2019年11月28日木曜日

このかわいくない社会ではね


  
こどもより
猫のほうがかわいい

冗談では
言っちゃったりするんだけどね

でも
猫にも
かわいいのと
そうでないのとがいて
そうでない猫とつきあうのって
けっこうしんどい

こんなにやさしくしてやっているのに
っていう思いが
やっぱり
沸き起こってくるのね
どこかで
つきあいを切っちゃうしかないかな
って
思ってしまう
だって
そいつに費やせる時間に
どうしたって
限りがあるからね

猫よりかわいくない
人間の子どもにだって
よりかわいい子と
よりかわいくない子がいて
よりかわいい子って
「より」を取って
かわいい子
って
呼んでもいいかな
って
思うほど

自然環境を壊し
ほうぼうで心身の虐殺をし続ける種族の子
なのにね
殲滅しなければならない人間という種族の子
なのにね
いずれは殺さないといけない子
なのにね
byガイア)

よりかわいくいない子って
どこかで
じぶんを抑えすぎていて
くったくない笑顔を他人に向けられないでいる
その子を見る他人って
とにかくくったくない笑顔を向けてほしいものだし
とにかく全開にじぶんのほうにこころを開いてほしいものだから
この子
かわいくないな
わたしのこと好きじゃないんだな
わたしのことどっかで疑ってるんだな
って
思っちゃう

抑えすぎるように育てた親や環境がいけないので
この子のせいじゃないんだろうけれど
他人に笑顔100%を向けられなく育っちゃったら
そういう意味での「かわいさ」なく育っちゃったら
プレゼン優先の反地球の滅ぶべき人間社会では
もう手遅れ
もう終わり
他人から触れられないように生き続けていって
もう手遅れ
もう終わり

この社会ではなね
この滅ぶべき社会ではね
このかわいくない社会ではね




さあ 戦いは続く



Fair is foul, and foul is fair.
William ShakespeareMacbeth


そこでも
あそこでも
じぶん
と思い込んでいるものに
へんに誘導され
縛られ
吸える酸素を減らされ
こころの血流まで止められそうになって
いるんだよね

じぶん
思い込んでいるものに
だまされ続けて
ぜんぜん違う顔を
じぶん
だと思い込まされまで
して

敵こそじぶん
妨げるものこそじぶん
否定してくるものこそじぶん
だった?
ほんとうは?
カフカ君いわく
「じぶんと世界との戦いでは
「いつも
「世界に味方せよ

さあ
戦いは続く
戦いは非戦で和解で調和で友情で愛だった
きれいはきたない
きたないはきれい*
他人の顔こそじぶんの顔
冷酷こそ燃えるような思いやり

感情を思いどおり動かせるようになっているかい?
思いを感情どおり動かせるようになっているかい?
じぶんというぬいぐるみを
ぬいぐるみというじぶんにサッと着替えられるかい?
衰弱がエネルギーの噴火の時で
死は受胎と生まれ変わりの同時発現だよね
知らないなんて言わせない
忘れていただけだよね
思い出させなきゃじぶんがじぶんに
なんでもかんでもじぶんでやるんだよ
こころの修復もたましいの土台からの作り直しも

さあ
戦いは続く
戦いの神はいつも女神で
女神は
きみたちぼくたちのじぶんという蛹の殻が大っきらい


*シェイクスピア「マクベス」




2019年11月24日日曜日

あまり大事にしなかったプランターのニガナ



あまり大事にしなかったヴェランダの端のプランターにも
朝顔の種が春先にこぼれたようで
痩せた土なうえに
まったく手入れもしないものだから
ひょろひょろとした頼りないものでしかないけれど
蔓がけっこうのび出て
夏にも秋にも
小さな花を咲かせていたものだった

10月頃にはだいぶ朝顔は衰えて
たまに遅れ咲きの花を小さく咲かせるばかりだったが
どこから飛んできたものだか
ニガナが数本つぅっと背を伸ばして
黄色い花をつけ始めた

朝顔をちゃんと育てようとする鉢でのことなら
ニガナなどすぐに抜いて捨ててしまうのだが
なにぶん手入れもしない捨て置いてあるプランターなので
朝顔とともにニガナも他の雑草も放っておいたら
過ぎていった夏をみんなで思いやるような
なかなかいい風情がそのプランターには出てきて
特にヒョッと伸びたニガナの姿が佳くって
これからは雑草も好き勝手に放っておくのもいいかもしれないと
再発見し直すとともに
あらためて反省し直したものだった




おなじ東京都内なものだから



遠いむかしが懐かしいというのは
だれにでもあることで
ふつうな感じだが
ぼくなんかは
つい数年前のことがぜんぶ
もう
懐かしくてたまらない

引っ越したといっても
おなじ東京都内なものだから
懐かしい
懐かしい
と思いながら
ちょっと行ってこようと思えば
行けてしまう

時間がちょっとある時なんかに
ちっちゃな覚悟をして
ちょいと行ってみたりする
行ってみると
住んでいた頃とは
なんやかや
いろいろと変化してしまっていて
かつて住んであんなに馴染んだりうんざりもした場所だというのに
もうそこに居てみても
なんやかや
いろいろ変化してしまっているから
懐かしさのど真ん中に浸ってはいられない
懐かしさの淵源は遠くに行ってしまっていて
タイムマシンでもなければ
もう手が届かない

そんなこんななものだから
故郷喪失をまた新たにこころに重ねながら
よく知っている電車に乗って
いまの住まいのほうへと帰ってくる
おなじ東京都内だというのに
もう二度と戻ってこない風景がまた増えたのを痛んで
すっかり失われてしまったものを
記憶のなかでなんども蘇らせようとしながら
おなじ東京都内なものだから
ほんの数十分で
いま住んでいるところに帰り着いて
バッグを置き
部屋着に着替えたりしている




そんなひとり芝居だったら


  
寒くなってくると
子どもの頃のしあわせだった冬を思い出す
…かのよう
だが

もっとよく思い出そうとすると
冬の列車
冬のみかん
冬のお茶
冬のこたつ
冬の野のさびしさ
あれらに
ほかでもない
じぶん自身がいっぱいの興味をそそぎ
いっぱいの楽しみを引き出そうとし
いっぱいの玩具としようとした
そんなところから来ているしあわせだった
と気づいて
なあんだ
ぜんぶ
ひとり芝居だったんだ
とわかるから

まだ
やっていける

演者ひとり
観客もひとり
じぶんへの
そんなひとり芝居だったら
最期の最期まで
続けていける
ぜったい




常陸宮邸沿いに90度の角の坂を下りていく時




六本木通りの渋谷4丁目を日本コカコーラ本社側に折れると
コカコーラ本社のビルと交番のあいだを
左右一車線ずつの坂道を上っていくことになる
上がっていくと常陸宮邸の塀にぶつかり
そこでほぼ90度の角度で右折することになる

ここを通っていくときには
ながいことコカコーラ側の歩道を辿っていくことにしていたが
ある頃から交番側の細い歩道の味わいに気づいた
左には鉄柵があって蔓植物がいっぱい絡みついていて
春先から冬まではそれこそ野趣に富む
交番のすぐ脇のところなど早くから昼顔が蔓を伸ばし
11月のなかばまでは昼顔がいっぱい花を咲かしている

なにより味わい深いのは
常陸宮邸沿いに90度の角の坂を下りていく時で
坂を上ってくる車やバスが速度をグッと落して
日光のいろは坂の小型版にさしかかって面舵いっぱいになって
ぐいぐいぐぐいと注意しながら進んでくるさまに出会う

これがなんともいいのだ
こんなふうにこの坂を下るのはたいてい夕暮れ時なのだが
初夏でも晩秋でも冬に入った時にも
日の長さ短さのいろいろをいろいろと反映して
車やバスがとっても趣ぶかく角を曲がり上がってくる
街中だというのに車もバスも美しくなる
あゝ 車もバスもおもしろいものなんだなあと
子どもの頃のようにずいぶん素直に目を見開き直させてくれる




2019年11月23日土曜日

ダメになった人がダメさのまゝでいるところ


  
「洗骨」*という映画を見て
いいなあ
と思ったのは
人に裏切られて会社が倒産してしまってから
妻や息子に借金返しをやらせながら
じぶんひとり
まったくのダメ男になってしまった男が出ていたこと

奥田瑛二が演じていたのだが
なんか
こういう男をちゃんと出してくる映画は
ひさしぶりで
いいなあ
やっぱりダメ男って
すさまじい物語の渦を観客の心に巻き上がらせるよなあ
昨今ずいぶん型に嵌まって
21世紀型の窒息をし出している物語界を思いながら
顧みるようだった

ダメになった人が
ダメさのまゝでいるところには
かならず
未来がつむじ風を立てる

いまのニッポンのよくないところは
ダメになったと見せてしまわずに
そこそこ大丈夫なように
小ぎれいにプレゼンしてしまう術を
なさけないことに
だれもが身につけてしまっているところだ

あゝ ダメになってしまいました!
わたし
こんなにダメになって
もう もう
さいはてまで来てしまいました!
そう見せて恥じない度量を
みんなが
失ってしまったところだ






たぶんあさっても



自動エレベーターのボタン押す手がふと迷ふ真実ゆきたき階などあらず
富小路禎子


目覚まし時計はときどき
ふいに壊れる
鳴らない朝がなんどかあって
不思議とそういう時には自然と目は覚め
遅れないで出かけていったりしたが
眠り込んでしまっていたらどうしただろう
と考えると不安になって
そのたびにひとつずつ
買い足していったような気がする

いまも四つや五つ
目覚まし時計は枕元にあるが
寝る時間のあまりとれない夜など
ぜんぶに目覚ましをかけて
遅刻しないようにと準備しておく
そんなにいくつも目覚ましをかけて
いったいどこへと起きていこうとするのか
起きていくべきほどのところが
ほんとうにどこかにあるのか
あるとでも信じているのか

わからないまゝ
いくつも目覚ましをかけて
また
きょうも
あしたも
たぶん
あさっても




声も立てずに

 

湿り気をもたらしてくれるので
冬の雨はわるくない

日も暮れて
暗い雨のなかを歩いていく

降る雨の粒を
街灯がひとつひとつ照らし
地面には
あかるみがポッと円盤のように落ちて
これからなにか
始まるかのようだ
明暗が
あそこにも
ここにも
小さな永遠のドラマを準備していて
草はらも
低い山も
家並みも
大きなビルも
低いビルも
冬の雨にふさわしく作られた背景のように
うつくしい控えめさで
静まっている

暗い雨のなかを歩いていく

思い出される
なんと
たくさんの事ども
起こったこと
起こらなかったこと
どの瞬間も
あゝ すばらしかったではないかと
たったひとりの聞き手
わたしに
声も立てずに
わたしはささやく