2020年9月27日日曜日

じゃあ ぼくは余生を川上宗薫といくかね


ニヒリズムということなら

人後に落ちない

 

誰を見ても

どうせ死ぬのに

としか

思わない

 

誰がなにに打ち込んでいる/うつつを抜かしている/嵌まっている

どうせ終わるのに

としか

思わない

 

誰がなにを達成した/獲得した/成就した…

どうせ忘れられるのに/越えられるのに/古びるのに

としか

思わない

 

主義ではない

地上滞在が

おのずと

こう思わせるようになった

 

俳優といえばアラン・ドロン

ジェラール・フィリップ

ジェームズ・ディーン

などという列挙が

もう

若者には通じない

まったく

 

ブリジッド・バルドー

マリリン・モンロー

グレース・ケリー

オードリー・ヘップバーン

などと見せると

昔にもきれいな人

いたんだァ

としか

ならない

ヴェロニカ・レイクや

キャロル・ロンバート

リタ・ヘイワースに到達するには

長い長い

それも偶然にいたずらされての

掘り起こしを

していかないと

 

なにかというと山本直純だった

團伊玖磨の続々々々…「パイプのけむり」だった

「兼高かおる世界の旅」だった

「スター千一夜」だった

もっと昔なら「シャボン玉ホリデー」だった

街の書店の文庫棚はかつて遠藤周作で埋まっていた

とにかく本屋に入ると住井すゑ「橋のない川」

丹羽文雄も街の書店の文庫棚を占めていた

なにかというと加藤周一でもあった  

源氏鶏太しか読まないサラリーマンたち

あゝ、柴田錬三郎

五味康祐

山手樹一郎

舟橋聖一

佐々木邦

山岡荘八

北原武夫

中村武志

石坂洋次郎

大佛次郎

獅子文六

藤本義一

半村良

川上宗薫

宇能 鴻一郎

笹沢佐保……

 

アレルギーと身体虚弱とで

大学を出ても

職にも就けない

どこのバイトでも採用されず

採用されても

まず一週間以内にダメになる子と

このあいだ

久しぶりに話したら

この頃

笹沢佐保に凝っている

と言っていた

古本屋で極安の本をゴソッと買ってきて

栃木の奥の実家に閉じこもって

読んでいる

ひたすら笹沢佐保

コロナなんて関係ないです

あっしには関わりのねえことでござんす  

どうせ前から外には出ないし

どうせコロナ後も外へは出ませんから

あ、読む本なくなったら

外に出ないといけないんで

ちょっと困りますけど

でも

木枯らし紋次郎です

あっしには関わりのねえことでござんす   

 

ニヒリズムなんて

この子において

とうに

突き抜けられてしまっている

 

アレルギーと身体虚弱

バンザイ!

かもね

 

どうせ終わる

どうせ死ぬ

どうせ忘れられる

どうせ人数多すぎ

どうせ足のひっぱりあい

どうせ低レベルの攻撃しあい

どうせ資金と派閥の大きいほう勝ち

 

でも

3100円の黄色い古本で

笹沢佐保

 

じゃあ

ぼくは余生を

川上宗薫

いくかね


川端康成が愛読していた川上宗薫

かならず「取材」をして

ポルノを書き

女性たちとの交渉を「仕入れ」

女性器を「構造」と読んでいた川上宗薫

小柄ながら

性豪

床上手

川上宗薫

『笑っていいとも!』で

「尻の穴のふちどりにもいろいろあって」と語り出し

タモリを慌てさせた川上宗薫

 

原爆で家族を喪ったのに

「ああいうことを売りものにしたくないんだ」と

原爆は書かなかった

川上宗薫




私ハ、ヤハリ、モウ、亡霊ニ、ナッテ、イル、ノカ……



20113月の東日本大震災が起こった後

Twitterで一般の人々が上げてくるリアルタイムの現場情報に惹かれた

個々の情報の真偽はもちろん問題となっても

情報は本来玉石混淆のまま多量に採らないと意味がない

そこではじめてtwitterfacebookの情報を毎日多量に見ようと考えた

twitterfacebookに登録して東北からの被曝情報を集め始めた

少し先から始まってその頃進行中だったアラブの春“で

twitterが大きな役割を演じているのを見ていたのも理由となった

 

PCiPadで見ればよかったが外出先でも見られるようにしたかった

外出時にも余震は頻繁に起こっていたので

どこでなにに見舞われるかわからない状況だったのだ

旧来の携帯電話を維持したままでよいと判断していたので

iPhoneは買わずにLTEの利用できないiPodを買って

Wi-Fiの使えるMacDonaldやコンビニで必要に応じて見られるようにした

 

iPodは価格コムで安売りの店を探して買ったが

本郷三丁目のあたりに集まっている電化製品問屋まで出向いた

南北線の王子神谷駅近くに住んでいた頃だったので

メトロ+徒歩で東大前駅までは家から20分ほどで行けるため

よく東大構内を散歩したり三四郎池で佇んだりしていたが

iPodを買う際にも東大前で下りて本郷三丁目まで歩いて行った

買ってからさっそく本郷三丁目交差点のMacDonaldに入っ

コーヒーだけ買って2階に上がってiPodの設定を始めた

自宅でなく外でtwitterのタイムラインが見られるのにはやはり驚きがあり

これからは自分の行動様式も変わっていくのだと実感した

当時はメールアドレスを30個以上作ってあったので

それらのうち20個ほどを使ってtwitterのアカウントをたくさん作った

もともと発信に重きを置かず情報収集のみが目的だったので

すべてのアカウントを使いこなすわけではなかったが

それでもひとつのアカウントでは左翼的なものを集め

他のアカウントでは右翼的なものを集め

正確な情報を発信しようとする生真面目な発信者を集めたり

その逆にホラを飛ばす傾向の強い発信者をあえて集めたりした

飲食店情報ばかり集めたり旅行用の情報ばかりを集めたり

海外の新聞や雑誌などのメデイアばかりを集めるアカウントも作っ

オカルト情報や神秘主義系の情報集積アカウントも作れば

文化的な気骨のある情報発信者たちを集めたものもある

 

twitter2011年とはずいぶん雰囲気が変わり

現在ではよけいに情報発信はしないほうがいい時代に入っている

しないほうがいいというより発信になんの意義もない時代に入った

個別化が進んだかのようで実際は群れ化が激しく力を得て

どのような領域でも羊の群れのように動く人類となっている

政治や社会情勢にまつわるツイートの数は昔と比べて格段に増えた

軽薄な反応をそのまま短文にしようとするものばかりになり

どのような傾向のものであれちょっと気のきいた一発芸でしかない

もちろん世相や人々の思いの風潮は如実に反映しているので

現代を観察する者や社会学の一部の研究には適した素材ではあろう

昔なら噂話や井戸端会議や日記で消費されていた話題が言語化されるので

伝播力も破壊力も空しさも倍加されてはいるものの

もともと人間の心理とそれが内心で言葉になっていく場面というの

このようなものでナタリー・サロートなどはそこをよく掬っていたから

今さらながらに驚いたり嘆いたりするのも愚かでしかない

 

それにしてもtwitter程度の短さの文というのは効力があるもので

情報量にも分析力にも思考力にも整理力にも限界のある一般人が

やけにもっともらしいことを述べてみせるにはちょうどよいひとり舞台である

これがたとえば最低2000字だの10000字だのを基準として

それより字数が少なければアップできないようなシステムにすれば

個々の発信者の思考力や表現力や文章力の低さはたちまち露呈されるはずで

インターネットの世界では一気に発信者の自然淘汰が進むことになろう

 

2011年の3月に買ったiPodはもう壊れてしまっているが

あの軽さと薄さと機能性の素晴らしさをはじめて手にした時の驚き

後続の機器をいくつも手にした後の現在でもまったく薄れることはないし

もう使えずに不要だというのにまだ机の引出しにしまってある

その頃にiPodに入れた音楽もそのまま残してあるし

2011年から数年の間に撮った写真も動画もまだ中には残ってい

それらのデーターはすでに取り出してあるが

iPodで撮った重要性のまったくないおりおりの巷の写真や動画

時々PC上で見直すと今の2020年にも増して現代や現実を感じさせる

そう感じる時、私ハ、ヤハリ、モウ、亡霊ニ、ナッテ、イル、ノカ……、と思う





2020年9月26日土曜日

ちょっとお手洗いに……

 

 

フェーリクス・クルルはこう言っている

 

「私には特別、旅行欲というものがないのです。パリに住む者が何で世界に出て行く必要があるでしょう? 世界がパリに来るのですから。世界がここのホテルにやって来ます。そして劇場が閉まる頃にカフェ・ドゥ・マドリッドのテラスに座っていたら、世界は居ながらにして手の届くところに、目の前にあるのです。それがどんなものか、侯爵に申し上げるまでもないことです」*

 

同じことを言いたくなってしまう

なるべく

言わないが

 

時には

必死に言わないようにするが

 

瞬間移動ができるなら

旅もいい

だが

それができないなら

やってみたい旅と

現実の旅とは

まるで別物

 

プラスチックの椅子に座り

プラスチックのぐらぐらのテーブルに

プラスチックトレーを置いて

紙コップに入れられたうまくないコーヒーを喉に流し

プラスチックのフォークでつまむ

くにゃくにゃの成型肉のかたまりを見ながら

こんなもののために

旅の幻影を受け入れてしまったのか

思った

なんども

もう

十分すぎるほど

 

旅はとうに終わらせている

未来永劫終わらせている

 

まだまだ

何十回も新幹線に乗り

TGVに乗り

飛行機に乗り

巨船に乗るとしても

ちょっとお手洗いに……

呼ぶことに決めている

旅の

たぐいは

 

さらに度の増すばかりの

大衆時代

なんでもかんでものコンビニ化時代

チープ素材の大量生産時代

旅など

そう呼ばれるのがふさわしい

 

ちょっとお手洗いに……

 

そこまでの

そこからの

行き来の廊下が

どんなに長かろうが

 

ちょっとお手洗いに……

 

 

 

*トーマス・マン「詐欺師フェーリクス・クルルの告白」(岸美光訳、光文社古典解釈文庫、2011)、下巻p115-p116.

[Thomas MannBekenntnisse des Hochstaplers Felix Krull, 1954]





二度と戻って来なかったわたしたちだけのお話


 

大学生活も終わりに近い頃の

ある日

晩秋だったか

初冬というべき頃だったか

 

一日じゅう雲に覆われていた暗い暗い日で

本当に暗い暗い日で

昼の休み時間に学食やレストランに向かうにも

食事を終えて学食やレストランの出口から

みなそれぞれ

どこかの教室へ足早に向かうにも

やはり暗いままで

 

―なんだか不思議な暗さの日だね

―冥界というのはこんなふうだというよ

―まるで魂の太陽の昇らない長い待機の時みたいだね

―デューラーが「メランコリア」に描いたような…かい?

 

などと

よく話す連中としゃべりながら

三限には受けるべき授業がなかった私は

一時間半ほどをどう潰そうかなと思いながら

とりあえず学生ラウンジに行って

読みかけの本を少し読もうかと思ったりしていた

 

その時に結局学生ラウンジに行かなかったのは

ラウンジに向かう径でひとつの小さな邂逅を遂げたから

向こうからゆっくり歩いて来る見知らぬ人と目が合って

すれ違って行き過ぎさえせずにたがいに向かいあって立ち止まり

 

―あゝ……

―あゝ……

 

と似たような声を洩らし

会うべき人に会うべき時に会ったとたがいにわかり

無言のまゝ

名も名乗らず

笑みも浮かべず

どこへ行こうかとも決めずに

そのままキャンパスから連れ立って出て行った

永遠に

 

ブックバンドでまとめた大判の数冊を

その人は胸に抱き締めるようにしていたので

―そんなに大事な本?

と聞いたのが

始めてかけた言葉だった

―ええ、たぶん、あなたにとって

と返してきたのが

始めて聞いたその人の声だった

 

この時のことも

この人のことも

その後に会い続けた大事な人たちの誰ひとりにも

まったく

話したことはなかった

隠そうとしていたわけではなかったけれど

誰も聞かなかったし

話す機会もまったくなかった

人生の海岸線のうちの

小さな小さな隠れた湾のような出来事で

他の湾にむかってや

ましてや沖合いにむかっては

示しようも

語りようもない

小さな小さな場所の

透明すぎるお話

 

しかも永遠に

連れ立って出て行ったきりの

わたしたちの

お話

 

二度と戻って来なかった

わたしたちだけの

お話




到来

 

もう

「私」などという語を中心になにごとか物語ろうということに

飽いた

人々が、一日中続く曇天の下で

肉体を動かしたり

さほど動かさなかったり

した

一日

 

陽のまったく射さない薄暗さに

負けないほどの

もまだ草木は帯びず

 

人々によっても

ひょっとしたら物たちによっても

想い描かれ待たれている

鮮やかな色とりどりの盛りの

到来

 

ならば万象による夢の中にいた「私」だった

道理で色鮮やかな心の瞬間ばかり続く「私」だった





2020年9月22日火曜日

再三にわたって読み直すことだけが

 


ジュネは、「過去回想主義者」という野蛮な名で

今日呼ばれる精神の一族と縁続きである。

                 ジャン=ポール・サルトル『聖ジュネ』

 

 



人生

どう生きるべきか

 

なんて

考えない

 

もう

生きたから

 

そうして

めちゃくちゃで

統御など全くできなかった

あの「生きた」時空が

あまりに豊かな現象でいっぱいだったのを

いまは

知っている

 

もう

生きたから

あの「生きた」時空が

なんだったのか

再三にわたって読み直すことだけが

これから

すべきこと