2023年11月30日木曜日

ことほどさように

 

 


本を読むのは

どんなものでも簡単ではなく

むしろ困難の極みの労働であると思うのだが

たとえば旧約聖書の

あの創世記

 

日本語だと

だれもが共同訳を読むことになり

明解な気持ちのいい訳だが

いつも引っかかる

 

「初めに、神は天と地を創造された」と

冒頭で言っているのに

創造の二日目のところで

「神は大空を造り、大空の下と大空の上に水を分けさせられた」

と言う

 

「天」と「大空」は違うものなのか?

ととまどい

引っかかってしまい

第1ページ目で

ずっと想像をくり返しながら

確認しようとしてしまう

 

創造の二日目のところで言っている

「大空の下と大空の上に水を分けさせられた」

というのが

また

わかりづらい

 

どうして「水」が

これほど特権的に語られるほどに

しっかりと存在してしまっているのか

そこにも引っかかる

 

冒頭ですでに

「初めに、神は天と地を創造された。

地は混沌であって、

闇が深淵の面にあり、

神の霊が水の面を動いていた」

と語られているので

とにかくも「水」は特権的な存在である

 

神が意識的に「天と地」だけを「創造」した段階で

なぜだか

創造もしていないのに

「水」も出現してしまっているのだ

 

まあ

いいだろう

 

なんだかわからないが

神の創造に与らなくても

「水」はもれなく

セットで「地」に付いてきてしまうものらしい

 

なぁに

「地」には

ふつう

「水」は付きものじゃないか

なんて言われれば

そりゃそうだ

となるが

ちょっと待ってくれよ

いまの自然界のことを言っているんじゃなくて

創世の時のことなんだよ

 

そう

文句も

言いたくなる

 

創造の二日目では

こう

書かれている

 

神は言われた。

「水の中に大空あれ。水と水を分けよ。」

神は大空を造り、大空の下と大空の上に水を分けさせられた。

そのようになった。

神は大空を天と呼ばれた。

夕べがあり、朝があった。第二の日である。

 

おいおい

ちょっと待ってくれ

 

「水」の中に「大空」を造った?

それで

「大空の下と大空の上に水を分け」た?

そうして

その「大空」を「天」と呼ぶことにした?

 

あれ?

 

創世記の第一文で

すでに「天地」は創造されているんだから

二日目で造った「大空」を

「天」と呼ぶのは

矛盾しているよね?

 

それに

「大空の下と大空の上に水を分け」たのだとすれば

「大空」なるものは

膜みたいなものになるの?

 

こういうわけで

ちゃんと読もうとすると

とんでもない迷路へと連れていかれてしまうのが

旧約聖書の創世記なのだ

 

いい加減に読んで

だいたいのところを想像して

ずんずんお話を追っていく雑なひとでないと

とてもではないが

納得できない概念構造

 

ここで

フランシスコ会聖書研究所の

『原文校訂による口語訳聖書』を開くと

「大空」については氷解する

 

なんと

ヘブライ語を直訳すると

「大空」と訳される言葉の意味は

「打ち延ばされた(金属)板」であって

古代セム人は

「大空」を

「上に水を蓄えた堅い天井」と考えていて

そこにできた穴から大雨が降る

と考えていた

との注釈が付いている

 

「打ち延ばされた(金属)板」

というイメージで「大空」を捉えるのは

体感的にわかる

晴れあがった真夏の青空など

まぶしくて

「打ち延ばされた(金属)板」

という感じではないか

 

もっとも

「打ち延ばされた(金属)板」のような「大空」の下にも

すぐに「水」がある

という考え方は

やはり

謎のままに留まる

 

それに

「打ち延ばされた(金属)板」

として「大空」を捉え

表現したとすれば

旧約聖書の創世記を支える発想は

「板」や「(金属)板」が

人類によって作られるようになった後に

作られたものということになり

大して古いものではない

とわかってしまう

いくら紀元前だといっても

「板」や「(金属)板」というものを

人類が手中にしてからのことに過ぎない

 

ことほどさように

 

ことほどさように

 

本を読むのは

どんなものでも簡単ではなく

むしろ困難の極みの労働であって

旧約聖書の創世記なんぞには

とにかく

惑わされ続ける

 

そういえば

神の天地創造は

けっこう

容易に

ひょいひょい

なされたようである

 

フランシスコ会聖書研究所の

『原文校訂による口語訳聖書』には

これについても注釈があって

1節の「創造する」の原語は「バラ」であり

このヘブライ語は

神の場合にだけ用いられ

「労することなく造る」

すなわち

「言葉または意志によって造る」

という意味だという






草の青さの気持ちよい春の暖かい土手の上でぼくと向田邦子は

 

 

 

ちょっと前

向田邦子の夢を

ふいに

と言いたいほどの唐突さで見たのだが

ぼくの人生のなにかや

ぼくの奥底の精神のどこかが

大きく変容しでもしたのだろうか?

 

というのも

というのも

 

昭和の一時期

1970年代から

彼女が飛行機事故で死ぬ81年まで

テレビドラマ界は

向田邦子一色だったし

1980年に直木賞をとって

作家としてもはっきりと地位を確立して

書店でも向田邦子の名で溢れていたというのに

ぼくは個人的に

向田邦子のタッチが大嫌いで

なんだか

お新香くさい

味噌汁くさい

いかにも昭和な家族話を

べったりと見せつけられるようで

どうにも我慢ならなかった

からだ

 

社会問題を扱わない

扱えない

物語的にも冴えのない

有吉佐和子のドンクサ版を

畳にちゃぶ台的な暮らしかたの

いよいよ

滅却させられはじめた

昭和の

最終章の時期に

見せつけられているような

感じがした

 

小説でも戯曲でも詩歌でも

なんでもかんでも読むタチだったので

向田邦子の本も手に取ってみたが

どうにも読み進められない

ぜんぜん面白くない

ああ、ドンクサ!

とばかり

感じる始末だった

 

いまふり返ってみれば

YMOやユーミンや

大滝詠一や山下達郎や

松田聖子などが

昭和の色彩を

爆発的に塗り替えようとしていた時期に

ドンクサ昭和家庭風俗を

ひとり背負った向田邦子だったので

ぼくが向田邦子を読めない!

というのは

時代的な分断現象としてこそ

見直すべきことだったかもしれない

 

そうでなくとも

当時のぼくの頭のなかは

ドゥルーズ+ガタリやフーコーや

ヴィトゲンシュタインや

バルザック全集や

ドストエフスキーや

ランボーや

ロートレアモンでいっぱいだったので

向田邦子の入り込む余地が

ほとんどなかったのは

まあ

しょうがない

いまなら

思える

 

ところが

そんな向田邦子の夢を

後藤明生の小説の仕込みなみに

ふいに

唐突に

見たのである

 

ぼくは向田邦子の家を訪ねていて

それほど立派でもない書き机を眺めたり

その机からは台所の上にあるけっこう広い窓が見えて

外に見える通りを人が歩いて行くのが見えたり

雑草が見えたりして

なかなかこういうのも悪くないな

などと思ったりしていた

 

向田邦子の終の住処となった

東京都港区南青山五丁目のマンションでもなく

彼女がひとつ前に住んでいた

東京都西麻布三丁目(旧霞町)のアパートでもおそらくない

もうちょっと庶民的な

下町的な感じのある部屋だった

 

夢のなかの向田邦子は

そこで

ごくふつうの中年女性という感じで

暮らしているのだった

 

その住まいのすぐわきに

川の土手のような高台があって

そこに出て

記念写真を撮ろう

ということになった

 

こちらは

向田邦子のものをぜんぜん読んでいないが

テレビドラマなどは見たことがあるし

作品の話はひとから聞いたりしていたので

話に困ることはなかったけれど

それでもバカ正直に

「向田さんのもの、あまり読んでないんですけど」

などと言うと

「いいわよ、読まなくっても」

と答えてくれて

なかなか寛大なひとだなと思った

 

とにもかくにも

あの有名な

一時代の寵児の向田邦子が

いっしょに写真を撮りましょう

と言ってくれるのだ

そりゃあ

撮っておこうと思うよね

 

向田邦子の助手をしている若い子たちに

写真を撮ってくれるように頼む

というのだけれど

ところが

ところが

来るはずの若い子たちが

なかなかやって来ない

 

土手の上の道で

遠くにふたり

若い子がいるのが見えるので

「はやくいらっしゃい!」

と向田邦子が呼ぶのだが

それでも

なかなか来ない

 

待っていれば

そのうち来るでしょうけれど

いまの若い子たちって

こういうところがダメね

だらだらしてんのよ

まったくねえ

などと向田邦子は言い

それを聞きながら

草の青さの気持ちよい春の暖かい土手の上で

ぼくと向田邦子は

若い子たちのほうを見続けて

待っている

 

古本屋で

一冊百円とか

場合によっては

三冊百円とか

いまでは

そんな値段でいくらでも買える

向田邦子を

買って読んでみるかなあ

 

がらっと

宗旨替えするように

して





2023年11月29日水曜日

色やかたちを電子の河に流すことだけでいい


 

写真や動画を配信したり

リツイートする人たちが陥りやすいことに

なんらかの意味あいや

感情や

メッセージ性を

帯びさせようとしてしまう

ということがある

 

さらにいえば

伝えよう

とする思いや気持ちを

べったりと載せてしまう

ということがある

 

写真や動画は

色やかたちを電子の河に流すことだけで

いい

 

明るさや暗さ

さまざまなものの動き

それらも

いっしょに流すことが多いだろうが

それだけで

いい

電子の河に流すのは

 

文字もおなじ

ただの

(多くの場合は)黒い線

 

短い線

長い線

ひん曲がっていたり

丸っこかったり

線のあいだに空白が多かったり

空白が少なめに並べられていたりする

黒い線

 

もちろん

黒くないいろんな色の

線も

 

なんらかの意味あいや

感情や

メッセージ性を

写真や動画や表象に

帯びさせようとするひとたちの

知的教養の浅さや

哲学的思索にかけた時間のあまりの短さや

情感や情念の煮詰めかたの甘さが

かなり

醜い

 

かなり

不味い





アレクサンドロスⅢ世の紀元前333年の姿を

  

 

いそがし過ぎるので

ガザとか

イスラエルとか

ユダヤ人とか

パレスチナとか

あのあたりのことにばかり

こちらの意識を

集中させているわけにも

いかない

 

とはいえ

イスラエルの異常さについては

人類史的な精神医学的問題と思うので

あれこれと考え直さざるを得ないし

いろいろと調べざるを得ない

 

つかの間だが

地球に潜入して

この星の特性や人類の研究をする任務を持つ者の

最低限のつとめ

 

ひとはすぐ

ユダヤ教の性質や

タルムードの奇矯さなどに

ユダヤ人の思考や行動の特性を求めようとするが

紀元前15世紀頃からの

彼らの祖先が被った激しい過酷な歴史変動について

彼らがたぐい稀な記憶を潜在意識の中に保持していることにこそ

原因はあるのではないか

と思える

 

少なくとも

アッシリアやバビロニア

さらにペルシアやエジプトなどの

巨大軍事国家による

絶えざる圧力と

それによる滅亡や離散などの経験をしっかり見ないと

21世紀におけるイスラエルの行動様式は

まず

分析できない

 

ヨーロッパの歴史を

イギリス史をものさしにしながら見ると

視点を安定させられるように

古代オリエントの激しい興亡の歴史は

イスラエルという小国をものさしにすると

整理しやすくなるところがある

アッシリアからも

バビロニアからも

過酷な扱いを受けてきたイスラエルには

歴史の爪痕が

くっきりと

生々しく残されている

天才指導者キュロスⅡ世のペルシア帝国は

なかなか寛大で賢明な扱いをしてきたが

それでも

イスラエルが従順に支配下に下ったからのことだし

エジプトからは

冷酷一方というわけでない

複雑な扱いを受けてきた

 

風のように現われて

大ペルシア帝国を滅ぼしてしまう

アレクサンドロス大王の東征が

当然のことながら

シリアやパレスチナにも

及んでいたのを確認し直すところまで来ると

ガザのあたりについての印象も

こちらの意識の底で

さらに大きく変容しはじめる

 

ペルシア戦争の時に

アテネの神殿をペルシアが破壊したことへの報復を理由に

アレクサンドロスⅢ世は

コリント同盟の盟主として

ペルシア遠征に乗り出した

37000人のマケドニア・ギリシア連合軍を率い

ヘレンスポントス海峡を渡り

グラニコス川のほとりでペルシア駐留軍を破る

そうして

その年のうちに

小アジア全土を征服してしまう

 

アレクサンドロスⅢ世は

シリアの入口のイッソスの戦いでダレイオスⅢ世を退け

シリア・パレスチナ海岸地帯を南下し

この時にこの地域のほとんどの都市を無抵抗のまま服従させるが

ティルスとガザは抵抗してきたので

戦って征服することになった

その後

ガザからすぐにエジプトに侵入し

メンフィスに無血入城する

 

アレクサンドロスⅢ世は

ペルシア支配からのエジプトの解放者とされ

エジプト人から讃えられて

ファラオの称号を与えられたり

アモン神の子と讃えられたりした

 

アレクサンドロスⅢ世は

地中海側に

港湾都市アレクサンドリアの建設を命じるが

これをうけて

オリエント各地に

同じ名前の都市建設がなされていくことになる

 

現在のガザの

どのあたりの道をどのようにたどって

エジプトとの国境の

どのあたりをさらにたどって

アレクサンドロスⅢ世は

エジプトに侵入していったのか?

 

現状を伝える多くの写真や

映像を見ながら

たぶん

今の世界で

わたしひとり

アリストテレスの弟子の

アレクサンドロスⅢ世の紀元前333年の姿を

かの地の

ひかりや埃や瓦礫や

血や

死体や

叫喚のなかに

望見しようとしている