2016年6月29日水曜日

くたびれよう


疲れるのにも飽きたので
近ごろは
疲れるのも
やめたのである

だいたい
昔のおばあちゃんなんかは
疲れた
などとみだりに言わず
古式ただしく
くたびれた
と言ったものだ

くたびれた
というのは
なかなか
いいものである

稲穂の揺れるのや
お寺の柿の木なんかが
見えるようでは
ないか

ちんちん電車の
行くのが
聞こえるようでは
ないか

疲れるのをやめたから
これからは
くたびれようと思う

もっと
もっと
くたびれよう

これからは
くたびれるぞ

もっと
もっと
くたびれるぞ



2016年6月28日火曜日

べつの地に足を着ける



地に足を着ける

それって
よいことのように言われるが
いまひとつ
ぼくは着けてなくて
いつも
ちょっと浮いているようで

でも
かえって
よかったよ
今にして思えば

ハンスという人の
昔語りに
あった

こぞって
友人知人が
兵士にされた時代
地に足を着けて
ゲットーや
殲滅収容所で
ずいぶん頑張りを見せた連中も
いっぱいいたけれど
ぼくは
いまひとつ
地に足が着いていなくて

でも
かえって
よかったよ
今にして思えば

べつの地に
足を着けていた
ハンスという人の
昔語りに
あった



クラクラ



歩きながら
どうもアタマが
アタマが
クラ
クラ
クラクラ
するな
と感じてたが
そうじゃなかったんだ
まわりのほうが
世界が
クラ
クラ
クラクラ
していたんだ
気づいたぞ

ほんとうに廻っているのが
やっぱり
太陽のほうだったと
つい
このあいだ
気づき直したように



2016年6月24日金曜日

もう面白くない



遠くのどこか
塔が見えるわけでもない
山もない

待つものもなければ
対話すべきこともない
相手もいない
自分とさえ
もう
対話のまねごとなどしない

ここらで
視線を
たとえば足元に落として
なにかの象徴のように
小さな葉を
描いたりしたかもしれない
以前ならば

今はもう
しない
そんなことをすれば
詩のようになってしまうから

沈黙
…などと
安易な単語を置くことも
もう面白くない

もう面白くない
…というのが
いい

いい批評拠点だし
たぶん
いい足の踏み場

われ面白がる故にわれあり
われ面白くない故にわれあり

いいんじゃないか?

もう面白くない
…と思う時
軽い死がある

軽い
軽い死だが
そこから再生する

再生は
つねに本物だぞ





2016年6月19日日曜日

任されていた人形のようなもの


ふいに
時間の側から
じぶんを見ているような時って
あるでしょ?

それが誕生の時

じぶんと思い込んできた
思いも
気分も
からだも
任されていた人形のようなものの
小さな一部



ちょっと豪華なランチ



いつまでも
生き
続けられるわけでも
ない
と呟いていた
海峡の
黒の
ような濃紺の水のそこに
ほんのちょっと
稀な石を
投げ込んでみた
ところ

いまからピーチジュースを飲みます
それから
ちょっと豪華な
ランチが待っているんだ



合格のしるし



ナイフを
ないふに
するすべを知ったのも
夏が
子どもだった頃の
沼のほとり
なにを切ろうとしても
なにを刺そうとしても
ないふは
ニュニョッ
ニュニョッ
としてしまう

これが
合格のしるし



夢の猫


夢の猫が
夢からすこし
はみ出た娘たちのところへ
きっと
行くところなのだろう

小走りに
やわらかい毛なみが
わたしの肺の
ちょっと明るめの通りを
過ぎていった



若い かるい夏よ



だれにも
読まれないのが
とても
すがすがしい

からだが
透いてくるのを知ったのは
もう
数十年前のこと

すっかり
見えないからだになって
あたらしい夏も
街から街
歩いています

声も
だれにも届かない
笑いや
からだの温みも
もちろん

抱きしめていておくれ
若い
かるい夏よ
いまは
あなただけのわたし

汗を呼ぶ
空からの暑さ
昼の圧力
鋼のような陽射し
それらで
こんなにしあわせなのだもの

抱きしめていておくれ
若い
かるい夏よ
いまは
あなただけのわたし



偶然の神に帰依し直そう



行くところがわからないほど
崇麗なものはないだろう
すべて偶然の信託によるべきだ
ゴマと火と塩とヴィーナスの
先見にたよるばかりだ
西脇順三郎 
「生物の夏」(『禮記』)
  


ちょっと
じぶんを
立ち止って

あたりを
見まわすと
どれも
これも
偶然から
集まってきたもの
ばかり

モノも
ことがらも
感覚の種も
思いのしくみも

必然や計画という邪神を離れ
あゝ
ふたたび
盛大に
徹底的に
偶然の神に帰依し直そう

意識が凝り成った
時代も場所も偶然なら
まわりのあの人この人みんな偶然
こんな漢字仮名交じりを
書くハメになったのもまったくの偶然

いったい
どのあたりから
チッポケな
ケチ臭い計画主義に
陥って
しまって
いたんだったか




まったく新しい挨拶


時間とは
なにか、まだ
掴みきって
いないと言いたげに
かたつむりが
紫陽花の葉から
べつの葉に
たぶん
移りたいのだろう、ゆっくり
からだを
伸ばし始めていて
それから生まれる時間が
光景を包んでいる時間に
まったく新しい
挨拶をした




2016年6月17日金曜日

環状線の下



環状線の下だけ
やや暗く
ひっそり静まっていた

ぼくらはようやく
息がつけるようだった

ぼくら…

かたちを成したこともない
未来の小さな水滴と
生まれるのなど
考えたこともない
大きな潤った空虚のようなもの
そして
ぼく

どこかから
逃げてきたわけでもなく
どこもかしこもが
つらくて嫌だというわけでもないけれど
たぶん
ずいぶん歩いてきたからだろう
ちょっと涼しい
暗いところで
息をつきたい気がしていた

やや暗く
ひっそり静まっていた
環状線の下で
ぼくらは
おしゃべりもせずに
目を見開いていた
蔭になったところや
環状線のはずれの
日当たりの強い明るみを
交互に見ながら
でも時どき
蔭や
日当たりのどちらかを
じっと見据えたりしながら

そうしてやっぱり
なにも
細かくきっちりとなんて
考えたりせず
あたまや心の中を
すっかり辺りの世界に横取りされたまま
呼吸をし続けていた

だから
ちゃんと生きていたとか
とにかくどうにか生きてきたなんて
主張するつもりはない
ぼくに
なにか中身らしいものがあったなんて
あんまり
信じてもいない

ようやく
息がつけるようだったから
そんな環状線の下に
入れたから
息をついただけ
息をしていただけ




本当にひっそり歩を進める


細い板を渡した
たよりない
舟着き場の先端まで行って
戻ってくるだけが
毎朝の
日課のようになった

台所の裏ドアから出て
露に濡れた草を踏み
湖から突き出た木板の先まで
ゆっくり足を進め
先端まで行く

しばらく潤った静寂と居て
たぶん
わたしと
新たな日との間の
まだ固まっていない
薄い肌のようなものを
誰にも気づかれないように
見とがめられないように
調律する

やがて
落ちないように
後ろに向きなおって
もうずいぶん古い木板の並びを
身軽な動物のするように
足先で音も立てず
戻ってくる

わたしが生まれない頃
むかしむかし
この舟着き場は賑わったそうで
朝な夕な
おめかしした人たちが
ひとりひとり
舟から下りたり
乗り込んだり
そうして
今は跡形もないお城への
近道を
ここから辿っていったのだとか

もう舟は着かず
出てもいかず
木板が湖の水面に伝えるのは
わたしの足の動きだけ
湖に知られたくない
思いも
思い出も
いっぱいあるわたし
本当にひっそり歩を進めるので
湖がさざ波を立てることも
ほとんどない
わたしの動きのせいで
などは



わたしはまだ厨に辿りつかない



まだ明け方に間のある頃
雨もようやく止んで
ちょっと濃い珈琲をすこし
ほんのすこし
飲みたくなって
厨にむかう

わたしの小さな居間から
何段も
何段も
階段を下りて
いったん玄関ホールの
広い静寂の中に身を滑らせ
それから
長い
長い
廊下をたどって
青年時代までは入るのを禁じられた
大きな厨にむかう

ほんのすこし
濃い珈琲を飲みたくなっただけ
というのに
なんという冒険だろう

明かりも仄かにしか点いていない
長い
長い
廊下をたどって
わたしはまだ厨に辿りつかない
この廊下は本当に長くて
その時の歩幅や速さによるものの
どうしても15分はかかる

わたしはまだ厨に辿りつかない
けれど
着いたあかつきには
好きな珈琲の種類のうちの
どれにしようかと
ちょっと楽しく迷いながら進む
豆を挽くことから始めないといけないが
珈琲挽きには
前に挽いた豆の風味が残っていないかしら
それをもう一度よく
拭きとらなければいけないかもしれない
先に湯を沸かし始めたら
沸くのが早過ぎていけないかもしれない
水も井戸に汲みにいかなければいけないけれど
この夜明け前の暗がりの中で
井戸を除くのはちょっと怖いかしら…

いろいろ思うけれど
わたしはまだ厨に辿りつかない
まだまだ
辿りつかない