2010年9月30日木曜日

浜のほうへと ぼくらも

浜辺には
もう
なにも寄せてこなくなった
くりかえし
波ばかりは寄せるが
宝とは
感じられない

遠くに
船も見えない日
それでも
水平線に目をこらし
ぼくらはなにを待ったのだろう
うつくしい貝がらの
ひとつ
ふたつ
握りしめて
砂だけはしっかり
足あとをとどめてくれるかと
あさく信じて

風はかわりつづけ
ときには止み
日はめぐる
らせんのかたちの
大きな装置のように
わずかな違いを
ひそやかに
あからさまに
刻みながら
そうして
捨てられていく
ぼくら
なによりも
ぼくら自身の舟
とりかえしのつかぬ
この肉体によって
ここに湧く
こころの霧の
うつろいによっても

ひとつの波の
ようでもあったぼくらか
平らだった水面が
もりあがり
さらにもりあがり
極まったと見るまに
くずれ出して
ふたたび平らになっていく
天のみえない爪に
抉りとられるように
ふかくおそろしい底が
口をあけさえする

どうして波に生まれ
どうして消えていくのか
寄せつづけるこれら
ひとつひとつの波は知らず
ぼくらも知らない
くずれて
くずれきって
レース織りのように浜に寄せ
ぷつぷつと泡だって
失せる
くりかえし寄せる
繊細なこれら
やさしい
やわらかな死を
数かぎりなく迎えながら
うつくしい貝がらの
ひとつ
ふたつ
握りしめて
砂だけはしっかり
足あとをとどめてくれるかと
あさく信じて

ひとり
ひとり
くずれのほうへ
繊細な
やさしい
やわらかな
レース織りのように
寄せていく
ぼくら
浜のほうへと
ぼくらも
  
(『ぽ』305号・2008年8月)

東からの風

東からの風がつよいね
寝室の
南の窓を開けはなったら
そこからも風
暑かったきのうまでが
うそみたいな日
ひどく蒸していたのに
昨晩の激しい夕立が
ぜんぶ拭きさらっていったみたいだ

こんなすてきな日には
なにも考えないのがいい
あれこれ迷うのも
仔細に検討するのも
たいして意味はないものだと
もうわかっているのだし

冷やしておいた水を
そのまま飲むのが
こういう日にはうれしい
コップを持ちながら
人間っていうのは
どこかの方角を
向かなければいけない
どちらを向いても
きょうはすてきな空がある
うすくむらさきがかった
あこがれのような雲
ほら
あそこにも
そこにも

こんな空の日
人間であるのは
そうわるくない
東からの風が
やっぱりつよいね
そろそろ暮れ方
あこがれのような雲は
どんどん色を増し
大空全体に
あこがれが広がる
水の入ったコップも
ぼくらのこころも
それを逐一写しとるだろう
そうして
いつものように
忘れていく
なにも保たない
コップは空になり
こころもからっぽになり
あしたには
またあしたの
あこがれを
受けとめるだろう

(『ぽ』304号・2008年7月)

2010年9月19日日曜日

雨がすこし降ったので雨の後とともに時間のなかにいる

雨がすこし降ったので雨の後とともに時間のなかにいる
汗ばんでいる、すこし

必要もないのに歩きに出る
なんという草だろう、みどり鮮やかな美しい雑草の群れを見上げる
エノコログサもまだ若々しいみどり
風が吹くと揺れる
若々しい雑草はうつくしく揺れる
この草たちの明るいみどり
これが希望
これを超える希望はない 
希望
みどり

ああ若い女の子が腿を桃のように晒してぴちぴち行く
腿の肌も顔の肌も腕の肌もすべらり
若い希望のひかり
みどり

わたしはもっと老いてアスファルトの上
雨がすこし降った後のアスファルトの上
雨がすこし降った後のアスファルト
うつくしい
不思議な地球の岩石の一種に出会うようだ、よくよく見つめる
女の子はもっとわかくアスファルトの上
雨がすこし降った後のアスファルトの上
雨がすこし降った後のアスファルト
うつくしい
女の子
うつくしい

みどり鮮やかなうつくしい雑草の群れが陽に透ける
女の子も陽に透けて女の子になっているのだろう
わたしも陽に透けてわたしになっているのだろう
アスファルトも陽に透けてアスファルト
雨の後も陽に透けて雨の後

汗ばんでいる、すこし
雨がすこし降ったので雨の後とともに時間のなかにいる
時間とともに
雨がすこし降った後のなかにいる

ああ若い女の子
行く
腿を桃のように晒して
ぴちぴち
腿の肌も顔の肌も腕の肌も
すべらり
若い希望のひかり
みどり

行く
時間とともに
雨の後とともに
時間のなか
雨がすこし降ったので
行く

雨がすこし降った

雨の後とともに時間のなかにいる

2010年9月10日金曜日

なんだ猫だったのか

ずっと見ていると
その猫は塀の上で犬になったんです
それが三メートル以上もある塀だったので
くぅん
くぅん
ぐずりました
飛び降りるのなんて
猫にとってはなんでもないけど
犬はびびっちゃいます
ばかだね、おまえ
高い塀の上で
犬になっちゃうなんて
得策じゃないというものだよ

見続けていると
その犬は塀の上で猫になったんです

ひょいと飛び降りて






犬を見ると
猫だった犬じゃないか、こいつ?
思うようになったのは
それ以来

でも
猫を見ると
もともと
なんだった猫なのか
わかんなくなっちゃいますね
やっぱり

2010年9月5日日曜日

ほつほつ

猛々しかった夏
なのに
いつか大人になっていたね
照りつけようも
すっかり
やさしくなって
万物のよわさ
こわれやすさを知る
おおらかな
暑さ

みどり

水のひろがり
花から花へ
つらなっていく
のこりの夏の
さまよ

目を持ち
耳をひらき
肌のすべてで受ける
色あざやかな
この世

挨拶ばかりを
送る
ほかはない
充溢

わたくしは
また
ことばを
思いを
ほつほつ
ほつほつ
散らしながら
いくよ

もう少し
すこしだけ
あのほう
むこうのほう
まで


(ぽ392号・2010年8月)

2010年9月2日木曜日

若い水のように

見た夢には音がなかった
噴水の先
水玉はたえず入れかわり
並木の葉々は揺れ
ときおり鳥たちの影が
青空をよこぎる
雲は大きく動き続け
若い水のように
ふるえる大気

人かげはなく
ある日しあわせだった
世界の横顔のよう
くったくなく光は躍る
影はくつろぐ
なにか起こる気配もなく
重大なことの後の
くつろぎでもなかった

どこにいたのだろう
夢のなかで
揺れる木々の下か
陽のあたるベンチか
噴水の水玉の
なかから外を見てもいた
鳥たちの軌跡を
上から追ってもいた
そこかしこ
どこにもいた

過去ということ
いまということ
見た夢には
音がなかった
いますか、私を知っているひと
来るだろうか
声なら
ある日しあわせだった
世界の横顔のよう
夢からの声
若い水のように


◆「ぽ」296号(2008年7月)