2020年9月3日木曜日

残虐この上なくネ

   

どれほど体に悪いものを

ごっそりと料理に投げ込んで

たいていの飲食店が客のテーブルに持って行っているか

けっこう調べてきているから

コロナのおかげで飲食業が気息奄々なのは

じつは好ましいことだと思っている

コロナ以前から

飲食店にはほとんど入らない

時にはジャンクフードを食べようと思って

(体にはときおりのショック療法が効果的で

(栄養価が高く穏やかな消化のよいものだけよりも

(たまに悪いものを口や胃に入れてやったほうが

(体が驚いて防衛本能が増すのだ

適当なところに入ってみたりするが

ふつうの飲食店など存在しないに越したことはない

文明から消滅するに越したことはない

 

面倒だから

こと細かくは述べないけれども

現代における旅行業を利用するのも下らないし

電車や飛行機に乗るのも下らないし

そもそも学校教育というのは時間の無駄でしかなくて

たったひとりで本を読み映像を見

たくさんの練習や暗記や分析や統合の自己訓練をすればいいので

どの段階の学校も閉鎖でかまわない

勉強はつねにたったひとりで自分のペースでやるべきものだ

詩歌だってそうで

日本の感傷的な下らない明治以降のあれこれを読まされるより

ランボーやボードレールやロートレアモンをまず暗唱せよ

小説は漱石より先にバロウズやサドを朗読せよ

図書館は必要だと言う人が多いが

そもそも書籍自体がどうしようもなく遅れた情報の束なので

じつは数十冊程度を自分で買って縦横無尽に使い

インターネットを駆使して知識を補えば

図書館など全く必要のない時代に入っている

本は線を引いたり折ったり破いたりしなければいけないが

図書館の本をそうすることはできないので

図書館を称揚する人って馬鹿だと思う

図書館をしっかり使える人はそもそも自分の中に知のベースがある人で

そうなっておくためには

図書館とはべつに自前で買い揃えた数十冊程度の使いこなしが

前提となる

 

だから

コロナ現象はたんなるペテンで

情報弱者と愚かな知力・判断力の者が徹底的に騙されただけの現象だと

春先には結論していたけれど

文化という

より大がかりなペテンを多少突き崩すのには

コロナさまさまだったネ

本当に思っている

 

いい教育だったと思うよ

人類にとっては

 

次は

コロナに騙された愚か者や

煽った者を

殲滅収容所に送る段階に入るべきだ

残虐この上なく




2020年9月1日火曜日

バスタオルの柄や手触りなどが



  

洗った後の髪の毛をぬぐいながら

なぜか

親の家にいた頃の湯上がりのバスタオルを思い出したくなる

時期に応じてバスタオルはいろいろだったから

どれでもいい

どれかひとつでも

柄や手触りを思い出したい

急にそう思う

 

手ぬぐいは風呂の戸のタオル掛けにかけていたが

バスタオルはどこに

どう置いていただろう?

近くにあった洗濯機の上の籠に

たしか

置くことにしていた

湯上がりのからだを拭いて濡れたタオルは

そのまま

籠に戻したのだろうか?

開いて

タオル掛けに引っかけたのではなかったか?

 

だいたいの感触は思い出せるのに

その場で生活していればすぐに浮かぶはずの

そんなひとつひとつが

正確には

思い出せない

夏場には湯上がり後

バスタオルをからだに巻いて

台所に行って冷たい麦茶を飲んだりし

しばらく

扇風機に当たったりしたが

 

どうしても

思い出せない

バスタオルの柄や手触りなどが





個体


じつは

かなり前から

夕方や

朝が

けっこう融通のきかない個体だと

知っている

 

昼のほうが

はるかに可塑的

 

まさか

時間帯や風景が個体だとは

 

気づいた時には

ちょっと

驚いたけれど

まったく

違った生き方ができるよ

気づきさえ

すれば





遇うために

 

自由詩のかたちを使うのは

短いから

 

それだけのこと

 

そうして

なんの説得もしない

ことば並べを

ちょっと

やってみる

 

ちょっと

 

説得だけじゃなくて

なにも描かない

なら

もっとよい

 

むずかしいよ

 

ことばは

すぐに

描いたふりをしちゃう

 

すべては

音も想起させず

文字も脱ぎ捨てた

そんな

ことばたちに

いつか

遇う

ために





かまけないこと

 

 

生きるというのは

なにかにかまけないこと

 

あれやそれにこころを奪われず

あれやそれを感じず

あれやそれを考えず

あれやそれに集中せず

あれやそれを計画したり

遂行しようとしたりしないこと

 

じつは

からだを感じたり

呼吸をしたり

空気や水を感じたりするのも

ダメ

 

まるで

ダメ

 

意識は実存の死だ

とレヴィナスが言うのは正しい

 

意識でさえ死ならば

行為や行動は

死を超えた





まずはサルがヒトにならなきゃ


サル山のボスをサルたちが決めている最中だが

それは

サル山にいるサルたちだけの問題

 

ところが

そこから出てくる結果は

サル山にいないサルたちの明日をも決める

 

ヒトのための装置を

サル界になんぞ導入してしまったものだから

いろいろと誤作動が起こり続ける

 

まずはサルがヒトにならなきゃ話は始まらないんだが

装置には備わっていなかった

そんな集団変身の魔法






うふふ

  

ひととひとの距離が空くのは

よいこと

 

ひととひとがしゃべらないのは

もっと

よいこと

 

そう大きくはなくとも

なにもない空間が

地球上のヒト居留地に生み出され

声もことばもない瞬間が

社会とかいうもののあちこちに

さらに増え

 

思いかえせば

いいことのほうが多かった

 

教室に

ひとり以上のひとがいるのさえ

嫌う

わたしからすれば

ソーシャル・ディスタンシングとかいうのも

好ましいこと

 

うふふ