福と言ってみてもいいのではないか。瞬間であることによって、何にもまして絶対的な留保が付いているといえるのだから、これならあなたの美学にも合うのではないだろうか。
 どうしてだかわからないが、私のリュリュの思い出が蘇ってくる。
 失う、などという言葉が頭に浮かんだからかもしれない。
 フェルナンドでもなく、フェリシーでもなく、レオノールでもない。ミレーユにもまだ会っていなかった。
 リュリュだ。

 (第2章 終わり)



そう、普遍も捨てなければいけない

 
そう、
普遍も捨てなければいけない

きみは
ニンゲンなんかじゃないんだ
ニンゲンの代表でもない
ましてや
コクミンだなんて
きみ
生まれる前に
受け入れてきたのか?
承諾書に
天使の前でハンコでも押してきたか
きみ?

たまたま
きみのまわりに集まってきて
きみを助けたり
煩わせたり
時間や体力を奪ったり
それでも
なんだか大事なような気にさせる
それらが
きみのいのち
きみの関わり続けるべきこと

ことこまかに
それらをブツブツ
ナガナガと語ってみたところで
だれも面白がりはしないが
 しかし
それらが
きみ
きみのいのち
きみの関わり続けるべきこと
きみをきみにし
きみがきみである
宇宙にただ一度っきりの
厖大乱雑な寄せ集まり

心を向けるなら
それらだけに向けろ
なにか語るなら
それらだけを語れ

一般はもういい
普遍はもういい
みんなはどう思うか…はもういい
いつの時代のニンゲンも…はもういい
現代のニンゲンは…はもういい
いまのきみの足元の
いや
足元どころか
腰まで埋め尽くし
腕にも手にも喉にも纏わりつく
モノやモノでないもの
それらのぐちゃぐちゃぶり
ねちゃねちゃぶり
どろどろぶり
がちゃがちゃぶりを
自信を持って
正面からがっぷり四つに
思え
語れ

この先
宇宙がどれだけ長生きしようとも
二度と現われることのない
いまのきみだけ
その
ありようを
思え
語れ


“ふつうを捨てよ”

 
ときどき
けっこう強いことばで
“ふつうを捨てよ” 
あたまに響くようになった

しだいに強く感じてきていることを
まァ
あたまが勝手に
ことばに翻訳しているんだろうけれど

ふつうの人ならこうするだろう 
とか
ふつうはこう思うだろう 
とか
ふつうならこう感じるだろう 
とか
そういうのを
“捨てよ”
響いているように感じる

この国のふつうは
心を狭くし
じわじわと困窮させ
自助力をだんだんと枯渇させて
それを補完しましょうと
かならず
企業が鵜の目鷹の目で入り込んで来て
金を吸い上げていくしくみの中に
人を絡み込んでくる
そんな
ふつうだ

基礎ぐらい
だれもが科学で習わされたはずの
放射能の知識も
平気でねじ曲げて
大丈夫だ
大丈夫だ
とごまかし通そうとする
そんな
ふつうだ

本来
勝手に
わがままに
好きなように生きるべき
ひとりひとりのために
ひとりではやりづらいことを
サービスしましょう
だから
ちょっとは負担を受け入れ
ひとりらしさを我慢してもらって
互助会として
国を保ちましょう
というのが近代国家なのに
いつのまにか
いいとこ取りをする寄生虫たちのために
勤勉実直なひとたちが
体液を啜られ続けるしくみになって
なになに
それが国家っていうものです
さあ
払った払った
税金も
どんどん高くするいろんな代金も
というのが
そんな
ふつうだ

そんな
ふつうを
もうサッパリと
“捨てよ”
けっこう強いことばで
衝かれている

内部から?
超えたところから?

“ふつうを捨てよ”

“ふつうを捨てよ”

もう
“ふつうを捨てよ”


『リュリュ』(譚詩1994年作)4


    2 ブラッサンスの国の首都で (続き)

 だが、彼の言ったのとは違う難しさが、ブラッサンスの歌には確かにあると思えた。なんと言ったらいいか、意味が取れるかどうかといったことではないのだ。耳慣れない俗語のせいだというようなものではない。彼特有のリズムとでもいったらよいか、歌の緩急のつけ方や、休止の置き方、子音や母音の独特の、まるで人形劇のどたばたのような楽しさの、かと思うと、薄汚れた川の冬の夕暮れの水が打ち寄せてくる様のような侘びしさの音の並び具合、むしろ、それらのほうが、難しいのだ。聴いている時にはなんでもないが、後で思い出しながら、曲と歌詞とをあわせて口にしようとすると、なかなかできない。意味はよく頭に残っており、印象も強烈なのに、言葉も曲も完全なかたちでは蘇ってこない。まるで、あんなにも生々しく、切実で、時にはわずらわしく、苛立たしく、時には春の野遊びのように心を酔わせるようだった過去の様々な経験のように。
 「でもね、むずかしいよ、たしかに。ブラッサンスはむずかしい」
 「そうだろ? 簡単なはずがない」
 外国人にはわかりづらいフランス的なものがある。それが確認されたからなのか、彼は満足げな表情を見せる。どうむずかしいかをちゃんと説明するべきだろうか。めんどうくさいな。だいたい、彼の満足げな表情の本当の理由も、こちらがいま考えた通りかどうか、わかったものではない。そうしたことすべてを、ちゃんと言葉にして質問し、確認すべきだろうか。キミハイママンゾクゲナヒョウジョウヲウカベタヨウニミエルガ、ホントウニソウカ? ソウダトスレバ、リユウハナニカ? ガイコクジンニワカリヅライモノガぶらっさんすノナカニアルノガカクニンサレタカラナノカ?………
 いやいや。それには及ぶまい。互いに誤解しているかもしれないところを、あえてそのままにしておくのも、事が危険を呼ぶたぐいのものでないなら、悪いこともない。わかりあっていないということは、おそらく、あっていいのだ。
 曲が終わった。
 「次、なににする? 選んでいいよ」
 ディスクのケース数枚の裏をあれこれと見ながら、『幸せな愛はない』にしようか、『修道女の伝説』にしようか、『ゴリラ』か、『エレーヌの木靴』か、と迷う。
 ふと、『フェルナンド』に目がいく。どういう曲だったか、よく覚えていない。聴いたことは確かにあるのだが。ディスクを換えて、プレイボタンを押す。フェルナンド、……女性の名だから、たぶん、失恋の感傷的な唄だったかもしれない。
 はじまる。

     おれはひとりもんなんで
     さびしいときにはこの唄の
     調べでいつも
     楽しむわけさ
     
     フェルナンドのこと思うと
     ビンビン勃起
     フェリシーも同じで
     ビンビンビン
     レオノール思えば
     これまた勃起
     ところがリュリュはちがうんだな
     リュリュには立たぬ
     あれこれと
     やってもどうにも立ちゃしない

 彼がこちらを見て、ニタリとする。こちらもニタリをお返しする。
 「これって、あれでしょう? バンデっていう言葉、この場合はやっぱりあの意味でしょう?」
 「そう、そう。『緊張する』とか、いろんな意味はあるけどね。好きな女の前で肩や背をバンデさせるのもいれば、違うところをバンデさせるのもいるわけで……」
 「なに話してんの、あなたたち? ちょっと来てよ、ミレーユ。こんなの聴いてるんだから。男って、これだものね」
 彼の妻が、台所のほうに行っている女を呼ぶ。ミレーユが来る。
 「ほんと。人前に出せない、ってやつね。最低よ」
 そう言うあいだも、「フェルナンドのこと思うと…」がくり返される。これがリフレインになっていて、何度も戻ってくる。しかも、このリフレインのリズムの調子のいいことといったら! 言葉が、音が、発音とともに宙に飛び出すひとつひとつの息が踊っている。これが楽しさというものだ。これを聴きながら、だれが落ち込み続けていられよう?

 (第2章 続く)


アデュルト


「成人」とか「大人」といえば
アダルト
と英語ではいう
そこらのオジサンたちを
ムフフ
とか
ニタニタ
とか
させる
プチ魔法の
ことば

フランス語でも
アデュルト(adulte
というが

新宿南口の安手の駅カフェで
たまたま携帯していた小さな仏仏辞典で
この項目を見ていたら
「もう成長しない年齢に達した状態」
といった説明が書かれていた
「人間は20歳頃でadulteである」
なんて例文も

「もう成長しない年齢に達した状態」
って
シビアだなぁ
なかなか

「成人」とか「大人」とか言っても
日本語の場合
「もう成長しない」状態
までは
意味しないかなぁ

直球だなぁ
冷酷だなぁ
この仏仏辞典の説明は

ちょっと
ひんやりと感心して
あまり旨くもない
煮詰まり気味のコーヒーを啜りながら
ガラス窓から
構内を行き交う
人人人
を見つめ直してしまった

人人人
人人人
人人人

「もう成長しない年齢に達した状態」たちが
後から後から
ひっきりなしに
行ったり来たりし続けている

アデュルトなのに
まるで
まだまだ成長の機が
行ったり来たりし続ける先にある
信じているかのように

人人人
人人人
人人人



2017年11月28日火曜日

『リュリュ』(譚詩1994年作)3


    2 ブラッサンスの国の首都で (続き)

 このあたりからは、事の成り行きを、少し注意深く思い出すようにしなければならない。この数分後、私はブラッサンスの魅力を発見することになるわけだが、どういう加減で心にそういうことが生じることになったのか、いまの私としては関心のあるところなのである。もっとも、出来事の連鎖をたどり直してみたところで、歌を自作自演するシャンソン歌手の魅力に心が突然開眼する様など、知りうるものではなかろうという気はする。だが、わからなくてもよいのだ。なにかが私の中で、その数分間に変化したか、急速にかたちをとるということが起こり、しかも、そのなにかが、どうやら後の私の人生の、危機的な微妙なさまざまのポイントを支える重要な気づきをもたらしてくれたのは確かだという気がするので、それが起こった数分間をよくよく見直してみたいと思うのである。なにもわからずとも、とにかく反省して思い返してみたいのだ。私のように味気ない、弛緩した単なる時間の継続を人生としてきた者にも、片手で数えうるほどには、そうした鈍い輝きを放つ数分間が存在する。私の宝、私の人生と言えるものは、たぶん、それらだ。たぶん、そう言っていい。それらだけは失いたくない。いつか、私の時間のすっかり消滅してしまう瞬間を飛び越すという時にも、それらだけは持っていきたい。
 私が音楽好きなのを知っている主人は、まだ寝るには間があるのだから、なにかかけたらどうだ、と言う。昼に半分ほど聴いた『セビリアの理髪師』のフランス語版を続けて聴こうと思ってレコードを出しかけると、
 「そうだ。きみはかなりフランス語を聞き取れるけれど、ブラッサンスの歌にはきっと難しいのがあるぞ。俗語が多いからな。だいたい、フランス人じゃなきゃ、面白さがわからない歌だとも思うんだが。知ってるかい、ブラッサンス?」
 そういって、コンパクト・ディスクのブラッサンス全集を棚から引き出してくる。
 「知ってるよ。いくつかディスクも持ってる」
彼の妻がテーブルを片付けはじめながら、
 「フランス人にしかわからないなんて、もし、そうだったら、ブラッサンスなんて、たいしたことないってことになるんじゃない?」
 「そういうことじゃないんだよ。理解するのに、言葉にそうとう慣れてないとダメだっていうことさ。その国の言葉の明快な部分にも、きれいな部分にも、汚い部分にも通じていなきゃわからないニュアンスっていうのがあるじゃないか。ブラッサンスはそれなんだよ。下品な言葉が下品でなくなるような使い方をするわけさ。外国人がそこまでわかるっていうのは、大変なことだぜ。わかったら、それはもう外国人じゃないな。フランス人さ」
 そんなことを言いながら、ディスクをプレーヤーにのせる。彼がはじめにかける曲は想像がつく。『ポルノグラフィー思考』に決まっている。きっとだ。曲が始まる前に当ててやってもいいのだが……

     オトゥルフヮ カン ジェテマルモ
     ジャヴェラフォビ デグロモ
     エスィジュパンセメルドトゥバ
     ジュヌルディゼパ
         メ  ……………

 やっぱり。
 「そう思ったよ。これをかけると思った」
 たしかに、外国人は使わないほうが無難な言葉が、この歌には出てくる。だが、わからないなどということはない。なるほど、この歌のような言葉を使いながら、下品さを感じさせないで話すのは外国人には難しいだろうし、だいたい、フランス人にとってさえ簡単なことではないだろう。クソとか、ケツとか、かっかと燃えるケツとか、マンコとかいった言葉を使いながら下品にならないことは、どの国の言葉で語るのであれ、難しいのだ。下品になってなにが悪い、と言われれば、それも一理あるとは思うが、言葉の上でのそうした下品さが、語り手の人間としての魅力を滲ませるように使おうとするのなら、それは難しい。だが、理解ならできる。感動もする。多少の引っかかりがあっても、フランス人の聞き手と同様のわかり方が外国人にもできる。そう思うけどね、と彼に言った。

 (第2章 続く)



2017年11月27日月曜日

『リュリュ』(譚詩1994年作)2


    2 ブラッサンスの国の首都で

 その夜、私はブラッサンスの国の首都にいて、ブラッサンスの国の女と、その女の家族や友人たちと晩餐をともにしていた。
 女の義兄が連日振舞ってくれるワインとさまざまな食後酒に胃が疲れてきているところへ、その夜は女の姉が腕を揮った子牛の胸腺の料理だった。それ自体は十分食べられる量だったが、自分の分にくわえて女の残した分をいくらかムリして食べたあたりから、体の気分がある限界をこえたのがはっきりとわかった。すぐ異状が現れそうだというのではない。が、胃が分厚い木板の扉を閉ざしてしまったようなぐあいで、中にものが落ちていかない。味が神経叢に吸収されていかない。それでも、なんとかデザートまで持ちこたえて、食後酒をすこし舐めさえして、私はようやく、あてがわれている奥の寝室へ体を投げ出しに行った。
 ベッドの上に体を開いて、人々の声が小さく聞こえてくる薄闇の中で、ほんの数分だけ休息するつもりが、いつのまにか、眠りに落ちていた。
 目が覚める。
 夜が明けていたわけでもなく、家の中から人々の気配が消えていたわけでもなく、冷ややかな肌の美女が、胸に私の頭を抱えて目覚めを待っていたわけでもない。腕時計を目に近づけると、蛍光で緑に浮き出している文字盤と針の様子から、十分近くは眠ったらしいのがわかる。しかし、十五分まではいっていない。人々の談笑が漏れ聞こえてくる。
 胃の疲れが、いわば時間とともに体の中をいくらか下ったようで、それで多少なりとも回復したような気分がしていた。実際にはほとんど治っていないのがわかっているのだが、今夜のところはこれでも十分いける、大丈夫だ。少なくとも、そう思うだけの気力は戻っていた。むろん、いつまでもこんなことで切り抜けていけるわけではない。いまのところは大丈夫だとしても、ーー自分の生活態度全般に関わるような、そんな思いが、季節はずれの蚊のようにふらふらと、しかし、わずらわしく浮かぶ。
 明かりをつけ、鏡に向かう。髪を整えたり、疲れた上にまどろみで弛んでしまった感じの顔に生気を取り戻させようとして、手のひらを押し付ける。肌を引っ張ったり、マッサージしたりする。そうしながら、いま戻っていくはずのサロンで、人々がどんな様子で坐って話を続けているかを漠然と想像する。
 ふと、自分がさっきまでいたのは、そのサロンではなく、この寝室でもなく、まったく別のところだったという気がしてくる。よく思い出せないのだが、広く空の仰げるところで、海があり、森もあり、暖かい場所だったという気がする。青緑の穏やかな海の印象が強い。なにか長い旅でも終えて、ほっと荷を下ろしたような気持ちがしていた。そうして、だれかに、やっと戻ってきましたよ、などと言葉をかけていた気がする。
 たぶん、夢を見ていたのだ、と理知の働きは片付けようとするのだが、夢と言ってしまえば、まったく違ってしまうという気がする。この寝室にいま自分がいて、鏡にこうして向かっていて、人々の談笑が聞こえているのが、これが現実というなら、それと同じ程度には現実であったというべきなにか。もし、このふたつを比べるのならば、どうやら向こうのほうにこそ分がありそうな、ほんとうは自分も向こう側に属しているような現実。
 とはいえ、そういう夢というのはあるものだ。現実以上に生々しい印象を残す夢というものがあって、目覚めた後、人をいろいろな妄想に誘い込む。理知が即席に紡ぎ出してみせるこんな理屈にうなずいて、心はこちらの現実にふたたび落ち着こうとする。
 まあ、いいか。
 サロンに戻ってみると、女の友人や家族の数人は、もうそろそろ帰ろうかなどと話している。私は、たらふく食べたのでちょっと休んでいたら、まどろんでしまったと話し、料理の作り手が抱いていたはずの不安を払ってやる。

 (第2章 続く)


2017年11月26日日曜日

『リュリュ』(譚詩1994年作)1


1 冬の夜

 ながくフランスに住んだわけでもない普通の日本人が、ふと、ジョルジュ・ブラッサンスの歌の魅力に開眼させられてしまう。こんなことが起こってしまうためには、もともと、それなりの感性、好奇心、情熱がその人物に備わっていなければならないだろうが、ある種の幸運にも恵まれている必要もあるだろう。
 感傷癖と多少の文学趣味、さらに異国への憧れを持ちあわせた心は、たしかに、比較的容易にシャンソンへと向かうとはいえる。あれこれと聴いて、フランス歌謡の遍歴を重ねるうち、遅かれ早かれブラッサンスにたどり着く、というのもうなずける。すでに多くのシャンソンを聴いてきた耳に、彼の曲が藁のように味気なく聞こえる、ということはないはずだ。
 だが、なにかの拍子に口をついて出てしまうというところまで、行くかどうか。心と喉と舌よりなるわれわれの小楽団は、むしろ、楽しい時にはミスタンゲットを、のどかに心やすらぐ時にはシャルル・トレネの『ドゥース・フランス』などを、焦燥感にさいなまれる時にはピアフの『パダン、パダン…』を、さわやかな気分の時にはジョゼフィン・ベーカーの『ふたつの愛』のメロディなどを奏でようとするのではないか。
 陰々滅々といった気分の時のためにダミアの『暗い日曜日』はあるのだし、古い映画の悲恋の気分に浸りたいならば、マリ・デュバの歌う『モン・レジヨネール』がある。孤独でありながらも、自分ひとりのために絹の部屋着の肌触りは捨てられないといったナルシシズムを持ちあわせているなら、もちろん、バルバラがいる。荒涼たる吹きっさらしの風景の中へ裸の自己を求めに出たいというなら、ジャック・ブレルだ。
 困ったことには、こうしたシャンソンの数々をすぐに脳裏に蘇らせることのできるほどの人なら、かならずアメリカン・ポピュラーの数々にも通じているはずだから、いよいよブラッサンスの出番は減ることになる。チェット・ベイカーのあの壊れそうなけだるさを自分のものにしたいと思わない喉は稀だろうし、ナット・キング・コールの音の切れのよさに惹かれない舌もないだろう。男ならば、年齢を重ねるとともに、ルイ・アームストロングの貫禄と底知れないやさしさを声に乗せたいとも憧れるだろう。サラ・ヴォーンやカーメン・マクレイがいまひとつ好きになれないという場合でも、ヘレン・メリルがいる。ロリー・ジョンソンがいる。ジョー・スタッフォードのあの懐かしさと情感がある。ダイナ・ワシントンというダイナマイトがある。
 私がブラッサンスを知ったのは二十代のはじめ頃だが、ながい間、こちらの核に彼の歌が突き刺さってこないという感触を抱いてきた。ふと、メロディや歌詞を思い出しては、心の澱みや過剰、痛みにそれとなく処方してみる。そういう歌ではなかったのだ。同じ頃にブレルやバルバラが、あれほど効果てきめんの苦い薬でありえたことを思えば、私の感受性がとりわけ鈍かったということにもならないだろう。たぶん、若さのゆえなのだ。若さは悲愴さを必要以上に求め、それを少しでも大がかりなものにしようとする。悲しみも孤独も、果てまで行かなければその名に値しない、と若さは考えるのだ。
 ブラッサンスの詩法の根幹は、果てまで行かないことにある、と思える。ささやかなものであろうとも、悲しみはやはり悲しみだし、孤独は孤独だと、彼の背はいつも語っているように見える。果てまで行くことばかりに価値を見出すなら、小さな悲しみや孤独は顧みられなくなるだろうし、それらを抱いて日々のバスに乗り、電車に乗りして、勤めに出る人々の心は、無価値なものでしかなくなるだろう。だれもが、大きな悲しみや絶対の孤独を持ちうるほど力に満ちているわけではない。果てまで行こうとするのは、もう、やめようじゃないか。そんな考えにいつまでも酔っているのは、やめようじゃないか……
 これは、あきらかに、若さが人生に向けて採る態度ではない。すでに自らの体から若葉は芽生えてこない、永遠にその期は去った、そんなふうに心に滲みて感じとった人が、今の自分を装っている葉の一枚一枚につぶさに目を向けるようになった時の態度というべきだろう。自分の若さを疑わないでいられるうちは、まだまだ縁の薄い、こういう態度こそが、ブラッサンスの魅力の核心なので、だからこそ、二十代の私には、ブラッサンスはわからなかったのだ。
 そんなブラッサンスがわかる日が、わかりすぎる日が、しかし、かならず来る。来てしまう。ペルゴレージやロートレアモンのような早世の僥倖に見舞われないかぎりは、だれにでも。私にそれが来たのは冬の夜だった。四十六になっていた。

  (続く)


2017年11月25日土曜日

『魔法使いアヤ』(譚詩2005年作) 3 最終回


 (承前)

 夜明けの様子をたっぷりと眺めた後、いつもとほとんど変わりなく日中を過ごしたアヤは、夕方、ミーナの試合が行われるという都会の大きな広場に飛んだ。ミーナの力量が心配だったわけではなく、相手となるなにものかの正体を危ぶんだわけでもなかったが、どこか腑に落ちないものを感じていたのだ。
 大聖堂の正面につくられた大きな広場では、この日は夕方まで、衣料品や雑貨の市が出ていた。まわりを食料品や日用品の商店が取り巻いているので、夕方ともなると、たくさんの人で賑わっていた。
 人間の中に交じる時によくそうするように、アヤは少女の姿に変身していた。九歳か十歳程度の少女になるのがいちばん楽だったし、行動も楽な場合が多かった。時代や場所の流行に自動的に馴染むような術を使うので、ちょっと見ただけでは、外見からはふつうの女の子に見える。が、もし同年代の女の子たちとしばらくいっしょに過ごさねばならなくなったら、勘のいい彼女たちには、「この子、ちょっとヘン…」と感づかれたかもしれない。
 魔法使いの試合などというと、どこか荒涼とした原野や深夜の森などが舞台になると想像されがちだが、実際には、このような繁華な場所で、人間たちには誰にも気づかれずに行われる場合が多い。楽しみにしてしまっておいたコンサートチケットを、音楽ファンの机の引き出しから跡形もなく消滅させてしまうような小さな魔法試しから始まって、喧嘩別れして長いこと経つ男女を、すっかり和んだ心持ちにさせてから、広場の雑踏の中で鉢合わせさせ、一気に結婚へと持ち込むような魔法合戦は、かなりよく行われる。まだ見習い魔法使いだった頃、アヤは、貧乏な家庭の雀の涙ほどの全財産を拝借して、わずか三十分のあいだに世界中の取引市場を流通させ、巨万の富にして、その家庭に返してやったことがある。世界中で名を知られているある大富豪の数十代前の家庭がそれで、魔法使いたちはその家の名を聞くと、すぐにアヤの魔法の華々しい成果を思い出すのだった。
 「さあて、どんなふうに行われるのかしら?それに、ミーナはどこ?」
 そう思いながらテレパシーで探すうち、すぐに気づいたのは、ミーナがこの広場にはいない、ということだった。アヤはすぐにテレパシーの方向を変えて、世界中に向けてミーナの波動の所在を探ってみた。すると、ミーナはなんと、いつも住んでいる別の都市にいるではないか。遠隔地にいるミーナに、アヤはテレパシーで聞いてみた。
 「ミーナ?どうして、こっちの街の広場に来ていないの?昨晩やってきて、今日ここで試合をするって言ったじゃない?」
 すぐにミーナから声が返ってきた。
 「アヤ!ちがうわ。私、昨晩なんて、あなたのところには行ってない。それに、試合なんてないわよ。するわけないじゃない!?
 やられた!、とアヤは思い、それでは、なにが私をここに?と訝って、周囲を見まわしてみた。
 探すまでもなく、目の前に、見覚えのある、すらりとした背の高い女性が立っていた。
 「思い出した?私よ、アヤよ」
 五〇年以上前までだろうか、アヤ自身が好んでたびたび変身した、若い母親ふうの姿がそこにあった。得意のレパートリーのひとつだった。
 いろいろと相手に問うまでもなかった。たしかに目の前にいるのは、自分自身なのだ。日ごろのアヤがコントロールしきれていなかった欲望が、外部に別の存在を出現させ、その存在によって欲望の成就が図られようとしている。アヤに限らず、これはじつは、あらゆる人間に起こっていることで、一般的には運命とか宿命とか偶然とか因縁とか呼ばれがちだが、ようするに、ひとりひとりの人生のさまざまなドラマの根幹をなすものだった。身に起こるすべては、じつはみな、自分自身であり、自分自身が望んだものなのだーー、アヤが知り尽くしてきた人間の根本原理だった。
 なんていう日だろう、ミーナの姿をして昨晩出現したあれが、…私自身が、謎めいた告げ方をした「明日」、それが、これなのだ。数百年このかた、経験したこともないような「明日」が来たんだ!ーー  
 若い母親にしっかり手をひかれて、いや、自分自身に手をひかれて、アヤは抵抗する気にもなれずに、されるがままに広場から連れ出されていった。まもなく、魔法の力もすべて失せてしまうに違いない、だって、私が望み続けてきてしまったんだから。自分自身に向けた最後の最大の魔法が、はっきりと動きはじめてしまっているんだから。そうして、あんなにも長いあいだ魔法使いとして、平穏な森の中で暮らしてきたことだって、すっかり忘却してしまうに違いない。それだって、きっと望んできていたことなんだから… 
そう思うと、いままでの自分のあれこれが痛切なまでに懐かしくなり、こみ上げてくるものがあった。涙で目がくもり、あたりの様子が見えづらくなった。さようなら、私!あの森も、あの館も、みんな、さようなら……
 広場から大通りに出る角に書店があって、店頭には近ごろ評判の、魔法使いの物語が高く平積みされていた。関連した書籍もたくさん並んでいて、『私は魔女に会った!とか、『ミーナという魔法使い』という書名も見えた。『ついに突き止めた!伝説の魔法使いアヤ』という書名が目に入った時には、すでにアヤの頭は、自分の名前と同じ魔法使いがいるのかなあ、と疑問を抱く程度まで、すっかり変質してしまっていた。手を引かれていきながらも、いちばんの売れ筋らしい、いっぱいに積まれている物語の表紙をあらためて見直すと、『魔法使いアヤ』という書名の下に、数百年暮らした森の、あの懐かしい館と、箒に乗ってそこから飛び出してきたばかりの可愛らしい魔法使いの絵が大きく描かれていた。
立ち止まって、アヤが本に手をのばそうとすると、
 「そんなつまらない本、見てるんじゃないのよ。パパがおうちでお夕飯を待ってるわ。パパったら、明日、朝早くから大忙しなのよ。大きなお山と海を壊して、コンクリートで平らに固めて、世界でも最大の原子力発電所の工事を始めるんだって。パパが全部を計画してるのよ。すごいわよねえ、パパ? …でも、アヤにはまだ、わからないかな?」
 若い母親は楽しそうにこう言って、軽快な足どりで、アヤの手を引っ張っていった。

 (終わり)

*『魔法使いアヤ』は、2005年、小説同人誌《イオ IO》4号に発表。今回は若干の改訂を施した。
 《イオ IO》は、すずらかわまき、天河樹懶、大海人丹丘、駿河昌樹4名の同人誌である。
 内容には、30年にわたって実践された、故エレーヌ・グルナックとの魔法修行の経験が反映されている。



あのムチムチの腿や短すぎるミニスカートの雰囲気までも


大人になって
十分に饐えてくると
自分がなんでも知っているかのように
人は誰でも思いがちになってくる

慎み深くあれ
謙虚であれ
などと道学者めいたことを
ひとくさり言ってみたいと思うのではなく
そんなふうに慢心していられるほど
波風立たない入り江に暮らしていられるのだろうか
その証拠だろうか
などという印象を持ったりするだけのこと

ある大学の教員室に居たら
日本語の初老の女性の講師が
短歌について他の先生たちにしゃべっているのが聞こえてきた
他愛もないおしゃべりに過ぎないのだが
授業で短歌が出てきたのだろうか
あれがどうの
これがどうの
いろいろしゃべっていて
他の学科の先生たちが
「まぁ、そうですか」
「そんなもんですかねえ」
などと聞いている
わざわざ聞き耳を立てるほどの話でもない

そのうち
北原白秋の名前が出てきたので
ちょっと
耳を澄ましてしまった
「白秋も短歌をちょっと作っていたんですよ」
そんなことを言っている
白秋が作った歌のあの量を「ちょっと」と言うかねえ
と思う間もなく
「でもね、白秋の歌なんて、たいしたものはないんですよ」
とおしゃべりが続いたので
いっそう注意して耳を澄ましてしまった
「まぁ、歌人としてはたいしたことはなかったですね」
おや
おや 
おや
ぎょ
ぎょ
ぎょ

この日本語の先生は
ひょっとして
アララギ派原理主義者かなにかなのだろうか?
それとも
独自の作風を確立なさった現代の大歌人ででもあらせられたか?
なかなかきっぱりとした白秋批判だが
いったいどこから
これだけの白秋ぶった切りの言辞が出てくるのだか

それにしても
怖いなぁと思わされるのは
あれだけの多量の歌を作った白秋を
言下に「白秋も短歌をちょっと作っていた」と断じてしまう
このノーテンキさ
あれらの歌に「たいしたものはない」と難じるにしても
「ちょっと作っていた」はないだろう
言えないだろう
そんな不正確なことは

正直なところ
わたしには好きではない白秋の歌がいっぱいあるのだが
それは彼の言語世界が好きではないということで
あれだけの多量の歌を生産し
あれだけの言語表現の力量をはっきり刻印したことまで
たやすく無視してしまうことなどできはしない
だいたい
世間であまり読まれてもいない
目を患ってからの
晩年の暗い黒々とした墨絵のような歌の世界は
齋藤茂吉の最上川詠に比肩されうるような高みに達してもいるのだし…
それを
この日本語の初老の女性講師は…

恐ろしいなぁ
ひたすら
思うのである

なにが恐ろしいのか
知らないということか
ちっぽけなナマクラな判断基準を肥後ナイフよろしく
いや
ボンナイフよろしく振りまわして
あちらこちら
評定し
断じ
批評して
何様かになったかのように慢心することがか

たゞ
わたしは、あれ、嫌いです
済ましておけばいいのに
どうして人は
評するところまで行ってしまうのか
評定し
断じ
批評して
何様かにでもなったかのように慢心するところまで
行ってしまうのか

白秋については
むかしむかし
大学院で白秋を研究していたという女性と
つかの間
同じ職場で親しんだことがあった
秩父出身のその人は
いつも驚くほどのミニスカートで
まれに見るほどにムチムチした腿を
包むか包まないか
という具合にして出勤してきていて
職場は難関校受験の進学塾だったというのに
股の奥が覗き見えるような座り方を生徒たちの前でするものだから
男子学生がわたしたちに
「センセ、もうダメ、ぼくらイッチャウ…」
などと
不平とも
苦情とも
恍惚とも
逸楽の悶えともつかぬことを
話しにきたものだった
(ちなみに
(精子はじつはエーテル体なのであると断ずる
(トンデモオカルト説をこのあいだ偶然ネット上で読んだナ
(もちろん、これは「ちなみに」な話であって
(いま進行中の言語配列とはあまり関係がないんだナ
この女性はなぜだかわたしに好意を示すようになって
仕事の後でよく公園で話をした
その職場は埼玉県の北浦和だったので
その公園とは北浦和公園であった
(なんでだか
(この書きもの
(「であった」調になってきているナ
夜十時半や十一時頃までベンチで話したが
内容はその女性が見合い結婚をそろそろすることについてであった
かつて大学院で研究した白秋についてであったりしたが
座っていると例のミニスカートがやっぱり腰の上にズレ上りぎみになるので
心おだやかならぬものがあるにはあったが
それでもヘンに陥落したりしてしまわなかったのは
彼女の髪の毛がやけに薄く
毛の一本一本の間がずいぶん開いていて
それがうまい具合のラジエーター役になってくれたからだった
わたしが短歌に興味があったものだから
過去に集めた白秋の研究資料を少しずつくれて
ついには白秋の肉声の朗読テープまで貰い受けることになった

勤め先が替わってからは
だんだん連絡が減っていって
ついに年賀さえ出さなくなったけれども
それも
この人のことを思い出すと
ムチムチした腿にひらひらの短か過ぎるミニスカートしか
思い浮かばないという事実に
どことなく
劣情の哀しみをしみじみと思わせ続けられたからで
まぁ
やっぱり
会い続けていたら
危なかったかもしれない
錨を下ろすべきでない御仁とは
どこかで
きっぱり距離を取る必要はあるもので
あるから

貰った白秋の肉声朗読は
なんだか
しゃっちょこばって
趣きも
面白みもなかったが
歴史的貴重品ということで
ずっと保管しておいた
手放したのは
詩人の吉田文憲さんから欲しいと言われたからで
あれは
文憲さんが詩集『原子野』を編集中の頃のことだった
あの詩集の原稿が送られてきて
手直しすべきところや校正をしてほしいと言われていて
こちらもずいぶん忙しい最中だったが
時間を割いてずいぶん深読みをしたものだった
吉増剛造さんが過去の詩人の肉声に特にこだわっていた頃でもあっ
吉増さんとよくいっしょにいた文憲さんは
その影響もあってなのか
わたしが白秋の肉声を持っているというと
ぜひ聴かせてほしいと頼んできた
手渡してからしばらくして
考えてみれば
わたしとしてはあまり保管しておきたくもないものだったので
よろしかったら差し上げます
と伝えたものだったが
それ以降
文憲さんはあれを使って詩作をしたりしたのかしら

白秋のあの肉声テープとともに
ひょっとしたら
文憲さんに
あのムチムチの腿や短すぎるミニスカートの雰囲気までも
べったり
じっとりと
伝わっていってしまったのかも
今はじめて
思うに到ったのでござるヨ

なんとも
不覚であったノ