2016年10月16日日曜日

でも覚えている


    私の上に降る雪は
     いと貞潔でありました
中原中也



わたしの上に降る雪も
かぎりなく
美しい時もあっただろうけれど

…と書き出して
「しかし覚えてはいない」
と続けようとしたが

でも覚えている
かぎりなく
美しい時もあったことを

渋谷で若者らと飲んで
外に出たら大雪
誰も傘など持っておらず

駅まで
わあわあ言いながら
みんな頭に肩に降られていく

スクランブル交差点で
信号待ちしながら
照明やネオンでいっぱいの

ビルの上を見上げると
ひとひらひとひら
光に照らされた雪片がたくさん

後から後から
降り落ちてきて まるで別世界の
宙空の雪の舞い舞台

見知らぬ人たちとも
きれいだねぇ すごいねぇ
などとちょっとはしゃぐようにして

こんな美しい雪のさまを
渋谷のスクランブル交差点で
まったくの場違いのように見ながら

こんな瞬間が台本にあったとは
なんて幸福な人生だったかと
驚きと感謝とに満たされるようだった

だから わたしの上に降る雪も
かぎりなく 美しい時もあった
と書かねばならない 書く他はない 

覚えているから
かぎりなく
美しい時もあったことを




長田武雄氏の涙



あと十年もすれば死ぬだろうから
長田武雄氏は蔵書をすべて手放してしまった
書庫としていた六畳ほどの部屋ふたつと
十六畳ほどの
書庫兼図書室が空っぽになり
最高級ではなくとも頑丈な美しい木板の書棚のすべてが
久しぶりに
空気に触れた

埃を隈なく払い
水で拭き掃除をしてから
長田武雄氏は
何度か
ゆっくり
三つの部屋をまわり
水がすっかり乾いたら
ワックス掛けもしようかと考えながら
ともかくも
これで
よい
すばらしい
なにも入っていない書棚は
美しい
人生でも
何度かしかなかったほど
軽やかな気分になり
開放感を満喫した

長田武雄氏は爾後
空っぽの書庫や図書室に来るのを
以前にも況して好むようになり
明るい日中など
開けた窓から
戸外の緑や空の青を眺めるのを楽しんだ
曇った日や
雨降りの寂しげな日も
窓を開けずとも
外のひかりの移ろいや
窓ガラスの陰影の彩を見るのを
味わい深く思った

本を読むのをやめてしまったわけではない

本を買い集めるのをやめてしまったわけでもない

家の裏の暗い感じの空き地に
離れた小さな図書館を建てさせ
買い集めた本は
今度はそこに収納するようになった
奇異だったのは
壁に書棚を据えることはせず
本は壁に横に重ねて山にしていったことだった
小図書館内には
やはり三つの小部屋が造られていたが
どの部屋の壁も
すぐに本の山で見えなくなった
本の山の手前にはすぐにべつの本の山ができ
四つか五つの山が四方の壁にできた

長田武雄氏は古書店からも旺盛に買ったが
ある日
かつて自分が手放した一冊を
小図書館のいちばん奥の部屋の
壁から五つ目の本の山の上に置いたのに気づいた
ただそれだけのことだったが
「おかえり…」
長田武雄氏は本に言い
家のかつての図書室に赴いて
その本がかつて置かれていた場所の書棚の木板の上に掌を置いた

そうして
長田武雄氏は泣いた
しばらく
涙は
止まらなかった

このことを知っているのは
わたしと
ここまで読んだ
あなただけ

ここまで読んでくれて
ありがとう

あなたに
尽きることないしあわせと
充実と
喜びがあるように



2016年10月9日日曜日

笹焼いて



心の旅に
行っておいでよ

誰にともなく
そんなふうに囁いて
焼いて

ぼくはとうに
旅上

焼いて
小さな団子を
焦がして
みたり

過ぎる
過ぎる
景色の数々
見る
ともなしに
見て
いたり

焼いて
明日はどちらに
行こかしら

囁いて

焼いて



これって犬嫌いなのだろうか


動物は嫌いではないから
犬も嫌いではないが
飼われている犬を見るのも
飼い主たちが「うちの○○ちゃん…」と
話しているのに近寄るのも嫌いなので
ヒトの世の中ではけっきょく
犬が嫌いといくことにマトメられがちになってしまうのだが
やっぱり
ちょっと違うんだな
とは釘をさしておきたい

家の中にいる犬を見るのが嫌いで
広大な領地を勝手気ままに走りまわっている犬が嫌いでなく
首をロープで繋がれて街を歩かされている犬が嫌いで
原野も森も海浜もわがままに走っていっては戻ってくる犬が嫌いではない

これって
犬嫌いなのだろうか

陽の当たらないコンクリートの玄関先で
一日中繋がれてうなだれている他家の犬たちをたくさん見てきたし
もう歳とったから安楽死させて若いのを買うんです
なんていう会話もさんざん聞かされてきたし

これって
犬嫌いなのだろうか

犬の散歩よりも
じぶんの身体という犬の散歩や
精神という犬の散歩に
四苦八苦していて
なかなか安定的に時間も取れなければ
良質の餌を適切に与えるのにも
けっこう苦労していて
本当に手いっぱいなのだが

これって
犬嫌いなのだろうか



大和路行


晩秋から
初冬にかけて
しきりに奈良や明日香の奥地に
そぞろ歩きに出たくなる
そんな病も
どうやら癒えてきて
室生の人家の
庭先の木に生っているのでもない
柿の実を
上野の桜木町界隈で
眺めたりしている

秋から冬に
五回も六回も
明日香に出かけていた頃の
あの渇いた熱情
乾いた衝動は
なんだったのか

当麻寺の
中将姫の気味の悪いほど
生々しい
艶かしい肌の
像を見つめながら
あなたに誘われてきたのかしら
見えない因果に
惹きよせられながら…
などと
ひとりで問い続けていた
あの頃は
あれはなんだったのか

豪華さの
微塵もない小さなホテルや
民宿や
トラック運転手たちの泊る宿場を
転々としながらの
大和路行は
あれはいったい
なにに憑かれての
ものだったのか



尾赤アジの見事なのが二五〇円だったので



ひとりの晩
尾赤アジの見事なのが
二五〇円だったので
買ってきて
じぶんで三枚下ろしにして
刺身にして食べた

骨にはけっこう肉がこびり付いていたので
そのあたりは
内臓とあわせて
焼いて食べた

ふつうのアジより
すこし味のこっくりした
刺身と焼き物になり
旨かったけれど
かなりの量になったな
はやめに夕食にして
よかった

それにしても
頭を落とす時に
ずいぶん血が出て
それも
ヨウシュヤマゴボウの汁のような
赤葡萄酒の深みの血で
俎板もシンクも
ずいぶん血まみれになった
魚の血は脂っぽいので
ただ水で落とすだけでは
ぬるぬる感は落ちない
洗剤をつけて
あちこちを洗わねばならなかった

どれもこれも
切り分けたものを買ってきたのでは
忘れてしまうこと
思い出しさえしないこと
生き物の血は
魚一尾からさえ
こんなに出て
こんなに脂っぽいのだということ

そうして
大皿の刺身を作るのに
皮を剥ぐのにも
小骨を取るのにも
けっこう手間がかかるということ



一切はこれからであり…

  

あなたの死んだ十月三十一日
また来るから
なにかしようかな
なにかしなくちゃいけないかな
思うんだけど
いろいろ考えると
やっぱり
なにもしないでいいんだ
と思う

あれから六年か

外国人だったあなたの葬儀には
百人以上が集まって
いい天気だったし
さびしくなんか
なかったね
お寺のまわりには林がひろがっていて
葬儀の最中にも
お棺の中にみんなで花を入れている時にも
いろいろな鳥がさえずって
まるで森の中のお弔いのようだった

あなたの血縁は
だれひとり
治療手伝いにも
葬儀にも
死後の整理にも来なかったから
すべてぼくがやった
あなたが死んでからの十か月
家財や遺品の整理は
ほんとうに
極限の心理状態を経験し続ける修行のようだった
人は物を残して
整理などやりようもなく
急に衰え
死んでいくものだから
あなたを恨んだりはしなかったけれど
仕事から帰った後の夜や
週末も祝日も返上で
あなたのいないあなたの家に行って
物の整理や移動をし続けたり
家賃を払い続けることで
ぼくは現代の日本というものから
ずいぶん遠いところへ
突き抜けていってしまった

人の死とは
言葉も反応も
すぐには
返って来ないということ
ただそれだけのことで
ただそれだけが確か
それ以外のことは
この先宇宙がどこまで膨張していっても
断言できなさそうだな
あの長い小説のどこかで
プルーストが
「彼は死んだ。
「永遠に死んだのだろうか?
と書いていたが
死が永遠であるはずなど
あるまい
すべてが流転し
変容する
存在と無の宇宙の渦の中では

言葉と反応が
すぐには
返ってこないからといって
なにかが決定的に
終わってしまったと思うほど
もう
ぼくも愚かではない

また
バフチンを思い出しておこう

「世界には未だかつて
「なにひとつ
「決定的なことは起こっていない
「世界についての
「また世界の最後の言葉は
「まだ語られていないし
「世界は開かれたままであり
「自由であり
「一切はこれからであり
「永遠にこれからであろう*



*ドストエフスキー論