けっきょく
どこまでいっても
自我と自我が折りあうことなど
ない
それでもぼくは
ずいぶんじぶんを黙らせて
きみらの自我のお話を聞いてきたものだが
もう
ほとほと飽きてしまった
あれはこうすべきだとか
そっちのほうが価値があるとか
いちばん大事なのはどれだとか
ぼくがいちいち
まったく違う思いを抱いていたのなど
気づきもしなかったのだろう
パチンと指をならせば
きみらの世界など消える
ぼくの同意と共感がきみらを支えてきたのに
はじめから
そんなものはなかったのだから
みんな
フリだったのだから
もうやめよう
ぼくは
いよいよ
ますます
参加しなくなる
幻想を抱えて行けると思うなら
行け
きみらといっしょに言ってみた
《ぼくら》なんて
まったくの演技だった
けっきょく
どこまでいっても
自我と自我が折りあうことなど
ない
協働なんてない
同一方向なんて一時的な印象
世界の統一理論はべつのところにある
全然べつの
やり方やあり方を探すしかない
絶望的
というわけではないんだ
だが…
こうして
ぼくが
ここにいるのなど
ほんの短いあいだというのに
みんな
わかっていない
ぼくとは
あなたや
かれや
かのじょや
みんなのこと
こうしているのなど
ほんの短いあいだというのに
みんな
わかっていない
ぼくが
あなたの話に耳を傾けたり
冗談を返したり
眠そうなまなざしを向けたり
忙しそうにしていたり
そんなことは
ほんの短いあいだというのに
みんな
わかっていない
その短いあいだが
明日にはもう
終わってしまうというのに
ほんとうに
文字とは
言葉とは
ふしぎなもの
書けば書けてしまうし
しゃべればしゃべれてしまう
自他の目に見えたり
自他の耳に聞こえたり
自他の脳で理解されたり
わからないと思われたり
ほんとうに
文字とは
言葉とは
ふしぎなもの
そのふしぎのまわりを
時には中を
めぐりめぐって
ふしぎそのものにも
なったりしたようにも
なって
(でも大事なものはこんなところにはないんだ)
いつまでも
どうしたって
ひとりっきりなんだけれど
(そう、大事なものはこんなところにはないんだ)
現代
大事に思わなくなって
もう長い
そこにくっついている人たち
くっついてだけ
生きている人たち
に
耳も
顔もむけなくなって
ちょっと
経つ
晴れたり曇ったりする
空
現代
とは思えない
現代
はそれをじぶんのものと見るみたいだけど
空
あれはどこにも
属さない
ぼくも
属さない
で
いいと感じる
《現代のものは現代に》
と
思いながら
分裂していくものや
剥がれ落ちていくものや
風に飛ばされるように
ヒューと
離れていってしまうものを
取りまとめようとは
しない
ぜんぶ散っていってしまった後に
まだ
《ぼく》なんて
発語するものがあったら
それこそ
《ぼく》だ
それ以外は
《ぼく》じゃないんだろうから
そもそも
どうでもよかったんだ
女として歩いている
身体は男
しかし女として歩いている
夜
いつもながらの河沿いの歩行
速く
速く
できるだけ速く
ジェンダーの問題はない
一切関わりはない
女性を男の身体に感じるのではない
ただ女になっている
今この歩行は女の歩行だと感じる
女として歩いている
足幅は広くしているが
股関節は小刻みにできるだけ速く動かし
足裏はブレずに正確に地面に落ちる
踝の関節は強くしなやかに速度を支え
腰も腹も整ったリズムに乗っている
男の歩行とは違う
女の歩行が起こっている
女として歩いている
身体は男
自分を女と思っていない
女になりたくもない
しかし女として歩いている
今この歩行は女の歩行だと感じる
女の歩行が起こっている
女として歩いている
夜
いつもながらの河沿いの歩行
速く
速く
できるだけ速く
何人も子供たちが
ゆっくり
ゆっくり
自転車で走っていく
にぎやかにしゃべりながら
しゃべくりちらかしながら
話題のひとつが耳に入ってきたが
自転車で道を走るとき
「一列になって走らないと
「罰金五万円なんだぞぉ
といった話
ひとりが大声でくり返すので
他の子が
「へえ
「ほんとかあ
などと言っている
「ほんとだぞぉ
「罰金五万円払われるんだぞぉ
とはじめの子が答えたものだから
「払われるのかぁ?
「払われるのはヘンだぞぉ
みんながわいわい言い出す
はじめの子は言い直そうとして
「払われるんじゃなくて…
「払われされる…じゃなくて
「払われさせられる…じゃなくて
「払わせられる、…かな?
「払わされる…だ!
たまには
必要かもね
日本人の子どもたちにも
にほん語の
会話練習
夕食後にずいぶん眠くなり
ちょっと休むつもりで
寝室に寝ころぶうち
一時間ほども寝てしまった
部屋は閉めていたが
となりの部屋は
明かりがつけっぱなしで
暗いこちら側へ
そのあかりが洩れていた
暗いはずのこちら側が
洩れ入ってくるあかりで
灰色っぽいような
うすみどりっぽいような
ふしぎな色あいになっている
まるで棺の置かれる
石室の中のようなぐあいで
今というこの時が
死んでしまった後でも
おかしくなさそうだと思う
それにしても
灰色っぽいような
うすみどりっぽいような
淡いなかなか優雅な色あい
しばらく見まわしていた
いつまでも見つめていたかった
だいぶ長く見ていたが
むこうの部屋のあかりも
つけっぱなしなのだし
そろそろ起きないといけないな
そろそろ生き返らないと
いけないかなと
淡い優雅な色あいの部屋を
おさらばすることにした
犬はきらいじゃないが
犬を飼っている人は
どうも
ダメ
そんなことで
人を嫌っちゃいけない
とは思う
でも
どうも
ダメ
生理的に受けつけない
というのとは違うが
どうも
ダメ
空気的に受けつけない
気として受けつけない
なんだろうね
これ
努力はずいぶんしてきたし
だいたい
ひどい人種差別
しちゃいけないって
わかっているんだけど
ダメ
なんだろうね
これ
犬を飼った雰囲気が
その人にあるというだけで
ダメ
あゝ犬好きなんだなぁ
と感じたら
もう
ほんとうにダメ
その人をきらいにはならないし
その人の価値を認めないとか
存在を認めないとか
そんな
トンデモないこと
いたしませんが
ダメ
知らずに遠巻きにし
その人の話は右から左に抜かし
その人に関わる情報は
一瞬で識別してすっ飛ばすか
見えないように隠すか
してしまう
なんだろうね
これ
ネコは大丈夫で
むしろ
こちらのアンテナが
ぴんぴんと
立ちはじめる
ネコ派ではないつもりだけど
ネコびいきは
あまりにはっきりしていて
KKKならぬ
NyaNyaNyaのセクトの
会員じゃないのかって
じぶんで思うほど
とはいえ断じて
ネコ派ではないつもりだし
ネコを飼うなんて(さんざんやったので)
考えるだけでも
もう
いやなんだけど
アンテナだけは
ぴんぴん立ちはじめる
犬好きの人でも
なんとかつき合える人の場合
かならず
ネコ好きでもある人で
その人のネコ部分で
つき合っているのだニャァと
よォくわかる
ほんとうに
犬はきらいじゃないし
飼いたいなァと
せつなく見つめ続けた犬も
何匹もいるが
犬を飼っている人は
どうも
ダメ
そんなことで
人を嫌っちゃいけない
とは思う
でも
どうも
ダメ
どうしようもなく
ダメ
忍耐力はあるほうだけれど
便利ではやいものを使う時には
まったく忍耐力がなくなる
だから円がクルクルまわって
ちょっとでも待たせる動画とか
数が多すぎる写真掲載とか
無用に長い記事なんかは
SNS上ではまったく見ない
まったく見なくなった
せっかくの忍耐力を使わされるべき
場所じゃないところで
人をながく待たせるなよ
何枚も写真を載せてくるなよ
800字程度に記事は纏めろよ
と思いながらすぐに閉じる
すぐに他のページに飛ぶ
次々ひらく花ばなに忙しくしながら
けれど
もう
花はいい
もう見なくてもいい
咲かなくてもいい
と心の奥ふかくで思ってもいて
なにも見ない
どこにも行かない
目も開かない
そんな
奥ふかくの思いを
じぶんと
呼ぶようになってきている
この頃
初夏の道を歩いていく
さわやかな白ジャケットの男
外国人だが
どこの人だろう?
金髪で
髭も金髪で
けれど
耳から下がるコードが
暑苦しい
スマホを見ながら
首を折り
背を丸めての
曲選びの格好が
わずらわしい
大きな通りに近づいて
途切れることのない
自動車の騒音
初夏のつよい陽射しの下で
それがむしろ
さわやかに響く
暑苦しい
コード
はずせば?
わずらわしい
曲選びのしぐさ
やめれば?