2014年4月27日日曜日

いまの頃あい




あちこちの家の庭で
牡丹が大きく咲いていて…

そんなふうに話しかけると

ああ牡丹が…
でもハナミズキがほうぼうできれいで…

そんなふうに返ってくる
かと思えば

もうサツキもいっぱいだし
ツツキもだいぶ咲き出していて…

と数人が
職場でも集まってくる
はつ夏の
いちばんうるわしい
いまの頃あい




2014年4月26日土曜日

ほんとうの奇跡



やや遅く起きたその日
どうしたことか
いま目に見えている景こそが
そのなかにいることこそが
ほんとうの奇跡だと
わかるようになっていた

見えていること
触れられること
聞こえていること
風が肌に触れ
ひかりの重さを
手の甲に
腕に受け止めること

これこそが奇跡で
るるるると
奇跡に次ぐ奇跡のなかを
ずっと渡ってきたと
わかるようになっていた

以来
この奇跡の
あらわれの仕組みばかりを
思い続けるようになった
ほかの問題は消えた
この世のことは
そもそも問題でないと
わかるようになっていた





2014年4月25日金曜日

あゝほんとうにいつのまにかすっかりじぶんはいなくなっていて



風のそよぎ
こまかく
翻りひるがえり
動きつづける葉々
八重桜はまだ逞しく花弁を保ち
初夏の到来を支えている
向こうの屋根の瓦のひとつひとつに
海のおもてのようにひかりは輝き
止めてある車のボディーにも
かたちさまざまに
たくさんの小さな太陽たち

羨ましがられもしない景のなかで
これだけゆたかな
初夏のよろこび
ほかにはなにもいらない
自分さえ
と思いながら
足もとを見ると
踏まれてもいないタンポポの
黄の花ばなの群生

あゝほんとうに
いつのまにか
すっかりじぶんはいなくなっていて
だから
これほどしあわせなのだと
留まるのも
移動するのも
自在の
全方位の
五感六感として

風にそよぎ
こまかく
翻りひるがえり
動きつづけ
屋根の瓦のひとつひとつに
海のおもてのように輝き
止めてある車のボディーにも
かたちさまざまに
たくさんの小さな太陽となるひかり
かつて自分と呼び慣わしていた
全方位の
五感六感




2014年4月20日日曜日

きみどりの歌



まだ虫たちも
出揃ってはいないから
きみどりの歌を
かれらに期待もできない
草木たちはもう
ずいぶんみどりみどりしたが
ずずずんと
みどりみどりするには
まだまだ
いまひとつ

こんな季節のすきまに
こころの風邪を
ひきがちになってしまうから
しまいかけたマフラーの
軽めのやつをかけて
ポケットにはしっかり
いたずら道具を捻じ込んで
草っぱらや
泥んこ原のほうへと
出かけていくのだ





てんてんてん ハナミズキ



暖かくなってきていた日々が
また寒くなって
人もまばらな宵の街路に
てん
てん
てん
立つハナミズキは
軽いかるい
天の花木のよう

大げさなところのない
この花木の
ふしぎなさまよ

てん
てん
てん

どこからとも
どこまでも
ものの区別のないように

てん
てん
てん

立つハナミズキの
軽さ
ふしぎさ





2014年4月18日金曜日

刃のまま立ち続けて動いている



幼少時を懐かしまない幼少時が
容易に共有され
ほほえましい怒号

おお狂乱、感傷

家庭内の日々も老いて
その老いにメンバーは追いつけず
部分はいっぱいでも
全体にはならず
すさみの恵み
たわわに実る柑橘類

契約直前
放棄した一軒家(深沢)に
住んでいたらまだ生きて
いられた?
闘病は楽だった?

…(感傷)、わたしの
…(寛容に生れつくと

(慈しめというのか

ひとより忍耐にまさると
多くを耐え忍ばされる
黙ってやさしげにしていると
めんどうでない奴と見ラレルノカ?
ドイツモコイツモ
価値観や自我を押しつけてくる

(耐え忍べというのか

さいごになにが起こるか
たわわな柑橘類
すべて
見とおすことはできない
黙って
やさしげにしている者にも

ソノ者たちみなの
ヒストリー、価値観に
興味がなかった
と思いながら
報復の刃になり続けてきた
全身全霊で

刃のまま
立ち続けて動いている








2014年4月17日木曜日

関係があるだろうか



私に私の生死が関係あるだろうか
私に人の生死が関係あるだろうか

私の意思にかまわず
勝手に起承転結していく生死が





2014年4月15日火曜日

アネモネ、航海の結社には入らないから



      何も変えるな。すべてを変えるために。
                  ロベール・ブレッソン




公開の結社には入らない

ネットでは
嘘ばかり流す(((ひそやかな
            (((た、た、か、い、、、、、、

アネモネを
姉もね、
好きだったから
亜ネモ船長から
電信させるから

公という汚泥、純黒の(軀ももうナイというのに下着
          (ばかりに、マァ、気ヲ使ッチャッテ…

公だから、言語も、ずどずどに使う、使ッテヤル、ずどずどに、
公だから、公だ
から、モ船、信さん、姉もね、た、た、た、た、  た、

ほんとうに従わないことはできる
まつろわぬものマツロワヌモノまつろわぬものマツロワニモノ本物
まつろわぬもののおそろしさをこのくには知るまいよまだ

わたしはきた A
わたしはきた  I 
わたしはきた   C

このくにをほんとうにひっくりかえすために

わたしはきた     A
わたしはきた      I
わたしはきた       C

このくにをほんとうにひっくりかえすために

わたしはきた         A
わたしはきた          I
わたしはきた           C

ころしたろおまえ みていた ころしたろ おまえ わたし みていた
なみで でんぱで あらゆるかめらで 

ながいながいながいかんちょうせいかつ
ながいながいながいちょうほうかつどう
もちろんこれもあんごうひょうだからね
まるでしやおふざけのかきつけのように

わたしはきたわたしはきた みどりのこーひー そして
るしへるのおへやの あの おくの あーそこ あーそこ ちいさな
ひきだし あのなかに 

わが辞書に公開はない 後悔も

もっとも危ういものが東京にある
腐りかけた多量の魚 抜かれた血がふつふつと明日の
ダンスを準備中 レタスを散らして あとは免疫学
太陽など 裸では使いようもない言葉 だから装わせる 金箔や
培養した薄い細胞膜で 太陽 太陽 太陽

蛭のような姿にぼくらはなって
こんなにも見咎められない臭い細い細い液の流れ
るるるるるるるるると
国道一号線好き
マッカーサーロードなど儚い航海
芒の皇居前
首狩り族のいない
新宿御苑
蛭のような
風俗街の下水道の天井からたましいを滴らせて
属国音頭で今夏ははしゃぐバシャバシャと
娑婆の車馬
シャバダバダ

まだ言い足りないもちろんもちろん言い足りないもちろんもちろん
しかし、もう、(この言語連鎖の)秋だ!
ふいに終わる!
ここで!

アネモネ、
航海の結社には入らない
から







2014年4月13日日曜日

読まない


ネガティヴなことを言うな
思うなと
はげしく言い続けている人たちもいる
だいたいはセミナーとか
ビジネス書とか精神論で儲けようという輩
笑っていれば放射能も避けてくれる
そう言っていた御用学者もどき

いっぽう
ネガティヴへネガティヴへと
突き進むブロガーや雑誌や書籍の発信者たちもいる
なんでもかんでも
一から十まで悪くなっていく一方で
じつはあれも商売の一環
ネガティヴすなわちマジメな言論だと思いたがるような
オールドファッションド読者の取り込みに必死

どっちの方向で儲けようともしていないので
どっちもまじめに読まないのだが
ささっとスクロールできるタブレット画面というのは
そういうとき
ホントに便利ですナ
本やパソコンだったら
せっかく開いたんだからと
なんとなく読んじゃうだろうが
タブレットやスマホは
読まないためには
ホント便利

とにかくなんでも
読まない
読まない
読まない
   読まない





なまぐさいケチな


   
桜が咲いたりすれば
崩壊にも
まだちょっと間があるだろうと
心をホウッさせ
浮ついたまなざしを
やはり平気でしてしまえる人間たちの
なまぐさい
ケチな群れでしかない
にっぽん





とても悪いものが



とても悪いものが近づいている
もう心と思いの土壌はできているからそれに呼ばれて
とても悪いものが近づいている
いま成人していない子らも
血を地に注ぐために生贄としてのみ生れてきている
これから時期悪しく生れる子らも
肉を大地の肥やしにするためにのみ生れてきている
人間をなにか特別な敬われるべきものであるかのように
他の生物たち無生物たちが思っていつまでも黙っているとでも思うのか
誤り続けた者たちの連鎖の裔の若者たちの手足はもがれ内臓は噴き出て
大地と海を聖別するため新たにするために使われる
まだ正気を保っているかのような人びとの精神からも
少しずつネジや歯車が引き抜かれ
人間の生や社会を深く激しく蝕むよう後戻りできぬかたちで働いていく
近づいてきている悪いものは
一度や二度の大爆発のように目を引くものではなく
疫病のようにじわじわとゆっくり人間たちの体内に体外に広がる
それはどのように現われるか
それはどのように現われるか
無関心として
見て見ぬふりとして
心の視界狭窄として
いっそうの感情の抑制として
ほうぼうで弱ったものがただ萎れていく静けさとして
時分の勢いの側に動物的に身を擦り寄せる大勢の者たちの臭いとし
健康と自負していた者のからだに染み込む透明の甘苦い汁のようなものとして
いまの時代に生きているものが誰も堪えぬいていけないほどの
想像を絶した長さの心と神経の汚泥の時代のひたひたと寄せるさざ波として

持たざるものが持つものを容赦なく消滅されることからしか
既にあるものの情け無用の排除からしか
もはや風穴は開きようもなく
それだけがとても悪いものをもっと悪くないものに
かろうじて変え得る
さもなければ
とても悪いものが近づいてくる
もう心と思いの土壌はできているからそれに呼ばれて
とても悪いものが近づいてくる





何百光年も


 
おもしろくない人がいるわけではない

おもしろくなんかないのだ
人間なんて
だれもかも

ああしたり
こう言ったりすれば
おもしろいかのように
むりをしている
むりをしていく

この先
何年も何十年も
何百年も

ひょっとしたら
何百光年も




2014年4月10日木曜日

しっかりしたばかとして



ばかとして
しっかりしたばかとして
生きるべき場所
この世は

しっかりしたばかは
すぐに答えを出したりしない
この世では

ことばにも
もっと
詰まろう

目を開いたまま
ひかりも
闇も
温度も
移ろって行かせよう

もっと
もっと





こんな小さなことからも




写真家になる気もないから
ぼくはずいぶん気軽に写真を撮ることができる

こんな小さなことからも
ずいぶん大きなことを学ぶものだ

気軽に生きていくためには
生きる気もないような姿勢が大事だということなども








2014年4月9日水曜日

自分のこころの底の音を聞こうとして目をつぶって



他人のことをべらべらしゃべる人たちがきらいだが
自分のことをべらべらしゃべる人たちもきらいだよ

自分のこころの底の音を聞こうとして目をつぶって
しずかにしている人の顔などはそれでもうつくしい

離れて打たれている杭のようにそんな人たちだけが
静まっているこころの砂浜になら居続けてもいいよ






2014年4月7日月曜日

駆け出し直す必要



ことばの先にはこころがある
などと
言ったり思ったりする人は多いようだけれど
こころの先には
じゃあ、なにがある?
なにがある?

この問いに答えられないとすれば
この地点で
きみは死んでいくのさ
きみの今生はここまで

だから
焦りに焦って
駆け出し直す必要が
やっぱり
あるってものさ






2014年4月6日日曜日

奇跡らしさ



いま生きていることが
ほんとうに奇跡だとはよくわかっている

それだけでいいのに
こんな奇跡についてさえ
よりよい使い方はと
けちなことを考えてしまうものだから

失われてしまう
奇跡らしさ





2014年4月5日土曜日

たったこれだけのことを毎日するだけで



たまたまこの国に生まれあわせて
いちいち気に喰わないことばかりだが
ではよその国がいいのかといえば
やはり恐ろしいことや気味の悪いことだらけ

いいんだ、もう
ぼくはここで死んでいくから
ちからのないひとつの体に宿った身としては
そんなに悪かったわけでもない
爆弾も落ちてこなかったし
槍や剣で追われたりもしなかったし
歴史をふり返れば
こんなに平穏だった地域など稀なうち
前世のどこかでは首を切られたり
体を吹き飛ばされたり
拷問されているうちに死んだり
いろいろなことがあったに違いない
まあ不平ばかり言わないってことだ
みんな平等とか
まごころの世の中とか
そんなことの実現には立ち会えなかったが
上っ面だけでも善い人間のふりをする人たちの世っていうのも
これはこれで貴重なことだった

まわりのあの国やら
この国やら
どうも不穏な動きをしているように見えるが
ここから見るからそう映るだけかもしれないし
ここはここでものの見方を誘導されているし
本当のところはわからないぞ
実地に行ってみて
本当にいろんな人に会ってみないとわからないぞ
そう踏み止まる理性だけは保っておきたい

少しずつでもまわりの国々や
遠い国々のことばを十幾つも学び続けていて
遅々として進まないし
一向に身につかないものの
ことばを学ぼうとするだけで
おもしろいのは
それらの国々に心のドアが開くということ
悪く思ったり訝ったりする気持ちが失せて
国々の本当のすがたを見ようという気持ちが
つよく心の奥に根を張りはじめる

どこにもひどい人たちはいるが
どこにもひどい人たちだけいるはずはない
そんな当たり前のことを
一日たった数フレーズを口慣らししたり
ペンを片手に数語の綴りの練習をしたりするだけで
深いところからぼくは思い出す

ずいぶんお得なことじゃないかと
しみじみ思うのだ
たったこれだけのことを毎日するだけで
心のドアを開いたままにしておけるんだから