人類に属していたかどうか
あやしいワタシ
そぼ降る雨の風情は
一国の政府の浮沈より大事に見え
たまにはみつ豆でも食べたいなァと
ふらふら
日暮里あたりで降りたくなる
降りないんだけどね
キレイになっちまった駅舎に
せっつかれるようで
落ちつかねえよ
新聞もテレビも
見なくなったねえ
イヤなに
見るんだが
新聞のことは新聞ガミ自体に
テレビのことは受像機自体に
まかせ切っちゃって
ボーッとしている
考えてみりゃあ
文字も声も映像も
物質として物質の脳を
物質的に刺激するだけのことで
物質主義も極まれりってなもんだろ
精神ってのは物質だったんだゼ
どうりで心の枯れた
連中が大学には溢れていたりする
社会主義者の粗悪な背広や
地味な色柄シャツ好みは
エイリアンには旨そうに
見えないわけよ
人間、文学ヲ識ルガ憂患ノハジマリ
と蘇東坡さん
兎角に人の世は住みにくい
と漱石さん
とうの昔
人を見て人を見ずノ法を
編みだしちゃったワタシとしちゃあ
お二人どちらも
まだお若かったのネ
てなもんだが
まぁワタシの内なる
人間ドモが一番うるさいのは確か
生きるってのは
自分の中のたくさんの他者と
どう渡りをつけてくかってことだが
こいつはなるほど
憂患どころじゃない
秋雨
霜雨
心を寂しめ
無常はなんだかよく透けた
カクテルのよう
エイリアンには好物の
すずしい鈴の
たくさん鳴りわたる荒野のよう
書き添えておこうか
わが友シュタイナー君が言っておったよ
「地球の生命のいとなみは、
夏には眠っています。
夏になると、
地球は本当に睡眠状態に入り、
地球の広大な意識は退きます。
地球の霊は、春とともに眠りに入り、
秋、初霜が降りるとき、
目覚めます…」*
なんと多くの思い込み
思い過ごし
見落としで
まだまだ
われらが地球体験が
捏造されておるか
ということさナ
*ルドルフ・シュタイナー「エーテル体をどう感じとるか」(ベルリン一九一五年四月二〇日講演。高橋巌訳。春秋社版『シュタイナー 死について』所収)