2014年12月27日土曜日

文章うんぬんを言うのなら



  
よく書けてもいない文章を
だれでも簡単にネットに載せられるような時代になって
作文の基本もできてない下手な文章が
大手を振って罷り通っている
…とかなんとか
どこかの
だれだか
ビジネス畑の人のブログで
ちょっと読んだけれど

この筆者さん
ご自分が
いっぱしの文章家だとでも思っているんだろうか
文章うんぬんを言うのなら
ビジネス文書や書類の文章であってはいけないということが
わかっているのだろうか
いないのか

文章という以上は
論理ばかりではだめで
わかりやすい文でもだめで
情緒てんめん
遊びもふんだん
控え目に書くにしろ
志賀直哉をしっかり通過したものか
谷崎潤一郎の随筆を味読した後のものか
岡本綺堂ぐらいの軽みを身につけてからのものか
それとも小林秀雄まで飛んでみるか
井伏鱒二ぐらいに渋く戻ってみるか
石川淳ほどの勢いをしっかり出そうとしてみるか
うまくいかないにしろ
そんな気迫の伝わってくるものを
文章というのだが

丹羽文雄などは
志賀直哉の文章を原稿用紙にさんざん書き写して
文章の骨格を身につけようとしたそうで
だから後代の者も作家の文章を自筆で書き写しながら
文章の息吹をわがものとせよと言われたし
それ以後としては
吉行淳之介の文章の削ぎ落しぐあいに学べとか
村上春樹の文はひどいから
あれは真似してはいけないとか
文章も文学も
ほんと
中上健次で終わったなあとか
そんな時代を
さんざん
あれこれ試行錯誤しながら生きてきたけれど

自分なりにいま痛感するのは
模範とするなら
森鴎外の文章
あの人のほとんどの散文に向きあっていない人たちがなにを
文章だの
どうのだの言うかと
ほんとうに思う
永井荷風の文体に流れる人たちも
以前はたくさんいたが
あれは
森鴎外の文章あってはじめて可能になる逸脱
荷風ばかりを模範にしては
文章の芯が育たなくなる

高度成長期はたしかに
吉行淳之介
あの人
単なるエロではないんだよ
文体の人だった
文体なきエロなんて
伸びたラーメンみたいなものなんだよ

文章うんぬんは
最低
このぐらいの見通しを持ってから
…いやいや
まだまだ始まらない
日本の江戸期までの古典詩文を
どのくらい原典で読んだか
外国語の文学とも
原語でどのくらい格闘してきたか
そんな苦労も
どうしても必要
ビジネス畑の人間が
簡単に口を出せる世界じゃないんだよ
知らないってことは
ほんとに怖いねェ
恥ずかしいねェ





お正月価格



クリスマスが済めば
もうお正月価格
野菜も
その他の生鮮食品も
一夜を境に高くなっていて
旱魃で生産が減る夏のようなぐあい
今日は買うものもないと思っても
ちょっと寄った店で
しかたなしに
買い込まざるを得なくなる年末
それも
重くかさばる大根なんかを
白菜なんかを





ひと足先におせちの旬を



クリスマスの日には
はやくも
どこのスーパーマーケットでも
おせち料理のパックを売りはじめている
こどもの頃から
おせちは嫌いだったのに
煮物や佃煮にちょっと興味がいくようになったのは
歳のせいかな

今年はなにを食べようかな
食べないでもいいかな
眺めているうちに
―そうだ
クリスマスからはやくも
おせちを
ちょこちょこ
ちょろちょろ
食べはじめてもいいだろうと
思い至った

歳をとっていくにつれて
つくづくわかるようになったのは
なんでも早めに味わっておく
楽しんでおくのがいい
旬というのはあっという間に過ぎてしまうから
ということ
おせちだって
正月に入ってからでは遅い
はやめはやめに
ちょっとずつ食べはじめるのが
きっといい

そんなふうに思って
ことしはクリスマスの夜から
もう食べはじめている
にしんの酢漬け
伊達巻
きんとん
まずはこれらから

明後日あたりからは
蒲鉾も食べはじめようか
小皿に少しずつとって
ことしも押し迫ってきました
なんていう世間の
雰囲気をよそに
ひと足先に
こちらはもう
おせちの旬を迎えています                                 
   



2014年12月25日木曜日

このことのほかになにか?



今年もおしせまって
夕暮れの澄んだ空の美しい東京の年末でございます
月日の経つのははやいもの
年ばかり取るもの
などと言うならいですが
どうして
どうして
しあわせな一年でございましたな
なにが起ころうとも
なにが訪れてこようとも
おもてむきは大変だ
かつかつだ
などと
世間にあわせて言うことだけはしながら
くどくど思い患う癖はとうに捨てて
あゝ生きて水が飲めるこの気持ちよさ
あゝ便が滞りなく出てくれるこの快適さ
あゝ手足が不自由なく動いてくれる便利さ
あゝアタマが機敏に回ってくれているうれしさ
などと毎瞬思うようになっているので
やはりしあわせな一年でござったと
思うのでありますよ
ほかになにか
足りないことがありますか
医療産業大繁盛の
そこ此処の大病院の中を歩いてきたり
爆弾ミサイル大盤振舞いの紛争地の知らせを見たり
繁華街のちょっとわきの路地や
地下通路のホームレスさんたちの佇みを眺めたり
そんなことの後で
やはりしあわせな一年でござったと
思わないで
いられますか
いられますか
ほかになにか
足りないこと
本当に足りないこと
ありますか
ありますか
いまこうして生きている
このことのほかに
なにか?
なにか?




一年のうちのあちこちにクリスマスが



クリスマスに心が躍らなくなってからも
…それでもケーキだけは
食べたいと思うこともあって
それも
ひと切れ
高級なのではなくても
クリームの本当においしいもので
ケーキ地もふわふわなもので
…と望みは低くないものだから
どこの街角にもあるあの店や
駅ビルの中にきっとあるあの店には
けっして入らないし
かといって
馬鹿高いところはやっぱり嫌で
毎年毎年
けっきょくケーキを食べずに
過ぎていく歳月

小さな旅をした先で
休憩に入った小さな喫茶店で
しかたなしに頼んだケーキがおいしかったり
買い物が両手にいっぱいになって
高そうなカフェに
これもしかたなく入って
しょうがないなあと思いながら
小さなフォークを入れてみたケーキが
思いもしなかった
至福感を与えてくれたり
…どうも
ケーキとのつきあいは
いつの間にか
こんなふうになってしまっているが…

それも悪くない
一年のうちのあちこちに
クリスマスが小さくまき散らされているようで
意外なところで
意外な驚きや愉しみが
待ってくれている
それがどんなに小さくても
たくさんの面倒事が
どんなにセットになっていても






クリスさん クリスマス



クリスです
クリスマス

とカードを
くれた彼も

死んでから
もうだいぶ
になるなあ

クリスです
クリスマス

かたことの
にほん語が
なつかしい

クリスマス
クリスです

クリスさん
クリスマス




2014年12月22日月曜日

主語を除き 動詞を原形に


  

外国語の命令法を習ったとき
主語を除き
動詞を原形に
と言われたんじゃない?

ぼくが思っている〈詩〉も
おなじ感じかな
主語を除き
動詞を原形に…

どういうことかって?

言葉を支配する主体を
なるたけ除き
どんな品詞であれ
あらゆる言葉を原形に
原初のちからに
原初そのものに

主語を除き
動詞を原形に…
つまり
書き手はじぶんで
じぶんを斬首しなければならず
手を足を胴を腰を
部分になる以前の原形に
戻さなければならない
ということ

すべてを
STAP細胞にしなければ
ならない
ということ

STAP細胞はあります!
じゃなくて
STAP細胞になります!
STAP細胞にさせます!