2010年8月20日金曜日

夏の水原優希

足であり同時に踏みしめられる岩
見つめられる草の芽
喉にも上らなくなった言葉
言葉たち
スクランブル交差点でまだ迷っている亡心
地面にまだ着かないのですよ
まだ宙に浮いたままなのですよ
でも寒くもなくてね
もうすっかり荒地の風のようで
風の顔を持って
うなじにはまだ成り切れなさを残して
行かない
行かない
どの方向へも
流れてきて流れていくだけの歌のような無数の思い
思いはあなたですか
感じたこと感じなかったこと
忘れたこと
…うそ
あれは波の音
壊れそうにこんなに敏感になって
落ち切らず上り切らずどこまでも漂う
見えない蜘蛛の糸のひと切れ
ながいこと真実には発しないできた「私」という扉
森、遠くに、ああ、森…
過去なんてもうこだわってないから
血と息のなかに
今を拾い上げて未来を縫い進めていく生き物の健気な癖
動かされて動けるところまで
かなしく行くかなしく
見続けてたでしょ
対象はなんでもよかったのでしょ
まるで大事なものでもあるかのように
見るそぶり
聞くそぶり
死んでいるのは知っている
崩れるまで
まだ間のある珊瑚
美しければいいってものじゃない
時間つぶし
詩人なら詩人屋さんに買いにおいき
筋肉もちょっとは脂肪も
いずれ切り取られるためにつけて
いずれ燃やされるために蓄えて
動き出す森
動き出すはずの
不思議だ新聞が来る来るまだ来る旧聞の
人間劇だけが続いているというのに
新しいものはこの半世紀ビニールの肌触りぐらい
浸透していけないので水は驚いた
なんて粗いまま
宇宙に顔をむけてきたのか
たちまち時は過ぎ
時さえも時でなかったはずのものに過ぎ抜かれ
しかし空間に阻まれて
いつも色たちは色に幽閉されたまま
ここにいればいいなどと
居直ったのは誰
だあれ
流砂をここだなんて
呼んで冬の浜茄子
夏の水原優希
生きてる子
まだ生きてる子
きっと死ぬ
きっと死ぬ
んじゃないといいね水原優希
早朝の朝顔の開花
ひとりで見ていた子たちは
どこへいった
煙の遠い小焼け空
わかってるじゃない
ふりしているのさみんなしてわからないふり
あそこもここも
暗い
ほんとうは暗いところなのですよ
炎天の白い広場にすっかり日焼けして
涼しい飲み物を啜っている
白い夏服の女よ
いまこれからわたしたちの邂逅が起こる
からだとからだが近寄っていく厳しい約束の成就
消えたものが
永遠に戻ってこないなどというのか
真昼
真昼
真昼
わたしたちはやすやすと自我を換えて
目配せしたりしゃべるのに足りる程度の
簡素な「私」を取り戻していく
複雑さはヒイラギにでも引っかけ
出帆していく
深い青の浸透した
澄んだ繊細な水様のものの
湧出の
一瞬



(ぽ381号・2010年3月)

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